第42話 恋がしたいわけじゃない

「いやぁ、嬉しいです」


 まさかの展開である。

 まさかのマッチング成功である。


 はしっコずまい、という可愛いキャラが掘られたネクタイピンを着けた、田町たまち直紀なおきという方だ。年齢は三十九歳、移動メロンパン屋さんではなく、製薬会社の営業だった。良かった、ちゃんと覚えてた。


「僕も沢田さんともう少しゆっくりお話ししたいと思ってたんです」

「あ、ありがとう、ございます」

「あの、そんなに緊張しないで。何も即交際とか、そういうのじゃなくても。まずは、もう少し親睦を深めて、というか」

「で、ですよね。そうですよね」


 ホテルの一階にあるカフェである。

 こういうことを言うのも本当にデリカシーがないってわかってるけど、コーヒー一杯で千円以上するところである。そんなところで、私達は向かい合って座っている。


 田町さんは、ちょっとがっしりした体格の人で、髪もさっぱりと短い。少し窮屈に見えるスーツに、まじまじと見なければわからない、はしっコずまいのキャラが彫られた銀のネクタイピン。この人と結婚したら、『田町真知子』になるのか、なんて考えたりする。『まち』が連続するのちょっと嫌かも、なんて。


 とにもかくにも私達は、少しだけ話の続きをしましょう、ということになったのだ。せっかくマッチングしたのだし、このまま連絡先だけ交換してさようなら、というのも味気ない。


 パーティーでは、飲食店勤務とは伝えてあったけど、それが大学内の学生食堂であることまでは話していなかった。田町さんだけではなく、話しかけてきた他の男性参加者全員にも。何せ『学食のおばちゃん』は、いままでとにかく良い印象を与えなかったから怖かったのだ。あんな場で罵倒されたくない。


 学食のおばちゃんと伝えたら、田町さんもこれまでの男性達と同じ反応をするかもしれない。だけど、駄目になるなら、早い方が良い。変に期待してしまったら、傷つくのは私だけじゃない。田町さんだってそうだ。無駄な時間を過ごしたとも思うだろう。本当はマッチングする前に言えば良かったんだけど。


「実は私、大学の学食で働いているんですけど」


 びくびくしながらそう言った。

 

 その年で?

 若い男目当てですか?

 

 まさかそこまではっきり言われるとは限らないけど。でも、そういった感じの返答が来るのではないだろうか。そう考えると、寒くもないのに身体が震える。


「へぇ、学食ですか。懐かしいな」

「え」

「よく利用しましたよ。恥ずかしながら、学生時代は料理が全然駄目で。心配した両親が学生寮に入れてくれてですね、朝飯も出るし、夕飯も言えば用意してもらえて。そんで、昼は学食の世話になったというわけで」

「へ、へぇ」

「いやー、あと二十若かったら食べに行けたのになぁ。はっはっは」


 この人は、『学食のおばちゃん』を否定しないのか。


「あの、嫌じゃ、ないですか」

「何がです?」

「あの、ええと、学食で働いてる、とか」

「学食で働くことに何か問題でもあるんですか?」

「ない、と私は思いますけど」


 そう返すと、「なら」と言って田町さんは笑った。


「良いじゃないですか。学生さん達が羨ましいですよ、沢田さんみたいなおきれいな人にご飯を作ってもらえるなんて」

「いえ、私一人で作っているわけでは」

「わかってますって」


 羨ましいのは本当ですけど、ともう一度笑う。


 予想していなかった反応に、は、と肩の力が抜ける。もしかして、これが普通なのだろうか。これまでの人達がたまたまそういう考えの人だったというだけで。いや、逆にこの人が稀有な考えの持ち主の可能性も否定は出来ないけど。――いや、だとしたら白南風さんもそうか。白南風さんだって、仕事は続けて良いと言っていたっけ。ああ駄目だ。どうして白南風さんのことなんて考えてしまったのだろう。いまは田町さんと話しているのに。


「ああでも、僕の仕事上、実は異動とかどうしても避けられなくて――」

「え」

「僕としてはもちろんついて来て欲しいですけど、もし、沢田さんがそのお仕事を続けたいということであれば、単身赴任でも、全然」

「それは、また、追々、といいますか」

「ですよね! そうですよね! いや、ちょっと気が急いてしまって」


 はは、と照れたように笑って、コーヒーを飲む。私もつられてカップに口をつけた。美味しい、のだろう。だけど、この雰囲気にすっかり飲まれてしまって、正直味なんてわからない。緊張してミルクも砂糖も入れられなかったから、ただ苦いだけだ。クリスマス仕様の装飾であるとか、いつも以上に着飾っている自分自身の姿であるとか、そういったものが加味されて、正常な判断が出来ない。


 この人なんだろうか。

 この人と家族になるのだろうか。なれるのだろうか。欲しい言葉をもらっているはずなのに、心臓はまったくざわめかない。結婚とは、そういうものなのかもしれないけど。もしかしたら、伴侶となるような、残りの人生を共に歩む人には、いちいちときめいたりしないものなのかもしれないけど、だけれども、熱に浮かされるような恋愛だって、本当はしてみたかった。完全にタイミングを逃してしまった。そういうのはもっと若いうちにしておくべきだったのだ。


 私はきっと、日常の延長線上にスッと混ざっていくような、気付けば隣に合流していたような、そんな、波風の立たない出会いをするのだ。それがいまだ。もしこのまま田町さんとの交際が始まるとして、その先に結婚があるとして、きっと先に来るのは愛情よりも家族としての情だ。誓いのキスなら、新婚初夜なら、この人に心がざわつくことがあるだろうか。もちろん、緊張以外の気持ちで。


 違う。

 何を期待しているんだ。

 私が求めているのは、生涯を共にするパートナーだ。朝晩を共に過ごして、苦楽を共にして、共に支え合って、一緒に笑い合える人だ。胸を焦がすような恋愛なんて必要ない。私は、恋がしたいわけじゃない。ただ、結婚がしたい。そうだったでしょう?


 必死にそう言い聞かせる。

 三十二歳の私に、恋愛なんて贅沢品だ。

 身の程を知れ、弁えろ。わがままを言うんじゃない。そういうのを避けてきたのは自分だろう。いまになって欲を出して、みっともない。


 だけど叶うなら。


 やっぱり恋がしてみたかった。

 この人と、それが出来るだろうか。


 失礼にも、そんな値踏みをしてしまう、そんな自分が嫌になる。だけど――。


「マチコさん!」


 はそうやって、必死な声で私の名を呼ぶのだ。別に叫ばなくたって届くのに、五歳も上のおばさんに、何の気の迷いか、好きだなんて言ったりして。こんな時にそんなことまで思い出して、私は何をやっているのだろう。


「マチコさん!」


 コンコン、と窓ガラスを叩く音がする。


「沢田さん、あの――」


 ちょいちょい、とそちらを指差され「お知り合いの方ですか?」と控えめに尋ねられる。弾かれる様に窓の方へ視線をやると――、


「白南風さん?」


 スーツ姿の白南風さんが真っ赤な顔をして立っていた。

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