第24話 事件はいつもここで
それで、だ。
「マチコさんっていうんだ」
「……ええ、まぁ、はい」
例のカフェである。
結局あの後、白南風さんはサチカさんに「いまからそっち行くから、絶対にマチコさんに何もすんなよ。ちょっとでも傷つけたら許さねぇから。ていうか、触んな。指紋もつけんな。あんま見んな、減る!」とよくわからないことを並べ立てていた。どうやらその一言一言がサチカさんにとっては気に食わなかったようで、その度にこちらをギッと睨みつけられる始末。
触るなはまだしも、見るなとか無理でしょ。確かにあまり見られる……というか睨まれると神経がすり減るけど、そこまでの配慮は良いから、あの、ほんと刺激しないで。怖いのこっちなんだから!
それでとりあえず、どこか店に入って待っているように指示を出したらしく、そういう経緯で、いまここにいる、というわけだ。さすがに人の目があるところで刃傷沙汰にはならないだろう。そう信じて、変な汗をかきながら彼女と向かい合っている。
「あ、あのあのあの、私、ほんとに、その」
どうしよう。
ここでズバッと否定して良いものかどうか。ここまで来たら彼女の振りをするべきなんだろうか。とりあえず白南風さんの到着を待った方が良いだろうか。
「てかさ、アンタいくつ?」
「さ、三十二、ですけど」
「何だ、思ったより若いんだ。あたしといくつも変わんないじゃん。てかさ、何であたしよりもおばさんのアンタが恭太の本命なのよ」
「ですから、あの」
私、白南風さんの本命じゃないですから!
言って良いかな? 良いよね? そしたら私きっと帰って良いって話になるよね?
でもそうなったら、白南風さんはどうなるんだろう。この店に向かっているわけだから、私がいなくなった後、この人と二人で話し合うことになるはずだ。外でいきなり頬にビンタをするような人である、刺すまではいかずとも、このお冷をぶっかける可能性はある。
そうなれば、白南風さんはここにはもう来られないかもしれない。出禁とかはないだろうけど、普通に来づらくなるはずだ。そしたら彼はあの小説をここでは読めないんだな。なんて考えると、少し可哀想に思えてしまう。いや別に、小説なんてどこでも読めるし! 私なんかさっき外で読もうとしたからね!
「そんで? アンタは働いてるんだって?」
「え、あ、はい。働いてます」
「ふーん。どうせスーパーのレジ打ちとかでしょ?」
どうせ、って何。
どうしてスーパーのレジ打ちをそんな低く見るんだろう。あなたはスーパーで買い物をしないんですか? 高校生の時に少しだけレジのバイトしたことありますけど、あれってかなり頭使うし結構大変なんですよ?
本当はそう言い返したい。
「いえ、あの、飲食店で働いてます」
白南風さんの大学の学食で働いているとか言ったら駄目だ。そう思って、濁す。
「はぁ? 飲食ぅ? 何、その年でレストランとか? 周り学生バイトばっかりじゃない? おばさんが学生と同じ制服着て働くとかありえないんだけど! ウケる!」
何が面白いのか、サチカさんは手を叩いて笑い出した。真正面から見れば、きれいな人ではある。きちんと手入れしているのだろう、髪だってきれいに染められていてツヤツヤだし、着ているものもおしゃれだ。変に若ぶっている感じでもなく、年相応っていうのだろうか、落ち着いたデザインのカットソーにタイトなスカートである。お化粧だって上手だ。マニキュアもきれいに塗られている。
それと比べて、今日の私は本当に地味なおばさんである。私とサチカさんの年の差はたった二歳なのに、じゃああと二年で彼女が私のようになるかと言われたら、恐らく違うだろう。視線を落とすと目に入るのは、爪切りでただパチパチと切っただけの、何も塗られていない素爪だ。手袋をするとはいえ、飲食勤務だ。マニキュアなんて塗れない。
「あ、あの、ええと、あなたは――」
「
存じ上げてます、とは言いづらい。
「えと、サチカさんは、その、お仕事は」
何とか話を引き伸ばして白南風さんの到着を待とう。そう思った。けれども、私に出せる話題なんてこんなものだ。
「してない。辞めた。働くわけないじゃん。女はさ、どうせ結婚するんだし、旦那に養ってもらえば良いんだしさ」
「あの、ですが、最近では共働きも増えていて」
「はぁ?
「あの、お言葉ですけど、こ、このご時世、男性一人の稼ぎでというのは」
「だーから! 年収一千万とか稼ぐ男を捕まえれば済む話じゃん。教授になったらさ、そんくらい稼ぐわけでしょ? それに、その辺のサラリーマンよりも『教授』って響きが良いじゃん」
ああ、白南風さんが言ってた通りだ。職場が『大学』だからか、進学するかのようにとんとん拍子に教授になれると思っているのかもしれない。それに『響きが良い』って何だ。仮に自分の夫が教授だとしても、すごいのは彼であってあなたではないのに。
「かもしれませんけど、教授になるまではものすごく時間がかかるみたいですよ? 何年かかってもなれない人もいるみたいですし。せめてその期間だけでも働いて支えたりですとか」
そう言うと――、
「アァ?!」
「ひぃっ!?」
がっつり睨まれた。
思わずおかしな声が喉から出る。
「ああわかった。そうやって取り入ったんだ。恭太君は研究頑張って、お金は私に任せて、って。成る程ね、金か。貢いでんだ。そうだよね、アンタみたいな地味なおばさん、そういうところでしか役に立たないもんね。道理でバイトもしてないのに普通に暮らせてると思ったわ。それで? ご飯作ったり掃除洗濯したり? お小遣いとかあげたりして、そういうのでポイントを稼いでたってわけね。恭太の家、いつもきれいだったしね。アンタがやってくれてたんだ。ありがとねぇ」
いや、それ、私じゃないです。
そんな「あなたがきれいにしたお部屋、私が使わせてもらってごめんなさいね」みたいな顔されても、あの、私、白南風さんのご自宅すら知りませんから。
ていうか白南風さん、あの時お邪魔させてもらった研究室は酷い散らかりようだったのに自宅はきれいにしてるんだ。なんか意外。ああでも、部屋は散らかってるけど職場のデスクはきれいとか、車の中はきれいとか、そういう人の話聞いたことあるし、その逆パターンなのかも。あっ、それとも、サチカさんの他にもそういうのをしてくれる人がいるとか? 何か勝手に世話を焼かれるとか前に言ってたし。いや、でも、そういうのが嫌でもう止めたんだっけ? でもサチカさんみたいに身体の関係だけの人はいるんだよね?
「ちょっと! 何か反応しなさいよ! 何なのアンタ!」
私が無反応であることにサチカさんはイラついた様子である。そうか、普通ならここで泣くなり、悔しそうにするなり、反論したりするのか。私が本当に白南風さんの彼女だったら。でも私、違うし。
「マジで意味わかんない! 何でアンタみたいなのに恭太を取られなくちゃいけないのよ! アンタのせいでここ数ヶ月電話もメールも無視されまくりだし、やっと捕まえたと思ったら別れ話とか! 何でよ! いつから付き合ってんのよ、アンタ」
私もわかりません!
どうして彼が私につきまとうのかもわかりませんし、いつから付き合ってる設定なのかもわかりません! ていうか白南風さん、自然消滅を狙っていたのかな。問題を先送りにしたツケが回って来たのだろう。それで、逃げ切れずに捕まって、別れ話をしたらビンタ、という流れになるのか。これは自業自得すぎる。
「あ。あの、他のお客さんもいますし、少し声を」
「うるさい!」
「ひええ」
何でこの人こんなに怖いの? 白南風さんはサチカさんのどこが良くてお付き合いしたの? あ、してないんだっけ。だとしても!
「恭太も遅いし! ここ禁煙だし!」
「あの、煙草は身体に悪――」
「いちいちうっさいんだよ、おばさん!」
「すみません……」
どうしてこんなに怒られなくちゃいけないんだろう。私一応仕事帰りで疲れてるんですけど。あと、私もおばさんですけど、あなたもたぶんカテゴリ的にはおばさんです。恐怖で手が震える。ぎゅっと握ると指先はカチカチに冷えてしまっていた。
と。
「悪い、マチコさん。待たせた」
はぁ、と息を切らせて白南風さんが現れた。
「ちょっと、待ったのあたしもなんだけど!」
それについてもサチカさんはギャンギャンに噛みついていたけど、彼の方ではそれをまるっと無視して、近くの店員さんにアイスのカフェラテを頼むと、私の隣に座った。ぐい、と袖でこめかみを伝う汗を拭う。
「こんなに走ったの久しぶりだわ。ごめんな、あん時あんなこと言ったのに、汗かいてて」
あの時って何のことだろうと思ったけど、金井さんとのやりとりで確か汗まみれの人とデートは、なんて話をしてたっけ、と思い出す。
「いえ」
小さく返すと、膝の上に置いた手をギュッと握られた。走ったせいで血の巡りが良くなっているのだろう、大きくて温かな手である。それで、けほ、と小さく咳き込んでから、「それと、巻き込んじゃって本当にごめん」と詫びられた。
ええと、それに関しては正直怒ってますけど。それより手を離してもらえません?
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