第18話 俺に恋をさせてよ

 疲れたんだよね、と白南風さんは言った。


「尽くされるのとか、もうマジでうんざり。勝手に合鍵作られてさ、勝手に部屋に上がりこまれて、飯作られんの。ベタベタ付きまとわられるのより陰湿で怖くない?」


 食事の用意だけではない。

 洗濯も、掃除も全部される。

 何もかもが『良かれ』と思って行われる。

 ありがたいという気持ちは早々に薄れた。

 

 その見返りに求められるのは、『白南風恭太の彼女』という肩書だ。それを維持するため、彼女らは勝手にあれこれ世話を焼くのだそうだ。余計なことははっきりと口に出しては言わない。どこかに連れて行けとか、プレゼントが欲しいとか、そんなことは一切。ほんの少し、匂わせてくるだけだ。察して、と言わんばかりに。それで、ただただ、『彼女』で居続けることを求めてくる。


「でもさ、俺、そもそも彼女にするなんて一言も言ってないんだよな」

「えっ」

「ね、怖いでしょ。その手の女って、みんなそう。『大丈夫、私は全部わかってるから』、『わがまま言って困らせたりしないし』、『私が勝手にやってることだから』、『恭太君が頑張れるように支えるから』ってさ。そういうのもはっきり言って気持ち悪いんだよね」

「で、でも、その子達は白南風さんのことを思って」

「そうなんだろうけどさ。それじゃあ、俺の気持ちってどうなんの。その人のことを思ってりゃ、当人の意思は無視して何しても良いわけ?」

「それは」

「俺の求める恋愛はそこにないんだよ。俺にもさ、俺の恋愛があったって良くない? 俺だって自分から好きになって、それでその『好きな子』を落としたい」


 疲れた顔でへにゃりと笑い、カップを持ち上げ、中が空であることに気付いてそれを置く。


「俺に恋をさせてよ、マチコさん」

「そんなの私じゃなくても」

「駄目だよ。他の女はすぐに落ちる」

「私だってわからないじゃないですか」

「大丈夫、マチコさんはそう簡単に落ちたりしない。年下は考えてないんでしょ?」

「そうです」

「それって、頼りないから? それとも働いてない――って、まぁ普通の二十七は働いてるか。院生ってのが特殊なんだよな」

「頼りないかどうかはその人にもよりますけど。なんていうか」


 言われてみれば、どうして私は年下の男性を対象外としているのだろう。相談所後藤さんに紹介されるのが軒並み年上の方だから?


 いや、違う。

 入会して間もなく、隣のブースで相談をしている女性が「同年代やそれより上の人なんて論外です! だって四十とか五十ですよ?! どうして私がそんなおじさんと結婚しなくてはならないんですか! もっと若い人を! 最低でも三十代前半の方を紹介してください!」と声を荒らげているのが聞こえたのだ。


 彼女の年齢がいくつなのかはわからないけれど、恐らくは四十とか、その辺りだと思われる。自分も『おばさん』であるのに、どうして『おじさん』は駄目なのだろう。


 結婚相談所での婚活において、女性の価値は年齢だ。一番のポイントは子どもが産めるか産めないか。だから、男性は若い女性を求める。そう聞いている。好奇心に駆られてネット掲示板もちらりと覗いてみたが、身の丈に合わない条件を並べる高齢婚活女性――そこでは三十後半以降の婚活女性はそう呼ばれていた――に対し、「身の程を弁えろ」、「お前にそんな価値はない」などというネット住民達の辛辣なコメントが飛び交っていた。


 残酷だけれど、四十代の女性は、三十代――ましてや二十代男性から選ばれることはない。私はそれを知っている。身の程を弁えている、つもりだ。


「――み、身の程、を、というか」

「身の程?」

「婚活において、三十五を過ぎた女性は、その、子どもを望めないからと敬遠されがちです」

「マチコさんまだ三十二じゃん」

「ですけど。でも、声がかかるのは二十代までで、それだって、二十九になればぐっと減ります」

「なぁ、いまこれ何の話してんの?」

「私が婚活を始めたのは三十の時でした。三十五まではまだ猶予がある、そう思っていました。だけど、そんなことはなかった。月に二人紹介されれば良い方です。それも上手くいくとは限りません。当然ですよね、お相手との相性もありますし」

「なぁ、マチコさん。何が言いたいんだよ、アンタ」

「で、ですから、つまり。私が紹介してもらえるのは、若くても四十代、あるいは五十代以降の方なんです。子どもをもう諦めていたり、結婚は二度目だったり、そういう方なんです」

「マチコさん」

「ですから、本来、私は白南風さんとは出会えていないんです。白南風さんのような、『これからの人』は、私なんかと一緒にいて、時間を無駄にしては駄目です」

「マチコさん」


 ぽつぽつと話す私の手をギュッと握る。そういえばさっきからずっと、彼の手は私のそれに重なったままだった。


「アンタさっきから、マジで何言ってんの?」

「で、ですから!」

「いや、良いよ、もうだいたいわかったって。マチコさんが言いたいことは。でもさ」


 ゆっくりそう言って、辺りを見回す。空いている方の人差し指を立て、それを口元にあてると「ちょっと声落とそ」と囁く。他のお客さん達は空気を読んでくれたか、こちらのテーブルから視線を外してくれている。でも恐らく、さっきの私の熱弁についてはしっかりと耳を傾けていたはずだ。


「さっきから、自分が結構な失礼発言してるってことにいい加減気付きなね」

「わ、私がですか。私はただ身の程を弁えて、っていう」

「だからさ。別に良いよ、マチコさんがそういう考えを持ってるのは別に良い。俺、相談所の婚活事情ってのも知らないし。だからきっとマチコさんの言ってることが概ね正しいんだと思う。でもさ」


 手に、ぐっと力を込められる。大きくて温かい手だ。


「俺が『これからの人』って何。そんじゃあアンタは? もう『終わった人』なの? これから何もしない人なわけ? まだ三十二の癖に? マチコさんだけじゃないよ。その四十五十の人達のこと、そんな雑に括んのやめなよ」

「そんな雑に括ったわけでは」

「思ってないのかもしれないけど、俺にはそう聞こえた。若いやつは若いやつとくっついて子どもを産め、産めないやつは産めないやつで固まってろ、そういうことだろ?」

「そんな言い方はしてません」

「そんな言い方じゃなかったかもだけど、そういうことだろ。何でだよ。二十七の男と三十二の女は出会っちゃいけないわけ?」

「……白南風さんはいまの婚活事情を知らないから」

「知らないよ。だって俺、婚活してないし」

「だからそんなことが言えるんです。そんなの、都合の良い恋愛小説の中にしか」

「あるじゃん、ここに。出会ってんじゃん俺ら」

「すれ違っただけです。明日からはまた無関係になりますから」

「無関係になんかしない。絶対に逃がさない。俺は言ったはずだよ。男はさ、本当にこの女を逃がしたくないって思ったら、どんな手でも使う、って」


 まぁ、小説これの受け売りだけど、と言って、白南風さんは読みかけの小説に視線を落とした。


「もうあったまきたわ。マチコさんはこれまで通り過ごしなよ。婚活だって続けりゃ良い。だけど、絶対に俺が落とす。絶対に俺のものにするから」


 せいぜい頑張んな。


 その言葉を残して、自分の分と私の方の伝票をサッと回収すると、それじゃあね、と立ち上がり、会計へと向かう。


「待ってください!」


 とそれを追いかけて自分の伝票を回収する。


「これは自分で払います。白南風さんに出していただく理由なんてありません」


 きっぱりとそう言うと、白南風さんはちょっと驚いたような顔をしてから、


「期待を裏切らないよね、マチコさんは。おもしれ」


 と笑った。


 それで、とどめとばかりに、こう付け加えたのだ。


「いまのもかなりぐっときた。好きだよ、マチコさん」

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