第42話 恋がしたいわけじゃない
「いやぁ、嬉しいです」
まさかの展開である。
まさかのマッチング成功である。
はしっコずまい、という可愛いキャラが彫られたネクタイピンを着けた、
「僕も沢田さんともう少しゆっくりお話ししたいと思ってたんです」
「あ、ありがとう、ございます」
「あの、そんなに緊張しないで。何も即交際とか、そういうのじゃなくても。まずは、もう少し親睦を深めて、というか」
「で、ですよね。そうですよね」
ホテルの一階にあるカフェである。
こういうことを言うのも本当にデリカシーがないってわかってるけど、コーヒー一杯で千円以上するところである。そんなところで、私達は向かい合って座っている。
田町さんは、ちょっとがっしりした体格の人で、髪もさっぱりと短い。少し窮屈に見えるスーツに、まじまじと見なければわからない、はしっコずまいのキャラが彫られた銀のネクタイピン。この人と結婚したら、『田町真知子』になるのか、なんて考えたりする。『まち』が連続するのちょっと嫌かも、なんて。
とにもかくにも私達は、少しだけ話の続きをしましょう、ということになったのだ。せっかくマッチングしたのだし、このまま連絡先だけ交換してさようなら、というのも味気ない。
パーティーでは、飲食店勤務とは伝えてあったけど、それが大学内の学生食堂であることまでは話していなかった。田町さんだけではなく、話しかけてきた他の男性参加者全員にも。何せ『学食のおばちゃん』は、いままでとにかく良い印象を与えなかったから怖かったのだ。あんな場で罵倒されたくない。
学食のおばちゃんと伝えたら、田町さんもこれまでの男性達と同じ反応をするかもしれない。だけど、駄目になるなら、早い方が良い。変に期待してしまったら、傷つくのは私だけじゃない。田町さんだってそうだ。無駄な時間を過ごしたとも思うだろう。本当はマッチングする前に言えば良かったんだけど。
「実は私、大学の学食で働いているんですけど」
びくびくしながらそう言った。
その年で?
若い男目当てですか?
まさかそこまではっきり言われるとは限らないけど。でも、そういった感じの返答が来るのではないだろうか。そう考えると、寒くもないのに身体が震える。
「へぇ、学食ですか。懐かしいな」
「え」
「よく利用しましたよ。恥ずかしながら、学生時代は料理が全然駄目で。心配した両親が学生寮に入れてくれてですね、朝飯も出るし、夕飯も言えば用意してもらえて。そんで、昼は学食の世話になったというわけで」
「へ、へぇ」
「いやー、あと二十若かったら食べに行けたのになぁ。はっはっは」
この人は、『学食のおばちゃん』を否定しないのか。
「あの、嫌じゃ、ないですか」
「何がです?」
「あの、ええと、学食で働いてる、とか」
「学食で働くことに何か問題でもあるんですか?」
「ない、と私は思いますけど」
そう返すと、「なら」と言って田町さんは笑った。
「良いじゃないですか。学生さん達が羨ましいですよ、沢田さんみたいなおきれいな人にご飯を作ってもらえるなんて」
「いえ、私一人で作っているわけでは」
「わかってますって」
羨ましいのは本当ですけど、ともう一度笑う。
予想していなかった反応に、は、と肩の力が抜ける。もしかして、これが普通なのだろうか。これまでの人達がたまたまそういう考えの人だったというだけで。いや、逆にこの人が稀有な考えの持ち主の可能性も否定は出来ないけど。――いや、だとしたら白南風さんもそうか。白南風さんだって、仕事は続けて良いと言っていたっけ。ああ駄目だ。どうして白南風さんのことなんて考えてしまったのだろう。いまは田町さんと話しているのに。
「ああでも、僕の仕事上、実は異動とかどうしても避けられなくて――」
「え」
「僕としてはもちろんついて来て欲しいですけど、もし、沢田さんがそのお仕事を続けたいということであれば、単身赴任でも、全然」
「それは、また、追々、といいますか」
「ですよね! そうですよね! いや、ちょっと気が急いてしまって」
はは、と照れたように笑って、コーヒーを飲む。私もつられてカップに口をつけた。美味しい、のだろう。だけど、この雰囲気にすっかり飲まれてしまって、正直味なんてわからない。緊張してミルクも砂糖も入れられなかったから、ただ苦いだけだ。クリスマス仕様の装飾であるとか、いつも以上に着飾っている自分自身の姿であるとか、そういったものが加味されて、正常な判断が出来ない。
この人なんだろうか。
この人と家族になるのだろうか。なれるのだろうか。欲しい言葉をもらっているはずなのに、心臓はまったくざわめかない。結婚とは、そういうものなのかもしれないけど。もしかしたら、伴侶となるような、残りの人生を共に歩む人には、いちいちときめいたりしないものなのかもしれないけど、だけれども、熱に浮かされるような恋愛だって、本当はしてみたかった。完全にタイミングを逃してしまった。そういうのはもっと若いうちにしておくべきだったのだ。
私はきっと、日常の延長線上にスッと混ざっていくような、気付けば隣に合流していたような、そんな、波風の立たない出会いをするのだ。それがいまだ。もしこのまま田町さんとの交際が始まるとして、その先に結婚があるとして、きっと先に来るのは愛情よりも家族としての情だ。誓いのキスなら、新婚初夜なら、この人に心がざわつくことがあるだろうか。もちろん、緊張以外の気持ちで。
違う。
何を期待しているんだ。
私が求めているのは、生涯を共にするパートナーだ。朝晩を共に過ごして、苦楽を共にして、共に支え合って、一緒に笑い合える人だ。胸を焦がすような恋愛なんて必要ない。私は、恋がしたいわけじゃない。ただ、結婚がしたい。そうだったでしょう?
必死にそう言い聞かせる。
三十二歳の私に、恋愛なんて贅沢品だ。
身の程を知れ、弁えろ。わがままを言うんじゃない。そういうのを避けてきたのは自分だろう。いまになって欲を出して、みっともない。
だけど叶うなら。
やっぱり恋がしてみたかった。
この人と、それが出来るだろうか。
失礼にも、そんな値踏みをしてしまう、そんな自分が嫌になる。だけど――。
「マチコさん!」
彼はそうやって、必死な声で私の名を呼ぶのだ。別に叫ばなくたって届くのに、五歳も上のおばさんに、何の気の迷いか、好きだなんて言ったりして。こんな時にそんなことまで思い出して、私は何をやっているのだろう。
「マチコさん!」
コンコン、と窓ガラスを叩く音がする。
「沢田さん、あの――」
ちょいちょい、とそちらを指差され「お知り合いの方ですか?」と控えめに尋ねられる。弾かれる様に窓の方へ視線をやると――、
「白南風さん?」
スーツ姿の白南風さんが真っ赤な顔をして立っていた。
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