第40話 これで本当に終わり

「何してんの、マチコさん」


 白南風さんである。


「し、らはえさん……でしたか」


 良かった。

 白南風さんだった。

 岩井さんじゃなかった。


「ごめん。驚かせて」

「い、いえ、あの、大丈夫です。その、岩井さんかと思って」

「岩井? アイツならこれまでの腹いせに教授けしかけて七時頃に帰らせたけど?」

「か、帰ったんですか。なんだ……良かったぁ」


 あんなこと言うから、もうてっきり岩井さんかと思った。ここを通ることをあらかじめ調べてて、草むらに潜んで――、ってさすがにそこまでするわけがないか。よくよく考えたら私ごときにそこまでするはずがないよね。ていうか、教授をけしかけたって何!?


 ホッとしたのか肩の力が抜けて、はぁぁぁぁとかなり深いため息が出た。すると、腰を少し落とした白南風さんにガッと両肩を掴まれて、真正面から視線を合わせられた。


「何、なんかされたの、アイツに」

「へ?」

「ここでアイツの名前が出るのなんておかしいじゃん。何? 何されたんだよ」

「ま、まだ何もされてません」

「まだ?! まだってことはこれからされるかもってことじゃん。あの野郎!」

「落ち着いてください白南風さん。私の勘違いですから! それよりも白南風さんはどうしてこんなところにいたんですか? あの、研究の手伝いとかいうのは」


 そう自分で問い掛けてから、そういや本当にどうして白南風さんがこんなところにいるのだろう、と気付く。やっぱりパッと浮かぶのは『ストーカー』という文字だったけど、いやいや、彼には一緒にアクセサリーを選ぶ若い彼女がいるはずだ。だからきっと本当に偶然なのだ。


 すると、白南風さんは私の肩から手を離して、気まずそうに視線を泳がせた。それで、ぽつりと一言、「ごめん」とだけ言う。


 私何か謝られるようなことしたっけ? むしろ数日前にみんなの前で迷惑だとか言って白南風さんに気まずい思いをさせたのは私の方だ。謝るなら私の方なのではないか。そう考えていると、その無言に耐えられなくなったか、白南風さんが、はぁ、と小さくため息をついた。


「一時間くらい前に戻って来たんだけど、どうしてもマチコさんと話がしたくて、その、待ってた。ごめん。ほんとごめん。引かないで」

「え。待ってた、って。ここで、ですか?」

「そ」

「私が遅番かもわからないのに?」

「いや、まぁ、アイツが口滑らせてたから遅番なのはわかってたというか……。だからまぁ、待ってたのは十分くらいなんだけど」


 いやいやいやいや!

 十分って言ったって、もう十二月だよ!? 風邪引いちゃう!


 白南風さんの手を見ると、彼は手袋も何もしてなかった。暗くてよくわからないけど、真っ赤になっているのではないだろうか。思わずその手を取り、ぎゅっと包むようにして暖める。


「ちょ、マチコさん?」

「駄目ですよ白南風さん。冷えてるじゃないですか。手袋はお持ちじゃないんですか?」

「えっと、家に帰ればあるかもだけど、その……」

「どうしました?」


 寒いからなのか、もぞり、と身体を捩るような動きをし、口をむぐむぐさせている。


「いや、手」


 その指摘でやっと自分がしていることに気付く。私ったらなんてことを! しかもこの人彼女持ちなのに!


「ご、ごめんなさい。つい……!」

「待って」


 慌てて離すと、今度は逆に私の手を取られた。


「離さないでよ、頼むから」

「えっ、と? そんなに寒かったですか? そうだ、自販機で何か温かいものでも買いませんか? とりあえずそれで暖を」

「それも良いんだけど、そうじゃなくて」

「そうじゃなくて? どうしました?」

「だから、その、マチコさんと話したくて」

「そういえばそういう話でしたね。あの、なんでしょうか。もしかして先日の私の態度で気分を害されたとか、そういうことでしたら、その、申し訳ありませんでした」


 手を取られたまま、ぺこりと頭を下げる。学食とはいえ、接客業であることに変わりはない。お客に対してさすがにあの対応はまずかっただろう。そう思って、謝罪した。けれど。


 顔を上げると、白南風さんは、なんだかとても悲しそうな顔をしていた。眉を下げて、ぐっと唇を嚙んでいる。


「何で」

「何でって言われましても。だって、白南風さんはお客さんですし」

「そうじゃなくて。何で急に態度変わったんだよ。俺、なんかしたかよ。一緒に飯行っただけじゃん。俺、何もしなかったよな? 手……は、繋いだけど。それとも気付いてないだけでまた何か失言でもしてた?」

「え、いや、その」

「向こうでもずっと考えてたけど、全然わかんねぇんだよ。なぁ、教えてよマチコさん。俺何かしたのか? マチコさんに嫌われるようなこと何かしたのかよ」


 握った手を、くい、と引き寄せられる。それを、こつ、と額につけて、はぁ、と白い息を吐く。縋るような、弱い声だ。


「せっかく近付けたと思ったんだぞ。これからって思ってたのに、いきなり突き放されて、訳わかんねぇ」

「それは――」


 むしろそれはこっちのセリフだ。

 私だって、これから何かが変わる気がしてた。期待をしてしまいそうになってた。だけど、先に裏切ったのは白南風さんの方だ。


「ご、ご自分の胸に聞いてみたらどうでしょうか」

「はぁ?」

「わ――、私は、やっぱり、その、二番目とか、遊びとか、身体だけとか、そういうの良くないと思います。嫌です」

「は? マチコさん何言ってんの?」

「白南風さんにしてみれば、私は周りにいないタイプだったんでしょうし、か、からかって面白かったのかもしれませんけど、私は、そういうの全然面白くないです」

「ちょ、おい」

「私のことが良いと思ったのだって、他の女性と違って落ちなさそうだったから、ですもんね。それじゃあ、はい、落ちたってことで良いです。もう良いですよね? 目的達成ってことで良いですよね?」

「マチコさん?」

「もう本当に私のことは放っておいてください。クリスマス、ご予定あるんですもんね? さっき岩井さんから聞きました」

「いや、それは」

「あの人と素敵なクリスマスをお過ごしください」

「ちょ、あの人って何のことだよ」

「該当する方がたくさんいて見当もつきませんか? そのうち本当に刺されるかもしれませんから、ほどほどになさってくださいね。笠原教授が悲しみます。それでは」


 言うだけ言って、強引に手を振りほどき、走り出す。まさか追いかけてはこないだろうと思ったけど、予想通り、あたりに響くのは私一人の靴音だ。


 終わった。

 これで本当に。

 謝罪もしたし、言いたいことも全部言った。

 と思う。

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