第12話 どうして一緒に歩いてるんだろう

 職場を出たのは八時十分頃だった。

 営業時間後なので、外に出るのは裏口を使ってすぐだ。


 扉を開けたすぐそこに、白南風さんはいた。身仕度も済ませ、壁にもたれてスマホをいじっている。この時間ともなればいくら灯りがあるといっても、外の暗さの方が勝る。スマホのライトに照らされた白南風さんの顔は、まぁ確かにかなりのイケメンだ。月を背負って壁にもたれているその姿はまるで映画かドラマのワンシーンのようである。


 それで。

 

 どういうわけか、二人で並んで歩いている。いや、並んで、というのは語弊がある。私の方がさくさくと数歩前を歩いて、その後ろに白南風さんが続いている、という状態だ。どうにか振り切ろうと早足で歩いているんだけど、さすがは男の人。全然振り切れないし、たぶん走ったところで追いつかれる未来しか見えない。


「マチコさん」

「……」

「なぁ、マチコさんってばさ」

「……」

「おーい、聞こえてる? 何? もう聴力も衰えちゃうわけ? 三十二ともなるとさ」

「――そ、そんなこと!」


 あまりの失礼発言に思わず言い返してしまう。


「お、やっと反応があったな。良かった。俺、歩く銅像でも相手にしてんのかなって思ったわ」

「あ、歩く銅像です。私なんて、歩く銅像ですから、あの、話しかけないでもらえませんか」

「何でさ」

「私、言いましたよね? お受け出来ませんって」

「聞いたけど?」

「ですから、その彼女の振り云々は他の方をあたってください。私と似たような背格好の方にこういう……地味な恰好でもさせて」

「地味な恰好って……。まぁ、地味か」


 ふむ、と頭の天辺からつま先までじぃぃと見つめられる。ストレートのジーンズに、スレートグレーのカットソー。あったか素材のパーカーは黒。お世辞にもおしゃれとは言い難い恰好なのは自覚している。色もデザインも野暮ったいけど、くたびれているわけではない。物は良いのだ。おしゃれな若者向けブランドではないけど、素材も縫製も良いから、長く着られるのである。

 

 いまの若い子達は皆おしゃれだ。寒い季節だって細くきれいな脚を出して、髪だってきれいに巻いてる。お化粧だってばっちり。私だってさすがに顔合わせの時はそれなりの恰好もしてお化粧も気合い入れるけど、普段はナチュラルメイクという名の手抜きメイク。だってどうせ仕事中も通退勤時もマスクで顔の半分が隠れるんだし。


「でもまぁ、働く女の恰好ってそういうもんじゃない?」

「そうですか? でも、会社勤めのOLさんなんて、もっとおしゃれじゃないですか」

「それは、そこがそういうのを求められる職場だからでしょ。マチコさんの職場は学食あそこなんだし、おばちゃん達、皆そんな感じじゃん」


 皆そんな感じ。


 それはそうなのだ。

 私もおばちゃんだし。学食のおばちゃんだし。それはそうなのだ。私だって事ある毎に『学食のおばちゃん』を連呼してる。一括りにしている。それなのに、いまはそれが悲しかった。


 だって、私以外の人はほぼほぼ既婚者なのだ。それに、私よりも全然年上だ。私はいま婚活中で、『夫』となる人に見初められなくちゃいけないのに。選ばれないといけないのに。未婚でもパートナーと同棲中の小林さんを含め、職場の人達は既に『選ばれ』終えた人達だ。その人達と『同じ』ではいけない。そう思っていたはずだった。


 まだ三十二と思ってた。婚活市場では、女の価値は『年齢』だ。相手を探す男性は、女性を『年齢』で振り分けている。晩婚化がどうとか言われているけど、それでも女性にはリミットがある。出産だ。相談員の後藤さんが厳しいことを言いますが、と前置きをして「大事なことなのではっきり言いますね」と最初に教えてくれたのは、「婚活が長期化すると不利なのは女性です。三十五を過ぎたら、希望する条件の男性とは出会えないと思ってください」という言葉だった。


 一般的に、三十五歳を超えると、自然妊娠の確率はぐっと低くなる。もちろん個人差はあるだろうけど、統計上はそうなっているのだ。


 だけど私はまだ三十二。

 子どもは絶対に欲しいわけではないけど、産めない年齢じゃない。まだあと三年猶予がある。私なんかと添い遂げてくれるのなら、別にうんと年上でも構わないと思ったし、共働きのつもりでいるから、世帯年収で五百万もあれば、まぁ何とか生きていけるだろうと思ってた。後藤さんに「もう少し望んでも良いんですよ」と言われて、それなら、と年齢を四十代後半までに狭めたのだってごく最近のことだった。話が噛み合わなくなるかもと思ったからだ。でも、それだけ。


 現に、ちゃんと紹介はしてもらえているのだ、まだ。そりゃあ選び放題ってくらいにたくさんではないけど。でも、私としては選り好みするつもりなんてないし、毎回、この人が人生の伴侶かも、ってつもりで顔合わせしている。ただ、振られるだけで。


 だから、心の奥底で、私はまだ若いという自負があった。実際、職場では最年少だし。だけど、白南風さんのような若い男性からは、十も二十も上の人達と同じ括りで見えているのだ。たぶんもうすっかり溶け込んいるのだろう。年齢云々ではなしに、服装や雰囲気といった、きっとすべてが。彼からすれば、私は正しく『おばちゃん』なのである。 


 そう気付いて、目の前が暗くなる。


「――危なっ」


 ショックでか、足がもつれてよろける。腕を掴まれて転倒は免れた。


「すみません。ありがとうございます」

「気をつけなよ。何? 何もないところで転ぶタイプ? やっぱ年取ると足腰も弱くなんのかね」


 また、年齢の話だ。

 あなたと五つしか違いません、って言い返したい。だけど、その『五つ』というのは、どうしても超えられない壁だ。特に、三十を過ぎた私には。

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