第26話 そういう性格ってだけ

 顔を真っ赤にしたサチカさんが、聞き取れないくらいの早口で何かをまくし立てた後、千円札をテーブルに叩きつけて席を立つ。それを見て、私も慌てて腰を浮かせた。


「あの!」


 サチカさん、ホットコーヒー一杯しか飲んでないのにそれは多すぎます! そう思って立ち上がるのを、「マチコさんは座ってな」と白南風さんに止められた。


「何よ」


 上からギロリと睨みつけられ、身体が竦み上がる。けれども、こういうのはきっちりしなくては。


「あ、あの、それ、多すぎます」

「は?」

「ここのコーヒー、三百五十円です」

「何が言いたいわけ」

「あの、お釣りを。私、細かいのありますから」


 さっき自販機のコーヒーを千円札で買ったから六百五十円は確実にある。鞄から財布を取り出して小銭を探す。すると、白南風さんが、ぶふっと吹き出した。


「え、な、何ですか……」

「いや、律儀だなって思って。普通そこまでする?」

「だって、もったいないです」

「なんつーかさ、普通、迷惑料とかそういう感じでその辺ってなぁなぁにしたりしない?」

「なぁなぁに……しません。それはそれ、これはこれだと思います。お金は、大事です」


 なので、これ、と六百五十円を差し出す。サチカさんは何やら不思議そうな顔をしつつもそれを受け取り、しばらく黙っていた。その静けさが不穏だ。


 あっ、もしかしてこの小銭投げつけられたりする感じ!? しまった、その可能性もある!? まぁでも私が痛いだけでお店的には被害とかあんまり……。いや痛いのは嫌だけど! でも待って、五百円玉は危ないかも! グラスに当たったら割れちゃうんじゃない!?


 そんなことを一瞬で考える。


「す、すみません。あの、どうか投げるのとかは、ほんとに、その。グラスに当たったら割れちゃうかもなんで」

「は?」


 サチカさんが、思いっきり眉間にシワを寄せて、その顔を近付けてきた。おい、と白南風さんが私をかばうようにして手を伸ばしてくる。


「あ、あの、五百円玉は結構重さがあるといいますか……」

「はぁ?」

「ひぃ。どうかどうかお財布の中にお収めくださいぃ」

「ちょ、恭太。大丈夫なの、このおばさん」

「おばさん言うな。マチコさん、大丈夫だから。サチカも一旦座れ。マチコさんが怖がってるだろ」

「はぁぁ?」


 一層ドスの効いた声を発して、サチカさんは再びソファに腰を下ろした。目線が同じになり、テーブル一つ分の距離が空くと少しだけホッとする。


「お前がいちいち高圧的だから、マチコさんがビビってんだよ。わかれよ」

「はぁぁ? あたし別に全然高圧的じゃないし。このおばさんがか弱い振りしてるだけじゃん。ほんとむかつく。こういう『ワタシ、彼がいないと生きていけないの〜』みたいな女」


 えっ、ちょっと待って。私ってそんな風に見えてるの!? むしろ逆! 生きようと思えば一人で生きていけるの! そのために働いているの! もしもの時のために保険だって色々かけてるし、運転免許だって一応持ってるし! 車はないけど。


 だけど、一人で生きていけるからって、一人でいたいわけじゃない。だから婚活をしているのだ。


 本当はそう言い返したい。だけど、私はこういう時にズバッと恰好よく言い返せるヒロインじゃない。


「違うだろ」


 サチカさんの言葉に反論したのは白南風さんだった。

 

「男がいないと生きていけないのは、お前の方じゃん」

「なんですって?」

「マチコさんはな、俺のこと頼ったことなんて一度もねぇよ。そもそも自分一人の稼ぎで暮らしてるんだから。俺の稼ぎをあてにしてさっさと仕事辞めたのはお前だろ。いまだに実家暮らしで家事も出来ないしな。寄生先を親から俺に替えようとしてるだけじゃん。マチコさんはな、こういう性格なの。気弱なの。ちょっとオドオドし過ぎのコミュ障ってだけなの。それと自活能力は関係ねぇの」


 最後の方ちょっと悪口混ざってませんでした? とも思ったが、でも、その通りである。


 私は、実家からの援助なんて当然だが受けていない。お給料は安いけど、その日の日替わり定食が賄いとして食べられるし、おかずが余った時には持ち帰ることも出来る(まぁそんなことはそうそうないけど)から、平日の食費は朝と晩の分だけ。婚活以外にはこれといってお金のかかる趣味もないし、流行りに疎いから服や鞄だって同じものを手入れしてずっと使っている。美容室だって、三ヶ月に一回くらい。それで、ちまちまと老後のための貯金をしながら慎ましく生きているのだ。


 白南風さんに言い返されたサチカさんは、何も言えずに唇を噛んでいる。


「というわけで、繰り返しになるけど、俺はそういうマチコさんが良いの。カッコ良いじゃんか、自分のことは全部自分で出来る自立した女性って。あのな、マチコさんって働いてる時、すげぇテキパキしててカッコいいんだぞ。キリっとしててさ。そういうところに惚れたの、俺は」


 っつぅわけでせっかくだから俺達、このままデートするから、もう帰れな?


 白南風さんがそう言うと、サチカさんは小銭を握っている方の手にぐっと力を込めて私の方を見た。私の方、というか、私の目の前に集められているグラスやカップ達を、だ。慌てて再度両手で覆って「駄目ですよ?」と言うと、「しないし」と吐き捨てるように言って、鞄を持ち、行ってしまった。コツコツというヒールの音が遠ざかり、へなへなと背もたれに身を預ける。


「怖かったぁ……」


 そんな言葉が思わず口を突いて出る。すると、腰を少し浮かせてサチカさんが退店するのを見届けた様子の白南風さんが、ソファの上を滑るようにして少し私から距離を取り、ガバッと頭を下げてきた。


「ほんっとーに、ごめん! ごめんなさい! すみません! 申し訳ありませんでした! マジで丸刈りでも何でもする!」


 白南風さんは様々な言い回しで謝罪の意を伝えて来た。


「ここは全部俺が出すし! あっ、ケーキとか! ミルクレープでも何でも! ほら、マチコさん!」


 そんなことを言いながら、「ちょっとごめん」と手を伸ばし、テーブルの端にあるアクリルスタンドをこちらに向けてくる。


 もちろん完全に巻き込まれた形だけど、もう過ぎた話ではあるから、正直もうどうでも良い。そんなことより、ちょっとだけ休ませてほしい。実のところ、まだ心臓がバクバクいっているのだ。


 けれど、私が何も反応しないものだから、相当怒っていると思ったのだろう、白南風さんは見たことがないくらいに――といってもそれほど深い付き合いでもないから当然なんだけど――焦り出した。


「ど、どうしよう。マチコさん相当怒ってるよな?! やべぇどうしよ。俺、マチコさんに嫌われたら生きていけない……! っていうかもしかして、マチコさん怒らせたって学食のおばちゃん達に知られたら、俺明日から大学ガッコ行けない? 安原さん達に何されるかわからない……!」


 あああ、と大袈裟に頭を抱えてテーブルに突っ伏すその姿がやけに芝居がかっていて面白く、つい、ぷっ、と吹き出してしまう。それを聞き逃す白南風さんではない。


「笑った! いま笑ったよな?! 良かった! マチコさんがやっと反応してくれた!」


 ここで畳みかけろ、とでも言わんばかりに、アクリルスタンドを持って、「見てほら! 今季限定の新作ミルクレープ! マロンだって! めっちゃ美味しそうじゃね? 食べよう! これ! コーヒーもお代わり頼むし!」と、ずいずいと迫ってくる。よく見れば、その目は少しだけ潤んでいて、鼻の頭も少し赤い。もしかしたらそこだけは芝居じゃないのかもしれない。なんかその必死さがちょっとだけ可愛く思えてくる。


「……白南風さんの奢りですからね」


 観念したようにそう言えば、「もちろん!」と何度もうなずいて、高々と手を上げ「そこのきれいなお姉さん!」と調子の良いことまで言って店員さんを苦笑いさせていた。 

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