サワダマチコの婚活

宇部 松清

第1章 学食のおばちゃんに結婚は程遠い?

第1話 職業:学食のおばちゃん

 沢田さわだ真知子まちこ、三十二歳、独身。

 職業、学食のおばちゃん。年収約三百万。

 性格は、よく言えば控えめ、悪く言えば気弱のコミュ障。


 学生の頃や二十代の時はそれなりに男の人から声をかけられることもあったけど、いまとなってはそれもない。結婚はしたいけど、年々拗れていくこの性格が災いして、人の助けがないと出会いなんて無理と気付き、結婚相談所に入会して数ヶ月。平日は学食のおばちゃんとして働き、ちょいちょい相談所に顔を出して、どうにか紹介してもらえた人と顔合わせデートしてみるものの惨敗続き。それが私の日常だった。


 だったのに。

 今回も駄目だったという手応えしかないデートの後で、


「マチコさんはこれまで通り過ごしなよ。婚活だって続けりゃ良い。だけど、絶対に俺が落とす。絶対に俺のものにするから」


 五つも下の大学院生にそんなことを言って迫られるなんて、誰が想像出来ただろうか。


 話はその数週間前に遡る。


 


「マチコちゃん、こっちのB定の仕上げお願い!」

「はい!」


「マチコちゃん、あっちにお皿! コップもフロアに出してきて!」

「わかりました!」 


 お昼時ピークタイムの学食は戦場だ。

 大学生なんて選択している講義もまちまちだし、その日の授業が一コマしかない、なんてこともあるのだが、それでもこの時間に昼食をとる人は多い。


 ウチの学食はほぼ食券制(一部例外あり)だから、会計の手間がない分楽ではある。

 私達はそれぞれ持ち場というのがあって、揚げ・焼き場担当、サラダや小鉢の盛り付け担当、それから主食と汁物の担当に、カウンターでの受け渡し担当の人は最後の仕上げで薬味を散らしたりなんてこともする。もちろんその日の献立によってはその忙しさにばらつきがあるので、担当の枠を超えた助け合いが必要だ。一番下っ端の私はというと、それらのサポートはもちろん、カウンターの端に置いてある調味料の残量に目を光らせたり、基本的に片付けはセルフとなっているはずなのにテーブルの上に置きっぱなしになっている食器を片付けに行ったりと、臨機応変にあれこれ立ち回らなくてはならない。


 お客の大半は学生だ。稀に教授などの講師陣や総務職員も来るけれど、ほとんどが当然のように学生で、年下である。いわゆる『食堂のおばちゃん』然とした大ベテランさんは、気安く砕けた態度で接客するが、それによってクレームが来ることはない。むしろ『学生食堂』という空間には、そういった温かみのある――心の距離が近い対応が求められていたりする。


 けれど私はというと、元々の性格もあって、それが出来ない。


「B定のお客様、お待たせ致しました」


 トレイを滑らせながらカウンター前を横移動してくるお客にそう声をかける。横入りでもされない限り順番が乱れることはないため、料理の提供は流れ作業だ。左から回ってきた料理をそのまま渡す。今日の私の作業はカウンター前での調理の仕上げと提供だった。


「あれ、違う人だ」


 ひょ、と身をかがめて調理場内を覗き見るような姿勢になったそのお客が、私と目を合わせて言う。ちょっと目つきの鋭い男性だった。ネームプレートを下げていないから学生だろうか。でも、それにしては大人びているような気もする。エプロンに刺繍された名前をちらりと見られ、「沢田さんか」と呟く。


「小林さんいないの? 休憩?」


 カウンター端のカトラリー置き場から箸とグラスを取り、醤油のボトルに手を伸ばしながら、そう問われる。


「今日、小林さんはお休みで」


 ピークタイムに休憩に入る人なんているわけがない。小林さんは本日有給休暇だ。


「あ、そう」

「何か言付けなどありましたら――」

「ないよ別に。なんか随分と丁寧な人でびっくりしただけ」

「あ、そう、ですか」


 そう言うと、その人はアジフライに醤油を垂らして行ってしまった。


 丁寧な人。


 たぶん、褒め言葉ではないだろう。『丁寧』という言葉自体は悪い意味を持っているわけではないけれども、私に向けて発せられるそれは、きっと本来の意味ではない。


 つまらない。 

 他人行儀。

 親しみがない。


 この辺りだろうか。

 小さい頃からずっと言われてきたのだ。真知子ちゃんはいつも丁寧ね、と。それは、私の手際が悪くて時間がかかりすぎることを揶揄する目的であったり、それでも良いところを見つけようとしてくれての言葉だったりもしたけれど。


 人との距離の詰め方がわからない。

 昔からそうだった。私なんかが気安く近付いたり、話しかけたりして良いのだろうかと、そればかりが気になってしまう。だから、同級生など、相手のことをよく見知っている場合にはそれなりに砕けた対応が出来るけれども、それ以外――例え後輩であっても――はとにかく相手に失礼のないようにと敬語で接してしまうのだ。


 そんな余計なことを考えている間にも、どんどんとお客は回って来る。


「はいよ、A定。あらっ、田中君じゃない。まーた唐揚げばっかり食べて」

「いやいや、ここの唐揚げ美味いっスから。仕方ないっス」

「野菜も食べなさいねぇ。あらちょうど良かった。心なしかキャベツ多めだわ」

「げぇっ! 勘弁してくださいよぉ」

「残したらただじゃ置かないから」

「わかりましたよぉ」

「アハハ! 午後も頑張って!」


 私の左隣にいる安原さんが、そんな会話をしながらA定食を提供する。田中君と呼ばれた学生は、ほころんだ顔で去っていった。そんなやり取りを羨ましくないと言ったら嘘になる。やれるものなら、私だって。


 私の視線に気付いた安原さんがマスクをしていてもわかるくらいの笑みを向けてくれる。


「マチコちゃんはそのまんまでも良いのよ」


 私の心を見透かしたようにそう言って、「あたしらはね、ホラ、そういうのがウリのおばちゃんだから」と続け、後ろにいる人達に「ねぇ?」と声をかける。すると焼き場と調理台付近にいた数名が「そうそう」と返してきた。ここの人達はみんな優しい。女性だけの職場は人間関係がギスギスしている、なんてよく聞く話だけど、私はここでそんなことを感じたことはない。


 この学食で働いているのは、正社員とパートがそれぞれ四名ずつの系八人。五十を過ぎた既婚女性が多く、三十二歳の私が一番若い。一番歳が近いのが四十五歳(って言ってた気がする)の小林さんだ。中には「マチコちゃんなんて娘みたいなものよ」という人もいるが、さすがにそれは言いすぎだと思う。

 安原さんはここの一番の古株で、理事長の親戚に当たるらしい。その縁で就職したとか何とか。


「だからあたしは影の支配者ってわけ!」


 と豪快に笑うけど、もちろん本当に影で支配している、なんてことはない。


 正社員の勤務時間は午前六時から午後三時までの早番と、午前十一時から八時までの遅番があって、いずれも一時間の休憩ありの八時間労働。パートタイムの人も早、遅番があるのだが、こちらは固定だ。出勤時間は同じで退勤時間がそれぞれ二時間早い。休憩一時間ありで、六時間労働だ。ここの営業時間は午前九時から午後七時、土日祝日がお休み。最も混むのはピークタイムと呼んでいる午前十一時から午後二時頃だが、それ以外の時間でも利用者はぽつぽつといる。それこそ、履修している講義の関係で昼食時間がズレる生徒もいるし、混雑する時間をあえて避ける人もいるのだ。


 けれども、ピークさえ過ぎれば調理場内は平和そのものである。雑談に花を咲かせながら大量の食器を片付けたり、翌日の仕込みをしたりするのだ。


 前の会社を辞めてここで働くようになって三年。

 私はその雑談の輪に、まだうまく加われないでいる。

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