第47話 あの時から気になってた
「まぁとにかく、麻美にはよく言って聞かせるから。マジでいままで悪かったな」
そんな言葉と、それから「彼氏とごゆっくり」なんて余計な一言まで付け加えて、蓮君を乗せた弟の車は去っていった。せっかくのクリスマスだ。麻美さんとの話、おかしな方に拗れないと良いなと祈りつつ、それを見送る。車が角を曲がって見えなくなってところで、振っていた手を下ろすと、待ち構えていたようにそれを取られた。
「あ、あの、すみませんでした、その、弟が」
「うん」
「あの、言い訳になりますけど、その、私達、実家が食堂で、それで、あまり親に構ってもらえなかったっていうか。だから、その、昔から私が結構べったりで面倒を見てたっていうか。あの、年はそんなに変わらなくて、二歳しか」
「うん」
「義孝は昔はすごくお姉ちゃん子だったというか、だからたぶん、心配してくれたんだと」
「うん」
握った手を自分の頬に当てて、小さく頷きながら、うん、うん、と相槌を打つ。
「あ、あの」
「何」
「これは、どういう」
「どういうって」
「私の手を、どうして」
「え、噛みしめてた」
「はい?」
「弟とわかった以上もうそこはどうでも良いから、とにかくマチコさんが来てくれたことを噛みしめてた。すっげぇ嬉しい。冷静に考えたらめちゃくちゃ強引な誘い方しちゃったから、来てくれないかもって思ってさ。ほんとはキスしたいけど、さすがに怒られそうだからこれくらいにとどめてる」
「は、はぁぁ? き、ききききキスとか」
「ね、そんな反応になると思ったからさ。理性的だろ」
「そ、そうなんですかね。わかりません」
「それに、今日は昨日と髪型が違う」
「さすがに、昨日と全く同じというのは、その、芸がないかな、みたいな、あの」
これくらいにとどめてると言われても、至近距離には彼の唇があるのだ。むしろ『とどめてる』、なんて言われたからこそ、何かの弾みでうっかり触れてしまうのではないか、などとちゃっかり意識してしまう。
「芸、芸かぁ」
私の発した『同じでは芸がない』という言葉に、機嫌よく笑いつつも「そこは嘘でも『あなたのためにおしゃれしてきたの』って言ってほしかったんだけど」と少し口を尖らせる。思わず「すみませんでした」と謝ると、謝るくらいならさ、とうんと悪い顔をして、私を見下ろした。
「ここから先は俺のこと、下の名前で呼んで」
「え」
「良いでしょ? それくらい。俺だってマチコさんのこと『マチコさん』って呼んでるんだしさ。それに、これから呼んでくれるって話だったもんな?」
「た、確かに……?」
言われてみれば確かにそうだけど。
「お願い、マチコさん」
「わ、わかりました」
「よっしゃ、じゃ早速――」
「あっ、あの、呼ぶ時は、そうします。いまは別に呼ぶような用事もないですから」
「ちっ、そう来たか」
下の名前なんて、家族とか、よほど親しい間柄でもなければ呼ぶ機会なんてない。昔、中学の頃だったか、同じクラスに『佐藤』が五人もいた時はさすがに名前呼びが推奨されていたけど。だけど結局、『佐藤ユウキ君』が二人いてさらに混乱したっけ。「勇ましい方の勇樹」とか「優しい方の優紀」なんて呼ばれてた気がする。あれは絶対にクラスの分け方に問題がある。
なんて考えている場合ではない。
白南風さんは、「じゃ、行こう」と私の手を取り、歩き出した。ホテルの中に入って、エレベーターに乗る。そういえば、初めて白南風さんに会った――というか捕まった――時も二人でエレベーターに乗ったな、なんてことを思い出す。あの時はまさかこんな未来が待ってるなんて思いもしなかった。人生って本当にわからない。
「マチコさん、いま何考えてる?」
「え? あの、最初の頃もエレベーターに、って」
「そうそう、俺もね、いま考えてた。あの時からマチコさんのこと気になってた、って言ったら信じる?」
「は、はぁぁぁ? まさかそんな」
「いや、マジでマジで。さすがにさ、付き合いたいとか好きとかじゃないけど、何だこいつ、この俺に声かけられてよくこんな態度でいられんな、って」
「成る程、そういう意味なら納得です」
だって白南風さんのこと知ったの、その直前のことだったし。
「でもさ、それからはどんどん違う意味で気になってったんだよな。だってマジ、予想外過ぎたっていうか」
「それは、その、私みたいなタイプが近くにいなかったから新鮮だっただけでは?」
俗にいう、「俺に靡かないなんておもしれー女」、というやつだろう。わかるわかる。少女漫画の定番だ。
「いや、めっちゃいたよ」
「え?」
「マチコさんみたいなタイプもめっちゃいた。本人目の前にして言うのは失礼だけどさ、なんか常におどおどしてて、敬語で、気弱で、そんで言いたいこと全然言えないような子、っていうか」
「本人の前でよく言えましたね。でも、悔しいけど、その通りです」
ぐぬぬ、と悔しさのあまり、繋いでいた手に力が入る。それにちょっと「
「でもさ、そういう子って、逆に暴走しやすいっていうか。ペンを貸すとか借りるとか、そういう些細な接触をしただけで突っ走って、何つーのかな、内縁の妻みたいな感じになるっていうか。私は陰ながら支えるからね、みたいな。そんで、勝手に合鍵作る率が高い」
「わ、わぁ……」
びっくりするよ、帰宅したらテーブルの上に飯と置手紙あんの、ってけらけら笑ってるけど、普通にホラーだ。
「でもマチコさん、合鍵とか作らないし」
「当たり前ですよ。怖すぎます」
「態度も全然変わらないし」
「変える必要なんてあります?」
「いや、ちょっとくらい意識してくれたってさぁ。そんで俺がどんなに押してもちょっと迷惑そうにしてんだもん」
「だって実際迷惑だったので」
「本人目の前にいんのに、そういうの言えちゃうしな」
「……すみません」
「謝んなって。いまのは笑うとこだから。それに謝んないといけないのは俺の方だし」
「え」
「顔合わせとか、ぶち壊しちゃったじゃん。俺としては、まぁ、その結果、いまこうなってるわけだし、後悔はしてないんだけど。でも、迷惑だったよな」
「それは、まぁ」
何せ美人局疑惑を持たれてしまったくらいだから。
「ごめん。ほんと、謝っても足りないと思うけど、本当にごめんなさい、でした」
「だ、大丈夫ですよ。まぁ、あの時は本当に、迷惑でしたけど」
「さすが、はっきり言ってくれるよね」
反射的にまた「すみません」と言いそうになって、うぐ、と飲み込む。そんな私を見て、「マチコさん、おどおどしてるけど、俺には案外ズバっと言ってくれんのな。俺、そういうのもすげぇツボみたい。その顔、俺、好きだわ」と、にんまり笑った。その顔は、こちらの心臓に悪い。
目的の階に着き、扉が開く。
入り口でコートを脱ごうとすると、「それは俺の役目だから」と後ろを取られた。恥ずかしいけど、それがこういう場でのマナーなのだとしたら、従うしかない。するり、とコートの下地がワンピースを滑っていく。後ろから、小さな声で「マジか」と聞こえて、「どうかしましたか?」と振り向く。何か変なところでもあっただろうか。
「昨日と違うやつじゃん」
コートを持ったままぽつり、と呟く。
「あ、えっと、あの、さすがに同じのを着るのはちょっと、って思って。もう一着持ってたので。ええと、すみません。昨日のが良かったですか?」
よく考えたら、好みだってあるのだ。
もしかしたら、白南風さんは昨日の服の方が好きだったかもしれない。同じので良い、なんて言ってたけど、実は、あれが気に入っていたパターンだって考えられる。
「いや、嬉しい。だって俺のためにでしょ」
「それは、まぁ」
そうですけど、と言いかけたところで、真正面から抱きしめられた。
「ひえぇっ、な、何ですか!」
「たまんねぇマジで。最高だわ、マチコさん」
「え、ちょ」
やめてください、お化粧が付きます!
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