第3話 弟のお嫁さんからの後押し

 それでは、来週の日曜に顔合わせということで。


 その言葉をもらい、もうすっかり通い慣れた相談所を出る。


 弟の奥さん――麻美あさみさんに勧められて始めた婚活は二年目だ。最初はネットで情報を集めたりと自分自身の力でどうにか出来ないかと動いていたが、私のようなコミュ障の人間がそれで相手を見つけられたらこの年まで売れ残ってはいない。諦めてこの相談所に登録したのがつい数ヶ月前のこと。


『独身でも構いませんけど、私達に迷惑かけるのはやめてくださいね。まさかと思いますけど、ウチのれんに介護とか、期待してないですよね?』

『お義姉さんみたいなのは早めに動かないと、マジで一生独りですよ?』

『いま、孤独死って増えてるみたいですよねぇ』


 麻美さんから投げかけられた言葉は、的確に私の急所を抉ってきた。別に甥っ子に介護を期待していたわけではないけど、このままだと本当に独りで生涯を終えることになるだろう、死のその瞬間も私は独りなんだろうか、という不安は常にあった。


 子どもは、まぁ、出来れば良いと思うけど絶対じゃない。専業主婦になりたい、養ってほしい、というわけでもない。ただ、そばにいてくれる人が欲しかった。好きな仕事を続けさせてくれて、毎日温かいご飯を作って出迎え――るのは遅番の日は難しいけど、朝晩を共に過ごして、苦楽を共にして、共に支え合って、一緒に笑い合える人と出会えたら嬉しい。そんな気持ちで始めた婚活だった。


 何となく、『結婚』というのは、それなりの年齢になれば勝手に降って湧いてくるもの、普通に生きていれば当たり前に通過するイベントのようなものだと思っていた。だって、自分の両親も結婚してるんだし。親戚の中にも独身の人はいなかった。皆どこからか相手を見つけてきて、気付けば結婚している。お見合い結婚、社内恋愛。出会いの形は様々だが、皆、収まるところに収まっている。


 だから、私も。

 適齢期になれば、自然に。


 だけど、そうではないと知った。


 二十代前半までは声をかけられることも何度かあった。結婚を前提にと交際を申し込まれたこともある。けれどそれはほとんどの場合、名前を知っている程度の間柄の人からだったので、まずはお友達から、と返事をした。何せその当時、こちらには恋愛感情がなかったのだ。その下地がない相手とのお付き合いなど考えられない。けれど好意は無下に出来ないし、仲良くなって、距離が縮まればもしかしたらと、そう思ったのである。


 しかし、試用期間のような関係が始まると、相手は途端に距離を詰めてきた。気安く手を握られ、抱き寄せられる。それが嫌で、早々に関係を終了させること数回。『友達』の先に『交際』や『結婚』の二文字がちらつく関係など、最初から本当の『友達』ではなかったことにやっと気付いて、それからはきっぱりと断るようになった。


 そうして異性からの誘いを断り続けていくうち、『そう大した美人でもない癖になんか勘違いして男を選り好みしている』と陰口を叩かれていることに気付いた。どうやら私の顔の作りは、一応そこそこの部類に入るようで、どんなに愛想がなくとも、一定の人気のようなものがあったらしい。恋人や妻の候補にはならないものの、『目の保養枠』という訳の分からないポジションを与えられていたようだ。


 元々そんなに出会いがあるわけではなかった。同じ部署、あるいは隣の部署、もしかしたら行きつけのお店の店員さん。そんなところだ。後は、定期的に開催される合コンである。しかしそれも、職場の女性社員を敵に回せば当然声もかからない。そのうち、部署内でも、私の、根も葉もない噂が流れるようになった。


『大人しそうな顔をして裏では男をとっかえひっかえしている』

『取引先の重役に色目を使っている』


 それに疲れて会社を辞めた。

 そこは社宅だったから退職と同時に実家に帰って、次の職を探した。いまの職場への再就職を機に家を出て一人暮らしを再開し、近況報告もかねて帰省した時に投げつけられたのが、


『お義姉さん、婚活でもしたらいかがですか?』


 の言葉だったのである。



 自販機で缶コーヒーを買い、近くのベンチに腰掛ける。

 お盆を過ぎればあっという間に秋が来る。温かい缶を両手で包み込んで、はぁ、とため息をつく。


 あの相談所から紹介された男性は、この数ヶ月で十数人。そのすべてから、私はお断りされている。一番早かったのは、待ち合わせをして、出会ったその瞬間に「やっぱり良いです」とUターンされたやつだ。理由は『着ている服がイメージと違ったから』とのこと。どうやらその人は私以外にも同じようなことを繰り返していたようで、相談所を強制退会させられたらしい。それはまぁ、事故のようなものだとしても、だ。


『料理が得意なら、何もそこじゃなくても良いじゃないか』

『そんなに稼げない仕事じゃなくて、もっと良いところに勤められないか』


 始めての顔合わせ――デートで私が相手の男性から言われた言葉だ。人によって言い回しは違うけれども、必ずと言って良いほど、この辺りの言葉を投げつけられる。


 ただ、これくらいならまだ良い。私が一番許せないのは、


『なんかさ、学食のおばちゃんって、若い男目当てみたいな印象があるんだよね』


 お会いする男性の方では、年収三百万程度なのであれば、何もわざわざ学食じゃなくても良いだろう、という考えがあるようだ。はっきり言われたのは前回の彼だけだが、それ以外の数名についても、一応言葉を選びつつではあったけれど、それらしきことは言われたのである。つまりは、『大学の学生食堂勤務』というのは、若い男を漁っているように見える、と。


『男を掴むにはまず胃袋からって言うもんねぇ。うん、まぁ、事実ではあるよね、実際ね』

『いや別に、君がそうって言いたいわけじゃなくてね。そういう目的の人もいるよね、ってこと。一般論だよ、一般論』

『でもさぁ、ぶっちゃけどう? そういう気持ちが0ってわけでもなくない? もし、もしだよ? どうする? その年下の学生さんからアプローチされたらさ。悪い気はしないんじゃない?』


 そんな言葉を投げかけられた。

 

 そりゃあ胃袋を掴むというのは大事だと思う。毎日おいしいご飯が食べられたら幸せだし。それに、自分の武器と呼べるものが正直あまりない私にとって、料理は切り札だ。後藤さんも、「正社員として働いている上に家事能力もある、これは大きな加点ポイントですよ!」と言ってくれた。だけれども、その加点ポイントも、職場が『大学の学生食堂』というだけで、マイナス方面に傾いているっぽいのが現状なのである。


 きっと彼らの中で私は、『仕事と称して男子大学生を値踏みし、料理の腕でもって落とそうとしている女』に見えているのだろう。


 反論させてほしい。

 学食の料理は皆で作っているのだから、私だけの腕でではない。もし仮にそれで落ちた男子生徒がいたとしたら、彼は学食のおばちゃん全員とお付き合いしなくてはならなくなるだろう。


 結婚を取るか、仕事を取るか。


 まさか『学食のおばちゃん』というのがここまでネックになるなんて思ってもみなかった。

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