第14話 マーナは夫に進言する

 ◆



 マーナはメイドの中ではローレン夫人の次にベテランである。

 シスレー侯爵家の使用人は殆どが住み込みで、マーナも別邸の使用人寮に大きな部屋を貰っており、料理長の夫と一緒に住んでいた。


「はぁ?」

「だからさ、デボラ様に何か仕事をさせてみればって」

「お前、何をバカなことを言ってるんだ! あの女はお飾りとはいえ、立場上は旦那様の妻、侯爵夫人ってことになるんだぞ」

「だって本人がやってみたいって言うんだし、旦那様も認めてらっしゃるのよ」


 マーナの言葉に、さっきまで語気を強めていた夫がぐっと詰まる。彼女はニヤリとした。


「良いじゃない。このチャンスを逃したら、侯爵夫人を顎で使うことなんてこの先二度とないわよ」

「そんなチャンス要らねぇ!! 大体、人質なんだろ!? 刃物を渡すわけにゃいかねえし、火も使ったら危ないだろう。皿洗いだって……皿を割られでもしてみろ! あの女にさせられる仕事なんざ元々ねぇよ!」


 口は悪く、声も大きく乱暴に聞こえる癖に、なんだかんだで危険な事が無いように気を使っている夫、ヴィトの不器用な優しさにマーナはますますニンマリした。

 マーナとヴィトは結婚してもう18年になる。16歳の息子は先日、父を超える料理人になる! と宣言し、家を出て王都下のレストランで修業をしている。夫婦は再び二人きりの生活に戻った。そうなると世には冷めた関係の夫婦もいるようだが、マーナは改めて夫の事が好きだと思うようになったのである。


 夫との出会いは勿論、このシスレー侯爵邸。マーナがキッチンメイドとして奉公する事になり、当時まだ副料理長だったヴィトに挨拶をしたが第一印象は最悪だった。彼は体は大きく、むすっとして表情は硬いため威圧感がある。口数も少ないが、たまに出る言葉遣いは荒めで声も大きかった。とにかく恐そう、というイメージだったのだ。


 マーナが勤めだしてすぐの頃。前シスレー侯爵が屋敷に多数の貴族を招いて晩餐会を開いた。その時の厨房は戦場そのもので、ヴィトは下働きの見習いコックやメイドに怒鳴りつける様に指示を出していた。マーナは泣きべそをかくのを必死で堪え(彼とは一生仲良くなれないわ!)と思ったものだ。


「……皆、悪かった」


 翌日、ヴィトは皆の前で頭を下げた。


「俺、こんな大きな晩餐会なんて初めてで……上手くやろうとして焦って……」


 幸いにしてその場には執事長のスワロウがおり、「何でも一人でやろうとしてはいけませんよ。こちらにも恰好良い所を分けて貰わなければ」と冗談交じりにウインクをしたので、ヴィトを含めその場の全員の空気がホッと和やかになった。「ごめん。あの後、料理長にこってり絞られたよ」というヴィトの照れ臭そうな顔を見たマーナは心をぐっと掴まれてしまったのだ。


 そこから誤解されやすい不器用な彼とゆっくりと距離を詰めて恋仲になったマーナ。その経験があるからこそ、彼女は今日デボラの様子から夫との共通点を見出した。


 デボラと初めて会った時には(まるで物語に出てくるような悪女だわ)と思った。

 凹凸の激しい理想的な身体つきに派手なドレスを纏った姿は女達を威圧し、男達を誘惑する為のものだと思える。大きい目を赤いフサフサの睫毛が取り囲み、一見して美しいが灰色の瞳は冷たく色が無い。その冷たい表情が一転してにっこりと美しく微笑んだ。


「私はデボラ・マウジー。隣国のマムート王国から参りましたの。どうぞよろしくお願い致しますわ」


 その完璧に美しい笑顔と立ち居振る舞いが、完璧すぎてかえって不気味に思えた。無理もない。シスレー領はフォルクスの中でも辺境に近い田舎だったから、そもそも完璧な貴族令嬢にお目にかかる機会が少ないのだ。


 加えてデボラは戦争を仕掛けてきた敵国の人間でもある。その戦争のせいで大切な人の命を奪われたし、マムート王国に対してシスレー邸の皆が遺恨を残していた。だからデボラの表情がコロリと変わった事が余計に恐ろしく見えたのだ。

 とにかく、この女は信用できない……と使用人達は誰しもが心の中で思った筈だ。


 それが今日、簡素なドレスにシンプルなまとめ髪の姿で現れたデボラが「何かお手伝いをさせて欲しいの」と言ってきて、試しに銀器を磨かせてみた時にマーナはあら、と思った。


 作り笑い以外のデボラは人形のように表情が無い。だが不愛想な夫と長年連れ添っているマーナにはデボラの瞳に感情が乗っているのを見てとれたのだ。

 真剣に銀器を磨く時の力の入った目、メイド達のように上手く磨く事ができなかった時のしょんぼりとした目の陰り、銀器から全ての曇りを取り除けた時の、子供のようにキラキラと輝いていた瞳。それらは若い頃の夫がなんとか料理長に認められようと、料理で様々な努力をしていた時と酷似していた。


「デボラ様、これなら合格です」


 マーナが、曇りひとつない銀器を見て言うとデボラはにっこりと笑む。


「まあ、ありがとう。他にも何かお仕事は無いかしら」


 その瞬間、先ほどまでの瞳の輝きは消え、いつもの完璧な作り笑いになった。周りのメイド達の顔が引きつるのを横目で確認しながら、マーナは心の中で少しだけ呆れた。


(もしかして、デボラ様って……ギャップが酷くてうさんくさくなってる自覚が無いのかしら)


 デボラは悪女ではないかもしれない。それならばもうちょっと器用にやる気がする……マーナはそんな自分の考えが正しいのか確認して見たくなった。だから夫に、デボラに何か仕事をさせてみればと進言したのだ。


「じゃあヴィト、玉ねぎの皮むきなんてどう? それなら刃物も火も使わないでしょ」

「馬鹿、お前そんな事をご令嬢がやるもんかよ!」

「わからないわよ。とりあえず提案だけしてみれば?」



 ◆



 翌日、厨房の片隅で。

 粗末な椅子に座ったデボラの前に、籠に山と積まれた玉ねぎが置かれたのだった。

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