第44話 貝瀬学院大学学生食堂、仕事納め
その翌日の午前中、一年共に戦った調理場の大掃除をすべく出勤し、黙々と手を動かしている間も、頭の中は今夜のことでいっぱいである。行くか行かないか、についてはもう早々に、行く、ということで決着がついた。だって、お金も時間も無駄になるとか言われたら……。いや、そんなものを盾にされずとも、きっと私は行くと決めていただろう。
やっとわかった。
私は、白南風さんのことが好きなんだ。
我ながら、ちょろい女だとは思う。あんな出会いだったし、最初ははっきり言って迷惑だったけど。だけど、気付けば彼のことばかり考えてしまっている。つまりは、そういうことなんだろう。
そうなると気になるのは服装だ。やっぱり昨日と同じ服装というのは失礼に当たるのではないか。私だって、別にあの手の服を一着しか持っていないわけではないのだ。だって、同級生の結婚式ということは、参加者なんてほとんど同じなのである。まさか毎回同じワンピースというわけにもいかない。おそらく美容室は混んでるだろうから、メイクとヘアセットはどうにか自分でしないと、などと考えながら、一年の汚れを落としていく。いつもと違う私の様子に気が付いたらしい小林さんが、すすす、と横歩きで近付いてきて「クリスマスのご予定が?」とにんまり笑いかけてきた。
ご予定は? ではなく、ご予定が? と尋ねてくるあたり、何か察するところがあるのだろう。
「あの、もしかしたら、ですけど」
と断ってから、
「何かご報告出来ることがあるかもしれません」
そう言ってみる。
すると反応したのは、小林さんだけではなかった。声はかなり落としていたつもりだったが、どうやら皆、忙しなく動きながらも聞き耳を立てていたらしい。
「アラッ!? マチコちゃん、アラッ!?」
「アラララッ!? もしかして?!」
ワッと我先に集まってきたのは安原さんと笹川さんだ。山岡さん&山田さんの『
「ねぇ、まさかと思うけど、岩井さんじゃないわよね」
怪訝そうな顔で、真壁さんが恐る恐る問い掛けてくる。
山岡さんと山田さんが「真壁さん、何言ってるのよぉ」と声をそろえて笑う。真壁さんは「そうなんだけどねぇ」と表情を曇らせた。
「だってほら、岩井さん、マチコちゃんに聞いてたのよ、クリスマスの予定」
その言葉に「確かにそうだったわね」と安原さんが頷く。あれは四時頃だったから、早番の人達は知らないのだ。案の定、「えっ、何何? 何の話?」と山山コンビが食いついた。
「だからね、岩井さんが誘ってきたのよぉ、二十四か二十五、どっちか空いてないか、って」
「でも結局振られてたじゃないの」
「そうだけど、そこから何かあったかな? って思って」
「まぁ確かにねぇ。人の心だもの、変わることもあるわよねぇ」
と、私を外に置いて盛り上がり始めた。が、当然ながら、正解を知っているのは私だけだ。そこに気付いたらしい笹川さんが「待って待って。マチコちゃんに聞かないとでしょ」と指摘する。
「そうよね。あたしらだけで盛り上がってどうすんのよ」
「というわけで、マチコちゃん!」
「ひっ!?」
全員がぐわっと一斉に私の方を向く。その勢いに圧倒されて、思わず喉の奥から変な声が出た。
「本日のクリスマス、一体誰と過ごすの?! もしかしていたりするの、恋人が?!」
「水臭いわよぉ、マチコちゃん! あたしら学食の仲間じゃないのぉ!」
「そぉーよぉ、同じ釜の飯を食ってる仲間よぉ?!」
確かに。
同じ釜の飯を食べてる。食べまくってる。何せここでは賄いが出るのだ。
「え、と。あの、今日は白南風さんと。で、でもまだお付き合いとかそういうのは!」
じりじりと迫られる面々に押されながらそう答えると、調理場内がどよめいた。しんと静まり返ったフロアに、おばちゃん達の高低様々な「ええええ!?」が響き渡る。
「待って待って待ってマチコちゃん!」
「えーもーちょっと、いつの間にそんなことになってるのよ!」
「だってこないだ白南風君にズバッと言ってたわよね? あたしてっきり白南風君とは終わったものだと」
「いやだから、人の心なんてわからないのよ。ねぇ、マチコちゃん。あー良かった! 白南風君なら応援しちゃうわぁ」
「やだもう、ちょっとなんかこっちまでドキドキしてくるじゃない。えー、もうこれ、忘年会で詳細聞くしかないわよねぇ」
私のクリスマスの予定でその場は大層盛り上がった。とはいえ、まだ何も起こっていないのである。むしろ起こるとすればこれからだ。だから、現段階で報告出来ることがあるとすれば、誘われるに至った経緯の部分になるわけだけど、さすがに『婚活パーティーに行ったらうまいことマッチングしたのでその人とカフェに行ったら、どういうわけか白南風さんも来て、その流れで誘われました』とは言いにくい。現にいま、私自身こうしてまとめてみたけど、なんていうか、本当にこれ、現実に起こった話だったっけ? 感が否めない。えっ、いまさらだけど夢じゃないよね?
しかも、ホテル・ジュノーだ。ホテル・ジュノーのクリスマスディナーだ。たぶんだけど、婚活女性がみんな憧れるやつだ。いや、婚活女性に限らないか。たぶんお付き合いしている男性からそんなところをセッティングされたら、食事以上のことも期待してしまうだろう、そんな場所だ。
食事以上のことも……?
いや、いやいやいやいやいや! 何を考えてるの、沢田真知子! だ、だって白南風さんは部屋までは取ってないって言ってたもの! 大丈夫。大丈夫よ、そこは。
でも、予想外に良い雰囲気になってしまったら?
ていうか私、告白も、何ならプロポーズもされてるのよね、そういえば! いや、でもあの告白はまだしもプロポーズはさすがに冗談のやつだと思うし!
「あら? マチコちゃんどうしたの? なんか顔が赤いわよ?」
「まぁまぁ安原さん、マチコちゃんにも色々あるのよ。ねぇ?」
「そうそう、いやーもう、結果を聞くのが楽しみだわぁ。ね、ね、マチコちゃん、忘年会来るわよね? ね?」
「あ、の。はい、そのつもりで、います、けど」
「これまで浮いた話のなかったマチコちゃんのロマンスですもの、あたし達、もう楽しくって仕方ないわぁ。ねぇ? 小林さん」
「ええ、ええ、もちろんよぉ! ちょっと良いところ予約しなきゃよねぇ!」
小林さんのその言葉で、今年の忘年会は例年よりもランクを上げた居酒屋で開催することが決定した。
貝瀬学院大学学生食堂、仕事納めである。
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