第43話 善処して、思いっきり
「え、と、あの、知り合い――です」
慌てて視線を逸らして、そう答える。出来るだけなんてこともないように言ったつもりだったが、田町さんは何かを感じ取ったようだった。もし選択肢の一つに入れてもらえるなら連絡ください、と言って、さっと伝票を回収すると、困ったように笑って行ってしまった。
田町さんがカフェを出るのと同時に入ってきた白南風さんは、焦った様子で私のテーブルへとまっすぐ向かってきた。
「誰、あいつ」
「誰って、白南風さんには関係ないです。ていうか、どうしてここに?」
「サチカから聞いた。あいつ、ご丁寧にマチコさんが二股しようと婚活パーティーに参加してるぞって報告してくれてさ。マッチングしたとか、二人でここ入ったとか逐一教えてくれんの」
マジ良い性格してるわ、と苦々しい顔をして、向かいの席にどっかと座る。注文を取りに来たウェイターさんに「ホットコーヒーお願いします」と言って、乱暴にネクタイを緩め、はぁ、と息を吐く。
「でも、今回はあいつに助けられたけど」
苦しそうにそう言って、顔を覆い、「ごめん、撤回する」と絞り出すような声を出した。
「撤回って、何をですか」
「婚活なんてもうすんな」
「は?」
「余裕ぶって婚活しても良いなんて言ったけど、やっぱ駄目だ。他のやつにとられたくない。そんなきれいな恰好して俺以外の男と会わないで」
「そんな、いまさら勝手なこと言わないでください。白南風さんには他の方がいるじゃないですか」
「は? そんなやついないけど」
「だ、だって、見ました、私」
「何をだよ」
「ご飯に行った後、あの……日曜です。リオンモール内の、アクセサリーショップで」
「リオンのアクセサリー……、っあ、あぁ! 嘘、見てたのかよ!」
そう言うや、マジかよぉ、と耳まで赤くして頭を抱える。そこへタイミング悪くコーヒーが運ばれてきて、ウェイトレスさんが「お連れ様、ご気分でも?」と小声で私に尋ねて来る。それに「大丈夫です」と返すと、彼女はまだ少し納得していないような顔をしたが、それでもコーヒーを白南風さんの前に置いた。砂糖とミルクのポットを置いて、ごゆっくりどうぞと言い、カウンターの方へと去る。
「マチコさんさ」
「何でしょう。あの、コーヒー、来ましたけど」
「いや、飲むけど」
「冷める前に飲んだ方が良いです。あの、美味しいですよ」
その後に続く「たぶん」の言葉は飲み込んだ。何せ、私には味の違いなんてわからなかったのだから。
「わかってるって」
白南風さんは素直に頷いて、ちょっと口を尖らせ、砂糖をざかざかと入れる。飲めば良いんだろ、なんて小声でぼそりと呟いて、一口飲み、
「それで」
白南風さんが、仕切り直すように、こほん、と咳払いをした。やはり人間、仕切り直す時には咳払いってするんだな、なんて考える。わざわざ仕切り直してまでこれから一体何の話をされるのだろう。私の心臓はずっと高鳴りっぱなしだ。
「あのさ、あれは違うから」
「何がですか」
「マチコさんにどう見えたのか知らないけど、あれはマジで違うやつ」
「ですから、違う違うと言われても」
「マチコさん、明日って空いてる? 空いてるよな?」
「あの、話が飛びすぎです。ていうか、どうしてそう決めつけるんですか。私だって予定くらい――」
いや、ないんですけどね。でもまぁ普通に明日は午前中だけ仕事なのである。大学は明日から冬期休暇だから、食堂だってお休みだ。それで、長期休暇の初日は午前中いっぱいを使って厨房の大掃除をすることになっている。それが仕事納めだ。
「誰と」
「ひっ」
やや吊り気味の目を、すぅ、と眇めて睨まれた。思わず喉の奥から変な声が出る。
「だ、誰と、って」
「俺の知ってるやつ? まさかと思うけど、岩井じゃねぇだろうな」
「い、岩井さんでは、断じて」
「そんじゃ何、さっきのやつ? もうそんな約束したわけ?」
「してません、してません」
「じゃあ誰だよ」
「そ、れは――」
「俺のために空けて」
「え」
「マチコさんのクリスマス、俺にちょうだい。お願い」
「ちょうだいって」
「もうそのつもりで全部準備してるから」
「はぁ?」
「良い感じのホテルのディナーも予約した。いや、さすがに部屋までは取ってないから。そこは大丈夫。さすがにそれはな」
「いや、そういうことではなく」
「もうなりふり構ってらんないから全部バラすけど、ケーキもすんげぇやつ頼んである。マジでもう、すんげぇやつ。あれは食べなかったら絶対に後悔する」
「え」
「だから、明日の七時、六月町駅の『ホテル・ジュノー』、わかる? そこに来て」
心臓がバクバクとうるさい。
ピークタイムでバタバタしている時だってこんなに心拍数は上がらない。学生時代の体育以来かもしれない。
小説やドラマの中でしか見たことのない、『恋愛』が始まりそうで、自分にとって無縁だったそれが始まってしまいそうで、それを望んでいたはずなのに、手を伸ばすのが怖い。だって私は彼よりも年上で。五つも年上で。もしこれが何かの間違いだったら、白南風さんの気まぐれだったら、そしたらもう絶対に立ち直れない。
「――も、もし行かなかったら?」
「全部無駄になる。金も時間も」
「です、よね」
「あのさ、この際だから思いっきりマチコさんの情に訴えかけるけど、俺ね、クリスマスをマチコさんと過ごすためにここ最近不眠不休で岩井の無茶振りに耐えてきたから」
そういや岩井さんも、白南風さんが鬼気迫る感じで黙々と仕事を片付けてくって言ってたような。
「俺、この後帰ったら明日の昼まで爆睡するつもりだから。そんで、起きたら、めっちゃ気合入れて準備して、バシっと決めてマチコさんのこと待つから。来てくれなかったら、そういうのぜーんぶ無駄になるから」
「それはずるいですよ。そんなこと言われたら断りにくいじゃないですか」
「当たり前だろ。断られまいと必死なんだわこっちは。マチコさんの逃げ道なくしてんの。いや、ほんとはもっとスマートに誘うつもりだったんだけど」
「そんな」
「なぁ、マチコさんさ。もう観念して俺に落ちてよ」
「落ちるも何も、白南風さんには別の」
「だーから、あれは違うんだって! それも明日ちゃんと話すから!」
「何でいまじゃないんですか?」
もしかして一日かけて何かしらの証拠隠滅を……?
「とにかく明日! 明日話すっつってんの! 色々あるんだよこっちにも」
こうやってムキになるところはちょっと子どもっぽい。二十七歳って、世間一般ではアラサーのカテゴリのはずなんだけど。
どう返事したものかと考えていると、白南風さんは程よく冷めたらしいコーヒーを一気に飲み干して立ち上がった。テーブルの端にある伝票を掴み、眉間にしわを思いっきり寄せる。
「明日七時、『ホテル・ジュノー』。マチコさんが来るまでずーっと待つから」
「か、考えておきます」
「何を考えんの」
「その、行くかどうか、ですけど」
「絶対来て」
「お約束は出来ません」
「駄目。絶対」
「そんな。第一私、そんなところに入れるような服なんて」
ホテル・ジュノーといえば、ここよりもワンランク上のところだ。いや、ここだってそれなりに良いホテルなんだけど。でも、レストランなんて、ランチだって割と勇気がいるレベルだ。価格はそこまでじゃないんだけど、気軽に入れるか、っていう部分で。
「いま着てるやつで大丈夫」
「でもさすがに同じものは」
「メイクも服もいまと同じで良い。ただ、俺と会うんだって、それだけ考えながら準備して。他のことなんて考えないで」
「それは、不可能では」
あのですね、メイクや何やらって、何も考えずには出来ないんですよ、と。そう返そうとした。
けれど、白南風さんは腰を落として私の手を取り、それを額に当てて、「お願い」と苦しそうに言うのだ。
通りを歩けば誰もが振り返るようなイケメンが。私なんかに、祈るように。
つい口からこぼれた「善処します」の言葉に、白南風さんは「それ絶対善処しない人のやつな」とは言わなかった。
「善処して、思いっきり」
真面目な顔でそう言うと、彼は「待ってる」と再度念を押して、カフェを出て行った。
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