第7話 口止めで、交換条件?

 とにかく、と仕切り直すように声を上げた白南風さんは「覚えてんだろ、俺のこと」と親指で自身の顔を指差した。


「……は、はぁ? ええと、まぁ、はい。こないだ小林さんのこと探しておられましたよね?」


 そう返した。まぁ、探してたわけではないんだろうけど、それ以外にどう表現したら良いかわからなかったから。すると、はぁぁぁ? と素頓狂な声を上げてデスクの上にコーヒーのカップを置く。そんな散らかったところにカップなんか置いて大丈夫なんだろうか。見ていてハラハラする。


「そっちじゃなくて! これ! これだよ!」


 と、今度は左頬を指差す。


「あ、あぁ! はい、あの、正直気になってました、それ」


 と言うと、何やらホッとしたような顔で、だよなぁ、そうだよなぁ、と再びカップを手に取る。良かった。これで零す心配はなくなったと私も一安心である。


「あの、差し出がましいようですけど、親知らずを抜いた後の腫れにはあんまり冷やしすぎって良くないみたいですよ?」


 それでさ、と話し始めた彼の言葉についつい被せてしまう。またやってしまった。どうして私ってこうも間が悪いんだ。すみません、お話遮ってしまって、と彼の続きを促すと、


「は?」

 

 またもカップをデスクに置いて、眉を思いっきり寄せてきた。


「え? いや、さっき小林さんとのお話が聞こえて。あの、親知らず抜いたんですよね? それで腫れた、って」

「違うわ!」

 

 そう言うや、その湿布の角をつまむ。そこで気が付いた。


 この人、別にほっぺた腫れてないじゃん、と。


 それじゃ一体なぜ、と呆気にとられる私の目の前で勢いよく剥がされたそれの下にあったのは――、


「あ――……」


 まだうっすらと残る、指の痕だ。もしかして。いや、もしかしなくてもこれは、ビンタの痕なのでは。そう思い至った時、昨日のあの光景が蘇ってきた。といっても、思い出したのはその瞬間の光景ではなく、きいきいとした女性の声と、秋空に響く乾いた音なんだけど。何せ私は、なるべく二人を見ないように意識してその場を去ったのだ。


「あの、もしかしてですけど、昨日、六月町ろくがつまちの公園前にいたり、しました?」

「だーから、俺はさっきからそれを言ってんの。見てたろ、って」

「い、いえ! 決して見てたわけでは! ただ、その、なんかそういう感じの声とか音が聞こえたっていうだけで!」

「はぁ? 声と音ぉ?」

「あっ、あのっ、何か女性が叫んでるなって思って、それで、なんかケンカかなって思ったんですけど、じろじろ見るのも悪いと思って、それで、すぐ帰ろうと思ったんですけど、その、コーヒーが飲みかけで、まだ。それで、あの、一気に飲もうとしたんですけど、その、噎せちゃって」

「そう、何か見たことあるやついるなって思ってたら、急にアンタこれ見よがしに咳き込むからさ。見てますよアピールかなって思ったわけ、俺は」

「すみません……。あの、違います」


 まさか私が気付く前に知られてたとは。私、あんな離れてたら知り合いとか判別出来ないんだけど!? ていうかこの人、知ってる人がいるってわかった上でそんな話してたの!? メンタルどうなってんの!?

 

「何だよ。俺だって気付いてたわけじゃないのか」

「そうです、あの、何かすみません……」

「いーよもう。謝んなくてさ。俺の早とちりみたいだし」


 はぁ、マジかよ、と言いながら、デスクの上のカップを取る。ああもうお願いだから飲み切ってしまって。もう落ち着かないから。ていうか、私もこれさっさと飲んでお暇しよう。どうやら勘違いで呼ばれたみたいだし。そう思い、まだ少し熱いコーヒーを啜る。


「そんな急いで飲まなくて良いって。また噎せるから」

「ぐっ。だ、大丈夫です。ただちょっと、その、熱くて、まだ」

「何、アンタ猫舌?」

「そういうわけでは、ないと思うんですけど」

「まぁ良いや、ゆっくり飲みなよ」


 私よりも先にコーヒーを飲み切った白南風さんは空のカップをデスクに置き、キャスター付きの椅子に腰掛けて、それを滑らせ、私と向かい合った。


「ちょっと予定とは違うんだけど」


 そう言って、じぃっとこちらを見る。ちょっと目つきは鋭いが、本当に整った顔をしている。湿布がなくなると、やはり一部の隙もないくらいのイケメンだ。


「まぁ良いや、どっちにしても」

「何がですか?」

「ちょっと手伝ってほしくてさ。ほんとは今回の口止め料ってことで交換条件のつもりだったんだけど」

「口止めで、交換条件?」


 それって何かおかしくない?

 口止めってことは、少なくともこちら側が優位な立場であるはずなのだ。別にいらないけど、『料』っていうくらいだし、例えば金銭が発生したりするわけで。それなのに、その交換条件で、手伝うってどういうこと?


「アンタさ、俺の彼女ってことにしといてくんない?」

「嫌です」


 もうほとんど反射だった。

 いつも何かと言い淀むことが多い私にしては珍しい。


「は? 何で?」

「何で、って言われましても。ていうか、ちょっとおかしくないですか? えっと、口止め料、なんですよね? あの、私の認識だと、口止め料って、口外しないでもらう代わりに、何かこちら側に有利な条件を提示する、っていうのが一般的なんじゃないかと思うんですけど」


 だよね? 私、間違ってないよね?

 別に言いふらすつもりはないけど、今回の一件に関して口外しないことの見返りが『白南風さんの彼女の振り』って、そんなの私に何の得もないし!


「いや、だからさ。有利な条件出してやってんじゃん」

「どの辺がですか?」

「振りとはいえ、俺の彼女になれるんだよ?」

「ですから、それが私にとって何の得になるんですか?」

「えっ? 俺だよ?」

「えっ? 白南風さんってもしかして何かすごい方なんですか?」


 だとしても嬉しくないけど。

 だって私、婚活中だし。あなたの彼女(しかも『振り』)になるつもりなんてないし。


 すると彼は、本気で不思議そうな顔をして、「なぁ、アンタってもしかして目ェ悪い? それとも趣味が悪い?」と聞いてきた。


「目は――決して良くはないですけど、そこまで悪くもない、と思いたい、です。趣味は……どうでしょう、自分ではよくわかりませんけど。でも、それが何か?」


 そう返すと、白南風さんは「嘘だろ」と呟いて、大きなため息をついた。

 いや、あの、ため息つきたいのはこっちです。


 そう思いながらコーヒーを飲み干し、空のカップをゴミ箱に放った。

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