第50話 婚約の、予約ってことで

「すっご……。何ですか、これ」

「俺言ったじゃん? すんごいケーキ用意してるって」

「言っ……てましたけど、まさかこれほどとは思ってなかったというか」


 二人用の、小さいホールケーキである。

 大きさとしては、まぁ、そうなんだろうけど。


「何ていうか、その、これは……」

「まぁぶっちゃけアレだよね。イメージとしてはウェディングケーキ。それっぽく作ってもらったっていうか」


 淡い水色のクリームがベースの、少し高さのあるケーキだ。バラの形に絞った真っ白い生クリームと、レースのように繊細な飴細工でデコレーションされている。


「作ってもらった、って……。もしかして、特注ですか?」

「そうだよ? もうね、確実にここで決めるって思ってたから」

「ですから、そんなに無理しないでくださいって」

「いや、だからさ。無理とかじゃないから」

「だって白南風さん」

「恭太」

「恭太さんは学生で」

「学生だけど、金はある」

「それは、助手のお仕事で、ってことですか? もうお給料を?」

「いや? ……あれ、マチコさんもしかして知らないんだっけ。まぁ、俺も言ってなかったしなぁ」

「何がですか?」

「いや、ほら、噂聞いたことない? 俺が製薬会社のボンボンだ、みたいなやつ」


 確かにそれは小林さんからチラっと聞いたけど。


「ちょっとだけ聞きましたけど。でもそれは、エスエイチ製薬がもともと『白南風製薬』って名前だったから、って。でも、それは本社の住所が――」

「それもあるけどさ、でも、一応はガチなやつだよ。ただ、愛人の子なんだよね、俺。親父がホステスに入れ込んで産ませちゃった、ってやつ。たまたま気に入ったホステスの名字が『白南風』で本社の住所と同じってことで、運命感じて盛り上がったんだと。そんでまぁ、その辺のね、認知とかそういうのは全部済んでてさ、生活費とか学費とか諸々出してもらってるっていう」


 その小さなケーキにナイフを入れて切り分け、私に「どうぞ」と勧めて来る。さらりと言ってるけど、結構とんでもない話だ。


「さすがに成人したらいらないって言ったんだけど、学生の間は、って話でさ。っつぅわけで、卒業後はそういうのなくなるから、生活費を切り詰めてコツコツ貯めてたってわけ。特に金のかかる趣味とかないし、あ――……まぁ、本買うくらいか。普段は質素なもんだよ。部屋も築三十年ので狭いし、安いスーパーで食材買いだめしてちまちま自炊してるし」

「自炊、するんですね」

「まぁ、マチコさんほどうまくはないけどさ。とまぁそういうわけで、自分で稼いだ金じゃなくて恰好悪くてごめん」

「いえ、それは別に」


 むしろ院生で忙しいのにバイトして貯めたお金で、っていう方が申し訳なさで喉を通らないかもしれない。だったらいっそ親御さんからの――って、それも切り詰めて貯めていたお金で、と考えればやっぱりなんだか申し訳ない気持ちになる。これからの『いざ』って時のために残しておいた方が良かったのでは。


「そんなわけだから、俺と結婚しても別に玉の輿には乗れないんだけど」


 と、なんだかちょっと気まずそうな顔で、彼が言う。


「……私が、そういうの狙いに見えますか?」

「いや? マチコさん、共働き希望っつってたもんな」

「そうです」

「しかも、学食勤務」

「そうです。むしろ、それで良いんでしょうか。その」

「男受け悪いって?」

「三十路のおばちゃんが若い男を漁って――」

「実際は漁ってないんだし、良いんじゃね? それよりさ」


 ちら、とケーキを見やる。話に夢中でそういえばまだ一口も食べていない。慌てて、「すみません、いただきます」とフォークを構える。それに白南風さんはくつくつと喉を鳴らした。


「な、何でしょうか。私何かおかしいことしてますか?」

 

 一口分をフォークで切り、口に運ぼうとするところまでじっと見つめられるのが、何とも落ち着かない。けれど、いや? と楽し気に笑うだけだ。


「いや、ちゃんと結婚のことまで考えてくれてんだな、って思ってさ」

「あっ! いや、でもそれは、白南風さんが」

「恭太。いい加減定着させてよ」

「きょ、恭太さんが、玉の輿とか言うからです」

「だとしてもさ。あー、クッソ、やっぱり指輪にしとくんだった! あっ、でもサイズわかんねぇし、どっちにしろサプライズは無理だったか。だってみんなサプライズがどうとかって言うから、てっきり喜ばれるものだと」


 頭を抱え、うまくいかねぇな、なんて呟いてから、我に返ったように姿勢を正して「取り乱した」と苦笑いする。その視線の先にあるのは、せっかく口元まで運んだのに、いったんお皿の上に戻されることになってしまった一口分のケーキである。「ごめん、食う途中だったのに」なんて気まずそうに言って、彼もフォークを持った。


 ふわふわのスポンジに、控えめな甘さのクリームだ。真ん中には苺が挟まっている。派手さはないが上品な甘さで、いくらでも食べられそうだ。若い頃ならもう少しゴテゴテに飾りつけられたものを欲していたかもしれないが、この年になるとこれくらいが丁度良い。だけど、かなり甘党であるはずの白南風さんには物足りないかも、なんて思ったけど、そんなのは杞憂だったようだ。ものすごく幸せそうな顔で食べている。


 半分こにしたそれを平らげて、こっそりとお腹をさすった。お腹周りにゆとりのあるデザインで本当に良かったと思うくらいに膨れている。


「もうお腹いっぱいです」

「だな。マチコさん、来て良かった?」

「え」

「俺と過ごせて良かった?」

「それは……はい」

「今日ってまだ時間ある?」

「す、少しなら」

「よっしゃ」


 何が「よっしゃ」なのか、テーブルの上で拳をぎゅっと握ってから、ポケットに忍ばせていたらしい、小箱を取り出す。白いリボンのかけられた、白い箱だ。


「というわけで、マチコさん、この後指輪買いに行こ。これはその、婚約の、予約ってことで」

「婚約の、予約ですか」

 

 婚約とはつまり、結婚の約束だ。それの、さらに予約。何とも不思議な表現ではある。白南風さんは、小箱の上に乗せていた手を、ゆっくりと離した。


「そ。好きだよ、マチコさん。何事にも真面目なところも、俺に対して辛辣なところも、一生懸命すぎてちょっとずれてるところも、全部好き」

「ちょっとずれてるって……」

「ははは。俺はさ、まだマチコさんのこと全部は知らないけど、これからもっと知りたい。知らないところも知って、そこも好きになりたい。マチコさんのこと、もっと好きになる自信があるし、マチコさんも、俺のこといま以上に惚れさせる自信もある。これからの人生をマチコさんと過ごしたい、から、結婚を大前提にお付き合いしてください。ただまぁ稼ぎは正直悪いから苦労させるかも――、いや、確実に苦労させるけど、絶対幸せにする。絶対」


 そんな言葉を添えて、す、と私の前に小箱を移動させる。言葉は強気だが、手は震えてるし、耳まで真っ赤だ。それが可愛く見える。


「く、苦労はもとより覚悟の上です。結婚とは、そういうものだと、思ってますから。ですから、その、謹んで……お受け致します。あの、ありがとうございます」


 こういう時って、普通に「ありがとう」って受け取って良いんだよね? こんなプレゼントなんてもらったことないからわからない。だけど、感謝の気持ちを伝えることは大切なはず。


「開けてみても、良いですか」

「もちろん」


 では、失礼します、と呟いてリボンを引く。するり、と解けたそれを脇に寄せて箱に手をかける。ゆっくりと蓋を開けると、中に入っていたのは、繊細な銀細工のトップがついたペンダントだ。三センチくらいの雫の形で、髪の毛より細い銀の糸で様々な模様が編み上げられている。


「いや、美波みなみがな? あっ、美波ってのはその従姉妹なんだけどさ。美波が言うんだよな。落ち着いた大人の女性はこういうのが良いんだって。俺としてはもっと、なんていうの? それこそリボンとかさ? あとなんか、花? みたいな、そういう派手なやつのが良いのかなって思ってたんだけど。とにかくもう、選ぶやつ選ぶやつことごとく却下よ」


 どう、マチコさん? 気に入った? やっぱり本当はもっとこう、花! とか、星! みたいなのが良かったりする? と身体をそわそわと揺らしている。眉間にしわを寄せて、うつむき加減の私の表情をどうにか読み取ろうとしているのか、前傾姿勢で右へ左へと落ち着きがない。


 いつも強気で、自信満々に私のこと振り回して来たくせに。


 だけど思い返してみれば白南風さんは、私の反応を伺う際にはいつもこうだった気がする。私の些細な反応に一喜一憂して、喜んだり、沈んだりしていた。それはきっと、私のことが、好きだから。


 そうだったのか、と、すとんと納得すると、途端に胸が、ぐぅ、と詰まる。色んな感情が込み上げてきて、涙が出そうになる。

 

 それをどうにか堪えて、 


「素敵です、とても」


 やっとその言葉を吐き出して顔を上げると、白南風さんは両手で顔を覆い、喉の奥から絞り出すような声を上げた。彼の口から、辛うじて「良かった」と意味を成す言葉が吐き出される頃には、私の視界も全部ぼやけていて、私も同じく、ただ「良かったです」を繰り返すだけになっていた。

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