第39話 一人の帰り道
それからは、たぶん、まぁまぁ平和な日々だった(最も、あの『報告』の後、調理場内は大騒ぎだったらしく、翌日以降もその話題で持ち切りではあったけど)。というのも、白南風さんが学食に顔を出せたのは数日だったからだ。
どうやら隣県にある他大学の研究の手伝いに駆り出されたらしい。岩井さんの後輩がいる大学らしく、良い経験になるからと、彼の代理で行かせることにしたのだとか。準備や何やらで憔悴しきってたけど、運転手役まで押し付けてやったと岩井さんが笑いながら教えてくれたのである。笑うところではないのではと思ったけど、白南風さんにしばらく会わなくて済むとわかり、それについてはホッとした。いつ戻って来るのかはわからないが、私には関係のないことだ。
十二月になればあっという間に世間はクリスマス一色である。例の婚活パーティーは、通常は第三日曜のところ、せっかくのクリスマスシーズンということで、一週ずらし、第四日曜に開催されるらしい。偶然にもクリスマスイブである。ここでうまくいけば二十五日は二人でお過ごしください、ということらしく、毎年、クリスマス当日は避けているとのこと。今回はたまたま日曜がイブだったのだ。
通常の婚活パーティーならば、多少カジュアルな恰好でも良かったらしいのだが、さすがにクリスマスが絡むとなると、それなりのドレスコードを要求された。結婚式の二次会に参加する時のような服装が好ましいのだそうだ。そこまで気合を入れなくても良いんですけどね、と後藤さんは言っていたけれど、多少はフォーマルな恰好がお勧めです、と。私だって一応そういう服の一着や二着は持っている。何せ、つい最近まで同級生の結婚ラッシュだったのだ。
そんな、パーティーを数日後に控えた二十日の水曜日である。
「マチコさん。いま少しだけ良いかな」
遅番勤務で翌日の仕込み作業をしている午後四時、遅い昼食のために来た岩井さんが、小林さんと軽い雑談の後で、奥にいる私に話しかけてきた。調理場の奥で真壁さんが「出た!」と小声でつぶやき、「あたしあの人どうも好きになれないわぁ」と笹川さんがA定食の食券を忌々し気に握りしめる。
「何でしょうか」
正直気は進まなかったけど、無視したらしたでこの人は面倒臭いのだ。
「クリスマスって空いてたりしない? 二十四でも二十五でも良いんだけど」
「あらっ、なぁーに、こんなところでデートのお申込み?」
小林さんがちょっとおどけながら割り込み、それに岩井さんが「まぁ、そんなとこですかね」と返す。
「ええと、あの、予定、が」
まさか婚活パーティーとは言えないけど。あるにはある。
「どっちも?」
「え、と。二十四です」
「それってさ、アイツとじゃないよね?」
「あいつって」
「白南風だよ。なんかアイツ最近おかしくてさ。出発前もだけど、応援先でも全ッ然無駄口も叩かないで黙々と仕事片付けてるらしくてさ」
「それは良いことなのでは」
「そうなんだけどさ。なんていうの? 鬼気迫る感じっていうか。それで、何かあったのかって聞いたらさ、クリスマスに大事な予定があるんだと。だから何としても早めに終わらせて帰る、なんて言ってるみたいでさ」
「ちょっと岩井さん、もしかして意地悪で仕事増やしたりしてないわよね? 返答によってはこのA定に毒仕込むわよ?」
「ハハハ、やだなぁ小林さん。さすがに俺だってそんな鬼じゃないですってば。ちゃーんと後輩には、終わる量を出すように指示してますから」
「なーんか含みのある言い方なのよねぇ」
私もそう思う。
たぶん、『不眠不休でやれば終わる量』とかそんな感じなのではないだろうか。だとしてもまぁ、私には関係ないけど。だって大事な予定というのは、例の彼女と過ごす、ということなんだろうし。
「まぁ、そういうわけだから、もしかしてマチコさんと何か予定入れてるのかな、って思ったわけ。でも、違うんだよね?」
「違います。白南風さんと予定はありません」
「それなら良かった。それじゃあさ、二十五日、どう? 食事でも。空いてるんだよね?」
「結構です」
「結構ですっていうのは、OKってこと?」
「どうしてそんな解釈になるんですか」
「いやほら、『結構です』って、そういう意味もあるからね? 俺としてはそっちの解釈でお願いしたいんだけど」
「お断りします。これでよろしいでしょうか」
「つれないなぁ、マチコさんは」
でも、クリスマスだよ? と案の定しつこく食い下がる岩井さんに、調理場の奥から「はい、A定上がりまーす!」という真壁さんの声が聞こえてくる。マチコちゃん、こっちお願いと笹川さんにも呼ばれ、天の助けとカウンターを離れた。それで出来上がったA定食をカウンターへ運ぶと、岩井さんは何やらまだ話したりなそうにしていたけど、「この時間にいるってことは遅番ってことだよねぇ」と何やら恐ろしい発言を残してフロアの奥へと去っていった。
「……マチコちゃん、夜道には気を付けるのよ」
「気を付けろと言われましても」
「そうよね。あっ、そうだ、一緒に乗ってく? 今日、アイツ迎えに来るからさ」
アイツ、というのは小林さんの彼氏さんだろう。まさかそんなお邪魔するわけにはいかない。
「大丈夫です。あの、寄るところもありますんで」
「そう? 別にあたしは構わないけど」
「いえ、すぐ近くですから、大丈夫ですって」
あとはまぁ、小林さんは良いとしても、彼氏さんと一緒の空間というのが やはり気まずい。気を遣って話しかけられてもうまく返せる自信がないし、恋人といる時のいつもとはちょっと違う小林さんを見るのもなんだかちょっと恥ずかしい気がする。それに、すぐ近くなのは本当なのだ。途中にはコンビニもあるし、もし万が一岩井さんに捕まったとしても、そこまでどうにか逃げれば。
八時になり、タイムカードを切って裏口のドアを開ける。あんな恐ろしい発言を残していったけれども、そこに岩井さんの姿はなく、私と小林さんはホッと胸を撫で下ろした。
駐車場で待っていた小林さんの彼氏さんにも軽く挨拶をすると、やはり途中まで送っていこうかと言われたけれど、それを丁重にお断りして私は歩き出した。数秒後に小林さんを乗せた車が私を追い越していく。それを見送って、何となく、夜空を見上げる。はぁ、と吐く息が白い。今回のパーティーで何かあれば良いなと思う。結婚したいと強く思うのは、やはりこういう寒い季節だ。
別に迎えに来てほしいわけじゃない。迎えになんて来てくれなくても良い。部屋を暖めて待っていてほしいというか、私が待つ側でも良いんだけど、とにかく、二人で暖かい部屋の中で、湯気の立つものを食べたいのである。
人肌が恋しくなるとはよく言ったものだ。寒いと何だか心にぽっかり穴があくようで、そのスカスカのところを冷たい風が抜けていく。内も外も寒い。それを暖めてくれるのは、やはり人の体温だと思う。
クリスマスが近付いてきて、どこを見渡してもそれの気配で満ちている。スーパーやコンビニはもちろん、寂れた商店街でもイルミネーションだけは力を入れていたりして。スマホのニュースアプリのホーム画面すらリースやらサンタの顔やらがちらつくのだ。
私はあと何回一人のクリスマスを過ごすのだろう。願わくば、今年が最後であってほしい。なんて、ついネガティブなことを考えてしまう。今年が最後ということは、今年も一人で過ごす気満々ではないか。もうすでにイブのパーティーで何も起こらないと自分で認めているようなものである。
せっかく参加するんだし、少しは勇気を出してみないと。
そう決意してみるものの、果たしてその時になってその『勇気』とやらは私の奥底から浮上して来てくれるだろうか。
来てくれるだろうか、じゃない。なんとしても引っ張り上げなくては。そんなことを考え、その『勇気』を引っ張り上げるべく、えいやっ、と一本釣りのジェスチャーをする。大丈夫、周囲には誰もいないはず、と油断していると、トン、と肩を叩かれた。
えっ、何。もしかして岩井さん?!
恐る恐る振り向くと――、
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