第22話 デボラはこうして作られた

 あれは6歳になる直前の頃だったか。


 この時既にデボラは王太子妃候補筆頭だった。アーロンと年が近く、幼年期で既に飛びぬけて美少女なうえに賢しいところまで見せてもいた子だった。家柄も公爵家という事で他の娘より抜きん出ており、ここまで大病もせず健康体で文句の付け所がない。王家から正式な指名こそまだ無いが、もうそれは秒読み段階だろうと周りは思っていた筈だ。


 だが、デボラ自身はあまりその自覚はなかった。勿論両親や兄達からも「お前は将来アーロン殿下の妃となり、しっかり殿下をお支えするのだ」と言われてはいたが、アーロンとは数回しか会ったことがなかったので何となくしかわからなかった。それに、そんなわからないものを考えるより勉強に身を入れた方が周りも褒めてくれたし楽しかったから。


「デボラ様!」

「リーザ!」


 その時デボラはある伯爵家の娘と親しかった。領地が近かったので伯爵夫妻が娘を連れて何かと遊びに来ることが多かったのだ。


「まあ、リーザ、今日も素敵ね」


 デボラが素直に褒めると、友人はえへへと照れながらもクルリと回って真新しいドレスを披露して見せる。彼女はいつも豪華に、そして毎回違うものを着飾っていた。衣装だけなら公爵令嬢のデボラと遜色無いほどの贅沢だ。デボラはそれを、彼女は両親に溺愛されている印だろうと思っていた。


「そのリボンも、あなたの眼の色とおんなじでとっても素敵だわ」


 ツインテールの髪についていた二つのリボン。それが彼女の、明るい夜空を思わせるような紺色の瞳ときっちり揃えてあったので、デボラはこれをわざわざ探して誂えた手間に敬意を払い褒めた。ところが。


「デボラ様、これが気に入ったんですか? それなら片方あげます!」


 リーザは片方のリボンを外し、デボラに差し出したのだ。そんなつもりは毛頭なかったデボラは固辞する。


「いいえ、それは貴女のご両親が貴女のために用意したものでしょ?」

「父と母はデボラ様が欲しがっていたらあげなさいって。それに私もデボラ様とお揃いなら嬉しいです!」

「お揃い……」


 その言葉に、デボラはぐっと心を掴まれた。自分の燃えるような赤い髪に結んでもらうと友人の眼の色のリボンはとても映え、大好きな友人とのお揃いにデボラは胸を踊らせた。


「次のパーティーの時に必ずそれをつけてきて下さい! 一緒に、お揃いでパーティーに出ましょうね!」

「ええ、約束するわ」


 その約束は果たされなかった。


 バシリ、と母の……マウジー公爵夫人の扇子が強く頬を打つ。デボラはビクッと身をすくませ、目に涙が滲んだ。自分の頬を打たれたかのように恐ろしく、そして胸が痛い。


「お前がついていながら、何故止めなかったの!!」

「奥様、申し訳ございません……」


 デボラの乳母は公爵夫人に打たれた頬を押さえ、俯いて謝罪した。デボラがリーザにリボンを貰った時、乳母は微笑ましくそれを見つめ、デボラの髪にリボンを結んでやったのだ。それがどんな意味を持つかも知らず。


 公爵夫人は怒りを鎮めると、今度は冷徹に乳母に言い放った。


「……お前には暇を出すわ。元々デボラには勉強とマナーレッスンの時間をそろそろ増やそうと思っていたの。安心して。ちゃんと紹介状は書いてあげます」

「こちらに有利な商談を持ちかけておきながら、話を引き延ばして何度もうちに来ようとするから何か別の狙いがあるとは思ったが……まさかデボラを取り込む気だったとはな」


 マウジー公爵はデボラから取り上げた紺色のリボンをつまみ上げ、暖炉に投げ込んだ。


「あ……!!」


 それは、まだ宙に浮いている時に黄色い炎を纏う。デボラが暖炉に駆け寄った時には、もう全てが燃え尽きようとしていた。


「あの伯爵家とは手を切る。うちの門は今後くぐらせない」

「いい、デボラ。貴女はアーロン殿下と結婚し、ゆくゆくはこの国の王妃、国母となるのよ。その為には今からお友達は選んでおかなくてはね」

「……」


 デボラは賢しい子だった。全てを悟ったのだ。お揃いのリボンを付けて人前に出れば、それがリーザを「未来の王妃の特別なお友達」として披露することになると。それをリーザの両親も、リーザ本人も狙っていたことを。


 そして、何の疑いもなく無邪気にリボンを受け取ってしまった為に、実の母よりも優しくて大好きな乳母が酷く責められ、馘を切られたことを。


「……はい、これからは気をつけます。お父様、お母様」


 その日以来、デボラは公明正大な令嬢へと変化を遂げた。誰にでも平等に優しく振る舞うが、「特別なお友達」を作ろうとはしなかった。もしもまた友達選びを間違えでもしたら、今度はリボンを燃やされ乳母を取り上げられるぐらいでは済まないと知っていたから。


 成長していくうちに、リーザが可愛いレベルだと思えるような令嬢や令息にも出会った。表向きはにこやかにこちらに接してくるが、裏ではデボラが一瞬でも気を抜けば彼女の足を引っ張り、王太子の婚約者の立場から引きずり落としてやろう、と舌なめずりをして見張るような連中。勿論デボラはそんな連中の思い通りにはならず、いつも完璧な令嬢として対応をしていた。


 こうしてひとりで何もかも上手くこなせるが、本心を打ち明ける相手も居らず、表情を崩すこともない……美しい人形のような公爵令嬢は作られたのだ。



 ◇



「ほ、本心を……?」


 デボラの声が自然と震える。シスレー侯爵の意図が読めない。本心などさらけ出せばすぐさま弱味を掴まれ、利用されたり引きずり落とされるはずだ。


 ……でも、今のデボラの立場は本当にそうなのだろうか? 人前で婚約破棄を突きつけられ、父と兄に裏切られて実質的に国を追放された自分が、これ以上引きずり落とされることなどあるだろうか?


 あるとすれば、弱味はたったひとつだけ。デボラが人質としては価値がないという真実だけだ。これを知られ、殺されるか侯爵家を追い出されて路頭に迷うのが最も低い位置に落とされた……ということになるだろう。


(まさか、その事が知られてしまった……?)


 青い顔で名ばかりの夫を見上げる。彼の顔はもう赤く染まってはいなかった。少なくとも怒ってはいない。


「ああ、そうだ。本心を出すことは恥ずかしいことなんかじゃない。少なくともこの屋敷の中ではね」

「え……」

「だってそうだろう? うちの使用人は皆本心を出している。君のところに居た使用人とは全く違うんじゃないか?」

「あ」


 デボラは頭を殴られたような気持ちになった。皆そうだ。シェリーも、マーナも、ヴィトも、ピーターも、その他の人達も!

 あの能面のようなローレン夫人だって一番最初に自分に向かって「侮辱です!」と突っかかってきたではないか。アシュレイもきちんと執事然とした体裁を保ってはいるが、デボラを疑う目を隠しきれていない。


 あんなに感情を表に出す使用人達はマウジー公爵邸には誰ひとり居なかった……馘にされた乳母が一番優しく、それに近かったと言っていい。


 混乱するデボラの前でシスレー侯爵は優しく笑った。そう、侯爵はいつも優しい笑い方をする。もしも、父や兄がこんな風にデボラに笑いかけてくれていたなら、彼女は実家でどんなに心安らいだろう……と思わせる笑顔。


「多分、君の言う『貴族失格』なんだろうが……そういう雰囲気を、亡くなった妻が作り上げたんだよ」

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