第17話 どうして私なんですか?

「……は?」

「どう? 振り、じゃなくてさ。ガチのやつ。これなら良いでしょ?」

「これなら良いでしょ、の意味が全くわかりません」

「え? マジで? ガチの彼女よ。デートしたり、キスしたり、お泊まりして一緒に寝たりすんの。もちろん寝るってのは――」

「そこは言わなくて良いです」

「そ? でもまぁそういうことよ。そういうのもする関係。お揃いのアクセとか身につけたりとかしてさ。良いよ別に、何ならその先に『結婚』があっても」


 したいんでしょ、結婚、と続けられ、その言い方にカチンと来る。目の前にエサをぶら下げられている気分だ。


「どうしてですか?」

「んあ? 何が?」

「どうして私なんですか」


 あの、何度も言いますけど、私は三十二で、と言いかけた時、「なぁ、その話長くなる? カフェラテもう一杯頼んで良い? ていうか、その前にトイレ行って来たいんだけど俺」と遮られた。


「どうぞ、お好きに」


 そう促すと「そんじゃ遠慮なく」と白南風さんは立ち上がった。あの人がトイレに行った隙に店を出よう。そう密かに決意して、こっそり鞄に手を伸ばす。男の人のトイレは早いから、チャンスは一瞬かもしれない。


「マチコさん」


 鞄のベルトを掴んだところで彼が振り返る。咄嗟にその手を離して「何でしょう」と返した。


「カフェラテ頼んどいて。Mね。もし俺に黙って帰ってたりしたら、学食の人達に全部バラすから」

「そんな!」

「だよね、そんなことしないよね?」


 そんじゃよろしく、と手を振って、彼は店の奥のトイレへと向かう。駄目だ、完全に読まれてる。観念して近くにいた店員さんを呼び、カフェラテのМを二つ頼んだ。


 予想通り、ものの数分で白南風さんは戻ってきた。私が席にいるのを見て、「あー良かった、やっぱりいた」と嬉しそうな顔をしている。戻ってきてしまった以上、さっきの話の続きをしなければなるまい。


「あのですね、白南風さん」

「はいはい」


 真剣なトーンで切り出したというのに、緩んだ顔で頬杖までついている。私達の温度差は相当なものだ。


「さっきの続きですけど、私は三十二歳です」

「知ってる」

「しかも、『学食のおばちゃん』です」

「いつもお世話になっております。ああそうそう、こないだの玉子焼き、めっちゃ美味かった。焼き色もきれいで、甘さが絶妙でさ。さすが料理うまいね、マチコさん」

「光栄です。でも、そうじゃなくて」

「じゃあ何」

「私としては大変不本意ではありますけど、『学食のおばちゃん』はこれまでの婚活でことごとく不評だったんです」

「え、何で? あぁでも確かに、さっきのおっさんも何か嫌そうだったね」


 俺は別に構わないけどなぁ、と天井を軽く見上げて顎を擦る。そのタイミングでカフェラテが二つ運ばれてきた。何、マチコさんも同じやつ? やっぱ俺達相性良くない? という軽口はまるっと無視だ。


「良い年したおばちゃんが、若い男を物色しているようでみっともないんだそうです」


 砂糖を一つ入れ、ゆっくりとかき混ぜる。予想通り、白南風さんは大量の砂糖を投入していたが、私の視線に気が付くと、コホンと小さく咳払いをしてその手を止めた。いやもう、好きにしてください。糖尿になっても知りませんから。


「実際してんの? マチコさん」

「何がですか」

「物色」

「してません。そんな余裕、あると思います?」

「なさそう」

「物色するも何も、ここみたいに席まで運ぶわけでもなし、カウンターでの受け渡しじゃないですか。一瞬ですよ。物色なんてするわけないし、出来るわけもないです」


 それに、年下なんて考えてないですし、と付け加えると、彼はちょっと傷ついたような顔をした。失言だったかなと思ったけど、この言葉によって彼が諦めてくれれば、という気持ちも大いにある。


「ですから、白南風さんも、私みたいなのはやめた方が良いです。ましてや、結婚とか、あり得ないですから」

「あり得ないの? したいんじゃないの?」

「したいですけど、誰でも良いわけではありません」

「何で? さっきのおっさんは良かったんでしょ?」

「それは」

「俺が割り込まなかったら、たぶんいまでもデートは続いてたわけだし? そうなればすぐお付き合いが始まって結婚に――」

「それはないです」


 もしかしたら、その後の話し合い如何で「仕事は続けても良い」となったかもしれない。だけど、初手で『学食のおばちゃん』に難色を示したのだ。たぶん、節目節目で転職を促してくるだろう。そんな人とは結婚したくない。そこだけは譲れない。

 

 それに、それはあくまでも、が上手くいった場合の話である。私はそこだけは引くつもりがないから、話し合いは平行線のはずだ。それで恐らく明日にでもお断りの連絡が相談所に入る。そっちの方が確率としては高い。それがなかったとしても、どうせ。


「……わ、私、デートの最高記録が二回なんです。今回が仮に上手くいったとしても、どうせ次のデートで振られます」

「何でそこだけ自信満々なの。わかんないじゃん」

「わかります」


 もう何となく気付いている。

 私は相談所あそこでも結婚は無理なんじゃないかって。せっかくお膳立てされても、会話だって続かないから、相手だってつまらないだろう。こんな女と残りの人生を共になんて、我ながら嫌すぎる。


「あのさぁ、何でそんなに卑下すんのかわかんないんだけど」

「私は、白南風さんが私につきまとう理由がわかりません」

「つきまとうって……。だから、今日はたまたまだってば」

「そうですか」


 本当だろうか。だってこんな偶然そうそうないでしょ。でも、ここで顔合わせをするなんて、誰にも言ってない。相談所経由でのやりとりしかしていないし。連絡先だって、この後で交換するはずだったのだ。


「信じてないだろ。あのさ、俺の住んでるとこ、ここの近くなの。部屋の壁薄くってさ、隣の部屋、最近女連れ込んでてうるさいんだよな。でもそんなのお互い様だし、苦情なんて入れらんねぇじゃん。だけど、そのせいでおちおち本も読めないわけ。それで、ほら」


 と顎でしゃくって見せたのは、結構な厚さのある文庫本だ。真ん中あたりにしおり代わりにしているのだろう、レシートが挟まっている。最近映画化された、ミステリ要素のある恋愛小説だ。


「ここで読んでんの。俺だってさ、結構忙しいんだよ? 論文も書かなきゃだしさ。教授の実験の手伝いも研究もある。息抜きくらいさせてよ」

「別に私の許可なんて。したら良いじゃないですか、息抜き」

「あんがと。だからさ、ゆっくりこういう世界に浸りたかったらここに来るしかないの、俺は」


 だからね、マジで偶然。むしろ俺の縄張りにアンタらが来たってのが正しい。


 ゆっくりとそう言って、激甘のカフェラテを美味しそうに飲む。


「それでね、マチコさん」


 カップを置いた白南風さんが、ずい、と身を乗り出す。きれいな面輪が迫ってきて、思わずたじろぐ。


「マチコさんはさ、俺のこと、好きじゃないでしょ」

「そうですね」

「すげぇ。はっきり言ってくれるじゃん。だからさ」

「だから? だから何ですか」

「だから、良いんだ」


 見惚れてしまいそうなその顔に流されそうで、ぐっと全身に力を込める。

 目を逸らしたいけど、逸らしたら負けだ。

 気を強く持たねば、持って行かれる。


 そう思って気を張っていたのに。


「俺はさ、俺のことなんか全然好きじゃないマチコさんが良いんだ」

「は?」

「俺のことを全然好きじゃないマチコさんと恋がしてみたいんだよね」


 思いもよらないその言葉に、ひゅ、と肩の力が抜けた。


「はぁ?」

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