第2章 地味な30代、きれいな30代
第14話 カフェでの初顔合わせ
日曜日。
本日初顔合わせのお相手――
私は、いつものように、一張羅のツーピースを着て、こういう時にしか出さないパンプスを履く。髪は元々癖のないストレートだ。仕事の際にはそれを一つにまとめてお団子にし、ネットの中に入れているが、今日はそれを下ろして、少しでも見栄えが良くなるようにとハーフアップにした。これが、顔合わせの時のいつもの私だ。
「すみません、お待たせして。ええと、沢田さん、ですよね? 金井です」
「あぁいえ、全然。あっ、あの、沢田と申します。本日はその、よろしくお願いいたします」
お待たせして、といっても、彼が来たのは待ち合わせ時間ちょうどだ。私の方がちょっと早く来てしまっただけである。余程急いで来たのか、到着した金井さんはふうふうと息を切らせていて、額に汗まで浮かべている。なかなかに立派なお腹をお持ちの――まぁ立派なのはお腹だけではなかったけど――男性だった。
「そんな緊張なさらず。ええと、その、何か飲み物でも頼みませんか? まだですよね?」
「あ、はい」
金井さんは私にメニューを差し出すと、片手をあげて店員さんを呼んだ。
「アイスコーヒーのトールサイズと――、沢田さんは何にします?」
「え、えと、それじゃあ私も同じものを」
反射的に、そう言ってしまう。
正直に言えばもっとじっくり吟味したかったけど、店員さんを待たせているから仕方ない。この季節にアイスコーヒーはきついので、せめてホットコーヒーと言えば良かった。まぁでも室内は温かいし、何とか。
ほどなくしてそれは運ばれ、私達はちょっと騒がしいカフェ内で向かい合った。
「あの、早速ですけど、ちょっとお話させていただいてよろしいでしょうか」
「は、はい、もちろん」
「なんていうか、その、結婚観といいますか、その、今後のすり合わせといいますか、なんですけど」
「はい」
相談所に登録している人間は当たり前だが結婚を目標にして動いている。だから最初の顔合わせ――デートでもこの手の話から始まるのは不思議なことではないし、ムードも何もないなんて怒り出す人もいない。むしろ、私達には悠長にお互いの気持ちを高めていく時間などないのだ。面と向かって対話して、わずかにでも二人の未来が見えたら、本格的な交際に発展させる。その交際にしても、あくまでも『結婚までの準備期間』のようなもので、段階を踏んであれやこれやを済ませ、なんてことはない。結婚の資金が既にあるのなら、すぐにでも式の準備に入ったり、ないにしても籍だけを先に入れて式は後でゆっくり、あるいは家族や親しい友人を呼んでの食事会やフォトウェディングのみ、なんてこともある。とにもかくにも私達にとっては『結婚』が最優先事項なのである。
そういうわけで。
「まず、俺はですね。プロフィールはもうご覧いただけていると思うんですけど」
「あ、はい。ある程度は」
「『
「あ、はい」
「それでですね、ええと、沢田さんは――あの、飲食店勤務と伺ってます」
「はい、そうです」
「お料理、得意なんですか?」
「得意というか、まぁ。あ、あの、実家が食堂をやってて、その。そういうのが身近だったというか」
「そうなんですね。いやぁ、沢田さんの手料理、いつか食べてみたいなぁ、なんて」
「あ、はい、そうですね。機会があれば」
まずまずの滑り出しだ。と思う。会話は、弾んでる。私にしては。うん。
「でもさすがにご自宅に行くのは早すぎますしね。もしよろしければ、その職場にでも食べに行けたら、なんて思うんですけど」
はは、と人懐こい笑みを浮かべ、しきりにハンカチで汗を拭う。
「すみません、あの、食堂って言っても、実は大学の学生食堂なものですから、学外の方はなかなか……」
相談所のプロフィールには飲食店勤務としか載せていない。大学の学食と正直に書くと印象が悪いとか、そういう理由ではなく、ただ単に、複数ある職業欄から選択する形になっているのである。雇われているのは大学だが、職務内容から考えれば『飲食店勤務』で間違いないはずだし、相談員の後藤さんもそれで大丈夫とのことだった。
だからいつもこのタイミングで詳細を伝える形になる。トラブルを避けるため、実際に会うまでは具体的な職種や勤務先などを伏せておく、というのがあの相談所のシステムなのである。
「大学の、学生食堂?」
「はい」
「それは……例えば、沢田さんの母校とか、そういう縁で?」
「いえ、そういうわけでは」
「どなたかお知り合いの紹介とか?」
「そういうわけでもないです」
「じゃあ、何で?」
その、怪訝そうな視線が、
『わざわざ面接を受けて、それで正社員として働いてるんですよね?』
と、問い掛けているように感じる。
「あ、あの、か、通いやすくて。その、家から歩いて通えるので」
「あぁ、成る程。近いと良いですよね。え――……と、結婚しても、続ける、ってことで、良いんですよね?」
「そう、ですね。辞めるつもりはないです」
「そう、ですか」
そこで金井さんは言葉を区切ってアイスコーヒーを飲んだ。私の方はまだ三分の一も減っていないが、彼の方はほぼ氷だ。
「あの、もしよろしければ、というか、なんですけど」
「……はい」
何となくだけど、私はもうこの後の言葉がわかる。
その仕事、替えられませんか、っていう。
いつもこのタイミングなのだ。
妻が『学食のおばちゃん』というのは、余程外聞が悪いらしい。
「ウチの近くって、結構飲食店いっぱいあって、どこかしらで募集かけてるんですよ。あの、正社員じゃなくても良いんで、もし、沢田さんさえ良ければ」
「が」
「――え?」
「が、学食のおばちゃんって、そんなにイメージ悪いですか?」
「え、いや、あの」
「若い男を漁ってるみたいでみっともないですか?」
「いえ、そういう意味じゃなくて。ほら、一緒に住むようになったら遠くなるかもですし」
「それは! その、電車とかバスとか、自転車とかでも全然通えますし! あの、通勤手当もちゃんと出ますから!」
「あ、そう……」
ちっとも納得していないような顔だ。
もっともらしいことを並べているけど、結局のところは、職を替えてほしいのだろう。このご時世、せっかく正社員で働いているのに、たかだか多少通勤時間が長くなるからといって辞めさせるなんておかしい。第一、一緒に住むとなったら、二人の職場の中間地点に新たに部屋を借りれば良いのではないだろうか。そりゃあ数年置きに勤務先が変わるのなら、完全に中間地点とはならないだろうけど、それにしたって、どうして私だけが彼に合わせなければならないのだろう。
そう思って俯いていると――、
「だっさ」
そんな声が、私達の後ろの席から聞こえてきた。
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