第13話 何もかもが駄目に思えてくる

 例えばもし、私がもっとコミュニケーション能力が高かったら。白南風さんの言うように『冗談として流す』力があったなら、年齢をネタにされてももっとうまく返せたはずなのだ。言い返すでも良いし、自虐ネタに走ることも出来ただろう。もっとシンプルに笑い飛ばすだけでも良かったはずだ。


 だけど、それが出来ないでここまで来てしまったのだ。友達は0ではない。学生時代からの友人はいる。だけどそれにしても、社会人になって生活リズムが変わったら自然と疎遠になってしまった。だからいまは悩みがあっても相談出来るような人もいない。婚活については相談員の後藤さんに話せるけど、そうじゃなくて、例えばランチでもしながらとりとめもなく会話するような、そんな人が私にはいないのである。


 実家の家族だって、最近では腫れ物扱いだ。二歳下の弟の義孝よしたかは若いうちに結婚して、家の食堂を継いでいる。授かり婚で、甥っ子であるれん君は五歳。妻の麻美さんに似た可愛い子だ。私と違って順風満帆な人生を歩んでいるといえるだろう。帰省の度に結婚はまだか、良い人はいないのかと言われ続けてきたが、結婚相談所に入会して婚活を始めたと言った途端、それはパタリと止んだ。プロに任せたことで安心してくれているのか、人の手を借りないと男性と出会えないような娘であることにいまさら気付いて情けなく思っているのか、それはわからないけど。


 年齢に関する話題を振ってから、私が再びしゃべらなくなったのを気まずく思ったのか、パッと手を離した白南風さんが、その手をそのまま自身の頭の方へやって、「ごめんって」と言ってきた。


「何がですか」

「失言したと思って」

「別に、気にしてないです。衰えは事実ですし」

「気にしてんじゃん。口数減ったし」

「減るも何も、元々ほぼないようなものですから」

「それでもさ。あのさ、そんなに俺と話すの嫌?」

「嫌というか、その、本当に苦手で」

「俺が?」

「いえ、その、人と話すのが」

「えぇ。でも結婚するんだろ? したいんじゃなかった? これからするとか言ってたじゃん。そんな全然しゃべんないでどうやってコミュニケーションとるつもりなの? 手話?」

「――っそ、それは、そうですけど。でも、その時になったら、ちゃんと」

「その時? その時って? そんなんじゃまず出会いだって難しくね?」


 なんだかんだ言ってもさ、出会いのきっかけってやっぱコミュニケーションありきっていうかさ、と言いながら、ずい、と顔を近付けてくる。街灯のちょうど真下だったから、その整った顔が良く見えた。


「だ、大丈夫なんです。ちゃんとセッティングしてもらって――」

「セッティング?」


 顔面の圧に負けて口が滑った。

 

「セッティングって何? 合コンってこと? すげぇじゃん、マチコさん。合コンとか行けんの?」

「ちっ、違っ。合コンなんてとてもとても」


 あんな場、私が行けるわけないじゃない! 昔は数合わせで声をかけられたけど、本当に地獄だったし!


「それじゃ何? 友達に紹介してもらうとか、そういう感じ?」

「あ、あぁ、えっと、その……」


 私は馬鹿だ。

 嘘でも何でもここで「そうです」って即答しておけば良かったのに。つい、言い淀んでしまったのである。そんな私の様子を見てピンと来たのだろう、白南風さんはビッと人差し指を立ててにんまりと笑った。


「わかった! アレだろ、相談所とか! いまそういうのあるもんな!」

「んなっ。ど、どうしてわかったんですか!?」


 さらにはそんなことまで言ってしまい。


「おお、当たった当たった。成る程、そうか。いや、話には聞いてたけど、実際に通ってる人は初めてだわ。へぇ、そうなんだ」

「あ、あの、どうか職場の人には内密に……」

「何で?」

「何で、って。だって、何か恥ずかしいというか」

「恥ずかしいことなの? あれ? 相談所ってなんかいかがわしいやつじゃないでしょ? 出会い系のアプリとかさ、そういうのじゃなくて、ちゃんとしたとこじゃん」

「そ、そうですけど」

「ヤリモクの出会い系アプリで婚活してるっていうなら別だけど、相談所のは別に恥ずかしくないんじゃない?」

「それは……白南風さんがお相手に困らないから言えることだと思います。自分から積極的に動けないから、ああいうところを利用せざるを得ないんです。そうでもしないと結婚出来ないんです、私は。そんなの情けないじゃないですか」


 弟は、そんなものを頼らなくてもちゃんと自力で相手を見つけたのに。


 私は、何もかもお膳立てしてもらわなければ、男の人と出会うことすら叶わない。


 本当に、情けない。


「な……なんか、白南風さんといると、自分がみじめになります。ので、ここで失礼させていただきます」

「は? ちょ、何で?」

「これ以上ついてきたら、大声を出します」

「またまたぁ、マチコさん、そんなんで大声なんて出せるの?」

「ピークタイムでも、調理場の奥からカウンターの向こうにいる学生さんに聞こえるくらいの声は出せます。学食のおばちゃんを舐めないでください」

「あ、そうだった」

「脅しじゃないです。本当に叫びますから」


 本当のことを言えば、それくらいの声が出せるのは、やっぱりピークタイム限定だ。やっぱりあの場の空気というか、そうせざるを得ないという切羽詰まった状況でもないとあの声は出ない。だけれども、どうやら白南風さんは信じてくれたようである。何やら悔しそうな顔をしているのが見えたけど、そんなの構うものかと、私は一人で歩き出した。


 靴音は、たぶん私一人だと思う。

 こういう時、おしゃれな女性はコツコツと音の鳴るヒール靴を履くんだろう。そんなことを考えてつま先に視線を落とす。履きなれたウォーキング用のスニーカーである。職場からアパートまでは歩いて約十分だ。別にそういう靴が履けない距離ではない。業務中は支給された耐油長靴を履くし、全く問題はない。だけど、何かあった時のために――なんて、よくわからない防災意識でスニーカーを選んでいる。


 そういうところも。


 そういうところも全部ひっくるめて駄目な気がする。そういうところまで気が抜けているから。学食のおばちゃんだからと、油断しているから。正社員としてバリバリ働いている三十二歳なんて、婚期云々とか出産のリミットがどうとかを抜きにすれば、一般的にはまだまだきれいというか、内面からにじみ出る大人の魅力なんていうのもあったりするはずだ。


 私には、それがない。

 ただただのらりくらりとこの年まで生きてきて、結婚なんて時期が来れば誰でも出来るのだと甘く見て、それで、いまになって焦っている。対人スキルなんてものも全く身に着けて来なかった。何もかも、自然とどうにかなると思っていたのだ。


 そして、どうにもならずに、現在、私は一人でいる。

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