第20話 年の差は埋められない

「マチコさぁん、アレ作って」


 カウンターに肘をつき、うんと疲れたような顔をして白南風さんがやって来たのは、閉店間近の六時四十五分だった。遅番組が調理器具の清掃を始める時間である。ただ、営業している以上、注文が入れば作らなくてはならない。


「アレって何、お夜食セット?」


 カウンター近くにいた小林さんがもの言いたげな表情で割り込んで来た。その顔が「やっぱりあるんじゃない」と言っているような気がする。


「そうです。もう朝食ったっきりなんですよぉ。コーヒーくらいしか飲んでなくて」

「ちょっともー、何? そんな忙しいの?」

「もう散々っすわ。めんどくせぇやつが来たんですよ。赴任して来たのは何日か前なんですけど、何かどうやらウチの教授のお弟子さんとからしくて、今日からコッチ来て」


 はぁぁ、と大きなため息をつき、カウンターに突っ伏す。あの、止めてください、不衛生なので。まぁどうせ後でアルコール消毒はしますけども。


「めんどくせぇやつ? あ、わかった! あの岩井さんとかいう人でしょ! お昼、ここに食べに来たわよ。――あ、マチコちゃん、お夜食セットお願いね」

「あ、はい」


 私も『めんどくせぇやつ』の言葉でパッと浮かんだのは数時間前にやって来た岩井さんである。白南風さんのことをこき使う気満々だったし、早速やられたのだろう。


「マチコさん、俺の玉子焼き、覚えてる?」


 弱々しい声でそう問い掛けられたから「覚えてます」とだけ手短に返した。


「そう、それで、その岩井さんなんですよ。一応准教だからさ、立場的に逆らえなくて。これからしばらくゼミ室に缶詰ですよぉ。笠原教授ならまだしも、なんであいつに……!」

「ま、仕方ないわよねぇ、上下関係っていうのは。そうそう、ここだけの話だけど、その岩井さん、早速ウチのマチコちゃんに目をつけたのよ?」

「んなぁ!?」


 ちょ、小林さん?! 何バラしてるんですかぁっ!? そう割り込みたかったけど、いま私は調理中。それにこういうのは口を挟んだ方がきっと厄介なことになるはず。私は石。石です。料理を作る石です。何も聞こえませんあーあーあー。


「何かね、三十五歳とかでね? 男として脂の乗ってる時期だーとか言ってね? ほら、そうなるとマチコちゃんとも年齢的にね、ちょうど良いっていうか。あっ、もちろんマチコちゃんの年は伝えてないけど。見る目あるわよねぇ」


 小林さんの言葉に、「はぁ?」だの「ちょうど良くないし!」だの、「当たり前ですよ」だの「何で見つけてんだよアイツ!」だのと白南風さんが妙な相槌を打つ。


「それで? マチコさんはなんて? おい、まさか名刺とかもらったりしてないよな?」


 なぁ、と身を乗り出す。あの、本当にやめてください、不衛生です。これは小林さんと白南風さんの二人の会話だから、きっと小林さんが何か返してくれるだろう。そう期待して無言でパックにおにぎりと玉子焼き、ウィンナーを詰め、輪ゴムをかけて割り箸を挟む。それを小さなビニール袋に入れてカウンターに置いた。


 けれど名刺の件について、小林さんは何も答えてくれない。それどころか、ちゃんと自分で言うのよ、とでも言いたげな視線を送って来たので、仕方なく調理用手袋を脱ぎ、胸ポケットに入れていた名刺を取り出した。


「……い、いただきました、けど」

「うっわ! マジかよあの野郎!」

「あの野郎って。白南風さんも渡して来たじゃないですか。こういうのって別に挨拶というか、そういうものじゃないです? 深い意味なんてないですよ」

 

 そう、深い意味なんてない。

 営業でもしていれば、名刺なんて本当にあっという間になくなるのだ。前職は事務だったから、私の名刺は最初に支給されたのを使い切ることはなかったけど、営業さん達は毎月のように発注していたっけ。


「俺はマチコさんに用があるから渡したんだけど」

「まぁ、そうでしたけど。でも、大人は普通に」


 そう口にした途端、白南風さんの表情が強張ったように見えた。


「……大人?」

「そうです。大人になれば、っていうか。社会に出れば名刺なんて挨拶代わりに――」

「俺はまだ社会に出てない『学生』だもんな。悪かったな、社会のことも知らねぇ二十七のでけぇガキで」

「え、いや、その」


 二十七歳が子どもなわけないじゃないですか。世間一般ではアラサーですよ?


 そう返そうかと躊躇っているうちに、白南風さんはお夜食セットの入ったビニール袋を引っ掴んでカウンターに二百円を置き、さっさと行ってしまった。


 二十七歳は子どもじゃない。それくらい私にもわかる。だけど、そういうことじゃないってことも、さすがの私でもわかる。『大学生』は当たり前だが学生で、『大学院生』も同様だ。年齢的にはアラサーでも、まだ学生なのだ。『学生』という響きは、大人の庇護下にある『子ども』のイメージが強い。


 もし仮に、白南風さんが私のことを好きになったとして。そう仮定するならば。


 私がそうであるように、彼もまた、埋められない年の差を気にしたりするのかもしれない。何せその差は未来永劫埋まらない。


 いや、何を考えているんだ、私は。

 何が「仮定するならば」だ。私と恋がしたいだの、俺のものにするだの何だの、あんなの絶対に気の迷いに決まってる。ただちょっと子ども扱いされたことにイラッとしただけのはずだ。いや、どう考えても二十七歳は子どもではないです。


「マチコちゃん、白南風君行っちゃったね」


 小林さんが呆れたような声を上げる。


「あの、はい。怒らせてしまいましたね」

「怒らせたっていうか、あれは拗ねただけだと思うけど。いやー、あんな余裕ない白南風君初めて見たわぁ。案外子どもっぽく拗ねるのねぇ」


 可愛いわねぇ、なんて言って、小林さんはけらけらと笑っている。可愛い、かなぁ?


「あの、失言でした、かね」

「失言ってほどでもないような気もするけど、マチコちゃんがそう思うなら、謝った方が良いんじゃない?」

「ですよね」

「連絡先知ってるんでしょ?」

「え、っと、名刺を見れば」

「あらぁ? シュレッダーしたって言ってなかったぁ〜?」


 しまった、口が滑った!


「あっ! え、あの、えっと。すみません、あの、嘘つきました。シュレッダーしてないです」

「んもー、謝らなくて良いのよ。ごめんって、ちょっと意地悪言っただけ。さーて、ちゃっちゃと閉店作業しちゃお。ね?」


 明るい声と共に肘で軽く二の腕を突かれる。それに返事をして、私達は各々の作業に戻った。


 白南風さんの名刺は財布の中に入れっぱなしだ。

 やっぱり一言謝った方が良いんだろうか。そう思うけれど、でも一体なんて謝れば良いんだろう。


 子ども扱いしてごめんなさい?

 

 違う。

 別に子ども扱いしたつもりはない。

 こんなことを言ったら逆効果だ。

 あの時は本当に、社会に出たら名刺なんて挨拶代わりに渡すものだから、深い意味なんてないんだって、そう言いたかっただけなのだ。白南風さんを傷つけるつもりなんてなかった。


 そんなつもりはなくても、相手は傷つく。こちらの想定外の解釈をして、勝手に傷ついてしまう。だから。


 だからやっぱり年下とは合わないと思う。

 私と白南風さんはやっぱり、都合の良い恋愛小説の登場人物ではないのだ。

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