第2話 結婚相談所での婚活

「残念ながら、お相手の方からお断りが」


 そう言って、向かいに座る男性は息を吐いた。不透明のアクリル板で両隣を仕切られた相談用スペースで、私は肩を竦め、「すみません」と返す。


「あっ、そんな落ち込まないでください! これからですよ、これから! まだまだ大丈夫ですよ、沢田さん!」


 私の態度に慌てた様子の彼は、カタカタとパソコンを操作し「でも今回は、二回、でした、よね、会うの」と画面を見ながら問い掛けてくる。


「記録更新じゃないです?」

「ええ、まぁ」

「沢田さん的には、何と言いますか、その、反省点、というか、そういうのは」

「反省点、ですか」

「もちろん、沢田さんのみに非があるとは思いませんけど、僕は。こういうのって相性ですから」


 こちらを見て、はは、と軽く笑いかけてくる。それに「そうですね」と返した。会話のキャッチボール。そう己に言い聞かせる。

 

 彼は、ここ、『六月町ろくがつまち結婚相談所』の相談員で、名前は後藤さんという。下の名前も、年齢もわからない。だけど、たぶん私とそう変わらないんじゃないだろうか。左手の薬指に指輪をしているから既婚者だと思う。だいたい週に一回、仕事終わりにここへ通っている。

 

 後藤さんは私が一向にその『反省点』を語らないのを見て、まずいことを聞いてしまったとでも思ったのだろう、「あの、なければ別に良いんですけど」と取り繕うように愛想笑いを浮かべて再びパソコンの方に視線を戻した。いくら紹介してもらう側だとしても、こちらが月額料金を払っている以上、やはり客商売なのである。


「仕事、を」


 そう絞り出した声が、「大丈夫です、僕が必ず成婚まで」という後藤さんの言葉と重なってしまう。私はいつも、間が悪い。いつもこうして誰かの話し出すタイミングと被ってしまうのだ。こういう時の声は大抵うんと小さくかすれ気味なため、聞き取ってもらえることも少ない。騒がしいピークタイムの学食ではもっとちゃんと出せるのに。


「仕事?」


 けれどさすがプロである。後藤さんは私のその声をきちんと拾い上げてくれた。


「仕事がどうかしましたか? ええと、貝瀬かいせ学院大学の学生食堂勤務ですよね?」

「そうです。それを、その」

「はい」

「辞める気はないかと、言われまして」


 しゃべる度に、前回のデートを思い出し、ずん、と気持ちが沈んでいく。


『学食のおばちゃん、ってこと?』


『正社員? 学食のおばちゃんって正社員とかあるんだ』


『それでいくら稼げるの?』


「――ね、年収は相手の方にも伝わってるはずですよね? だけど、あの、改めて確認されて、それで、だいたい三百万くらいですって言って。それで、どこで働いてるのかって話になって、学食だって言ったら、その、笑われて」


『なんだ、そんなに安いんだ。いや、正直さ、嫁が学食のおばちゃんやってるってのはちょっとね。しかもその程度の年収でしょ? ねぇ、仕事変える気ない?』


 その男性は、そう言ったのだ。

 嫁が食堂のおばちゃんやってるってのはちょっとね、と。年収が低いのは否定しないけど。


「そんなにおかしいでしょうか、『学食のおばちゃん』って」


 悔しくて涙が出そうになるのを、ぐっと堪えて顔を上げる。あまりの勢いに、後藤さんはちょっと驚いたようだった。


「お、おかしくなんかないですよ。ちゃんと働いていて、僕は立派だと思います!」

「ちゃんと働いているとか、そういうことではないんです。男の人からしたら、恥ずかしいんでしょうか、私の仕事は」

「食堂勤務が、ですか?」

「違います。『学生食堂のおばちゃん』が、ってことです!」


『なんかさ、学食のおばちゃんって、若い男目当てみたいな印象があるんだよね』


『いや、いっそ五十、六十のおばちゃん――いやおばあちゃんか、そこまでいけば孫でも愛でる感じってことでむしろ微笑ましいんだけどさ。だって、そういう人達って絶対に結婚して子どももいるじゃない?』


『でも君みたいなさ、三十代の未婚女性が働いてるのってさ、何かいかにも若い男を漁ってる感じに見えちゃうっていうかさ。しかも大学生ってのが絶妙に生々しいじゃん』


『だってさ、数パーセントでも「あわよくば」とか思ったことない? あるでしょ?』


 これまでに会った男性から言われた言葉だ。これ以外にももっとあるけど、内容としては同じである。


「私は、そんな気持ちで働いたことなんてないです。私はただ、学生食堂の雰囲気が好きなんです。調理場のあの忙しない空気が好きなんです。料理に携われて、だけど、必要以上の接客もなくて、流行り廃りでお客さんの数が減ったりしないし、それから――」

「落ち着いて。沢田さん、落ち着いてください」


 気づけば立ち上がっていたらしい私に、深呼吸深呼吸、と言いながら着席を促す。図らずも周囲の注目を集めてしまっていたことを知って、ぶわっと顔が熱くなる。


「す、すみません。取り乱しました」

「いえ、良いんです。何だか今日は沢田さんの『人間らしい』一面が見えた気がして、僕は嬉しいですよ」

「人間らしい……」

「あっ、すみません。これも失言ですね。いや、なんていうか、沢田さん、あんまり相手の方への条件もないじゃないですか。毎度毎度言ってますけど、結婚相談所ここに来る女性って、結構相手の方のスペックに貪欲なんですよ」


 年収は一千万以上だとか、年齢は二十代でとか、身長は百八十は欲しいとか。


 そんなことを、気持ち声を潜め、指を折りながら挙げていく。


「でも、沢田さんは、最初から『どんな方でも良いです、ご縁があれば』の一点張りだったじゃないですか」

「だってその、わからなくて」

「ですよね。いえ、別に悪いことではないんですけどね? 結婚がご縁、っていうのはその通りですし。実際に会ってみないとわかりませんし。だけど、正直、そうやって条件をずらずらーって並べる方ばかりでしたので、ちょっと拍子抜けしちゃったというか」

「はぁ」

「でも、結婚って一生のものですから、ある程度条件はあった方が良いんです。お酒やたばこ、ギャンブルはNGとか」

「確かにまぁ、それは」

「とりあえず、沢田さんはお仕事に関しては譲れない、ということですね。このままお続けになりたい、と」


 その問い掛けに「そうです」と返す。


「いまの仕事にやりがいと誇りを持っていらっしゃるなんて、素敵じゃないですか。それに、共働き希望というのは、強いです。しかも沢田さんの場合は正社員ですからね」

「お給料は……安いですけど」

「パート勤務よりはお相手の受ける印象も違いますよ。……それでは、こちらの方はいかがでしょう。年齢は四十三歳。結婚後も専業主婦ではなく、共働き希望。年収は四百万。市内に三店舗ある小売店の店長をなさっていて、その店舗間での異動はありますが、市内なので引っ越しなどの必要はないはずとのことです。いまの仕事をお続けになりたいのであれば、県外への転勤があるようなお仕事をされている方よりは良いんじゃないかと」


 いかがですか、というその言葉に、私は「お願いします」と頭を下げた。 

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