第8話 恋愛小説に隠された、まさかの真実
「ミセスローレン、これは?」
「お気に召しませんでしたか? 今、女性に人気の恋愛小説でございますが」
「恋愛小説……」
ただでさえ役立たずなのにさらに娯楽に興じるなど……とデボラは申し訳ない気持ちになったが、かといって本の趣味が違うと言えば選んでくれたローレン夫人の顔を潰すことになり、やはり気が咎める。デボラはとりあえず読んでみようと本を開いた。
恋愛小説ならばゆったりとした態度で、登場人物に感情移入しつつ読むのが一般的なのだろうが、彼女は文字を覚えたての頃に幼年向け娯楽小説を読んだきり、そう言った物に殆ど触れていない。
その為デボラは本を資料か何かのようにかなりのスピードで読み取り、パラパラと素早くページをめくっていく。この様子を見たローレン夫人は無表情だったが一緒に居たメイドのシェリーは目を丸くして呆然としている。デボラは一冊をあっという間に読み終えた。
「……?」
彼女は眉間を僅かに寄せ、その本を脇に置いて別の本を手に取る。またパラパラとページをめくっていくがその本は序盤を読み終えるといきなり飛ばして終盤を読み、それが終わると脇に置いて三冊目を読み始めた。随分と変わった読み方をするデボラをメイドだけでなくローレン夫人も訝しげに見つめる。三冊目もある程度読み終えたデボラはパタンと本を閉じながらこう言った。
「ミセスローレン、私、恋愛小説を読むのは初めてなの」
「左様でしたか」
「それでちょっと聞きたいのだけれど……こちらの三冊とも、主人公は男爵令嬢で、お相手の王子様は婚約者が居ながら真実の愛に目覚める展開なのね?」
「はい、これが今の流行りでございますから」
「そう」
デボラはクスリと笑った。その笑みに楽しげなものではなくほんの少しの違和感……言うなれば、皮肉めいたものを感じ取ったローレン夫人は頭を下げる。
「申し訳ございません。お気に召しませんでしたか」
「いいえ……ミセスローレンは、私がマムートでどんな目に遇ったか知らなかったのでしょう?」
「は」
デボラの言葉に頭を上げたローレン夫人が目を見張る。デボラはハッと気づき、すぐさま改めてにっこりと美しく微笑んだ。
「ごめんなさい。余計な事を言ったわ。今のは忘れて」
「……はい。では別の本をご用意致しましょう」
「嬉しいわ、ありがとう」
ローレン夫人が退出したあと、デボラは眉間に手をやり、軽く俯く。深紅の睫を半分伏せて本を見つめた。
「ああ……」
(あんな当て擦りの様なことを言ってしまうなんて。ミセスローレンは何も悪くないのに。恥ずかしいわ……)
デボラはローレン夫人を困惑させたことを反省した。一冊目の小説を読むと、王子の婚約者は底意地の悪い公爵令嬢で、主人公を陰で虐める役として書かれていたのだ。そして最後に王子は公爵令嬢を公の場で断罪し、婚約を破棄して真実の愛を手に入れる。他の二冊も似たような展開だった。
あのパーム将軍邸での婚約破棄劇は、まさか流行りの恋愛小説をなぞっていたなどデボラには予想もつかなかった。いや、たとえ恋愛小説を事前に読んでいたとしても予想がつくわけもない。
アーロンとフィオナ達が恋愛小説そっくりの立ち回りをしたからと言って、あの場にいた他の貴族達は二人の「真実の愛」とやらを認め、今までアーロンに(心はともかく表向きは)尽くしていたデボラを悪女だと本当に信じるだろうか。少なくともデボラはそれを馬鹿馬鹿しいと考える人間だった。
その馬鹿馬鹿しい筋書きに己は巻き込まれたのだ……と今になって知らされたデボラは、思わず自嘲と皮肉を込めた笑いを僅かに漏らしただけでなく、ローレン夫人へも余計な言葉を発した。今までマムートで過ごしてきた彼女なら、せいぜいアーロンにそれと気づかれぬ皮肉を言う程度で感情を露にする事などなかったのに。
いつも完璧で、冷静で、人形のように美しい公爵令嬢で王太子の婚約者。それがデボラに割り振られた役割だったし彼女はその役割を問題なく務めてこれた筈だ。なのに何故ここでは綻びが生じるのだろう。
(何故かしら……ずっと監視されて疲れているから?)
実際は逆で、彼女に役割を期待する人間が誰もいないから……今まで手にしたことの無い自由な立場だからという事に、デボラはまだ気づいていなかった。
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