第23話 いたわりの言葉が逆に辛い


「前の奥様が……」


 それはデボラにはすぐに理解できた。彼女が屋敷の使用人達にどれだけ慕われ、愛されていたかは明らかだったから。


「ああ、俺の母には『侯爵夫人にはふさわしくない態度だ』と何度も怒られていたんだが。使用人どころか領民にまで気軽に話しかけて、時には一緒に泥まみれになって農作業をやるくらいだった」


 シスレー侯爵の顔はデボラに向いていたが、その目は彼女を見ていない。ずっと遠くの……過去の、前妻の記憶を見ているのだろう。その顔は幸せを噛み締めているようだった。それを見たデボラは胸の奥がきゅっと狭くなるような感覚におそわれる。


(……?)


 彼女は戸惑い、また無表情になった。


「……ええ、わかります。前の奥様はとっても優しくて温かい、裏表の無いひとだったのでしょうね」


 私と違って、とは言えなかった。ずっとずっと他人に弱みを見せない様に振る舞って来た彼女は、自分の心証を自ら悪くする言葉など、思っても口には出せない癖が染みついているから。


 だが侯爵は彼女の隠された言葉を汲み取り、はっとした。その瞳が先ほどの幻想を見ている状態から目の前のデボラをしっかり見据えたものに変わる。


「……あ、すまない、違うんだ。君を冷たいとか裏表があると言いたかったわけじゃない」

「え」


 再度デボラに動揺が走る。心を見透かされたようで、身体も心も固まってしまう。


「冷たい人間なら『ただお世話をされているのは心苦しいので何か役に立ちたい』なんて言わないさ」

「そ、それは……私が本当に何の役にも立たないからで」

「それだよ。何故そんなに自分を過小評価する?」

「あ……」


 デボラは侯爵から目を逸らし、黙り込んだ。


 自分は婚約破棄され追放された人間で、本当は人質として価値がない。せめて侯爵様が自分を慰みものにするなら価値があったのに。これではここに居てもただの穀潰しだ。


 ……そう言えたらどんなに楽だろう。シスレー侯爵も使用人の殆ども優しい人たちだ。真実を話せば、もしかして怒るのではなく彼女に同情し、下働きやピアノの演奏係としてここに置き続けてくれるかもしれない。けれども。


(やっぱりそれはできないわ)


 万が一この話が侯爵邸の外に漏れでもしたら。


 二国間の和平はきっと保たれなくなる。しかも「シスレー侯爵邸の皆がデボラを虐げ、辛い生活に耐えられなくなった彼女が狂った頭で根も葉もない話を作り上げたのだろう」とマムート王国側ははねつけるに違いない。


(ここの人たちにそんな汚名を着せるなんて、とても耐えられないもの……)


 紅い睫毛に彩られた瞼を伏せ、うっすら青い顔で黙り込むデボラ。それを見た侯爵は何か勘違いをしたらしい。


「……デボラ嬢。すまない。辛い過去を思い出させたようだね」

「え、あ……」

「でも君には君の価値がちゃんとあるんだから、あまり自分を卑下しないでほしい。それに本心もできれば出してほしいと思う」

「……」


 侯爵のいたわりの言葉は、デボラには酷なものであった。彼女には価値がないし、本心をすべてさらけ出せばその価値がない事も知られてしまうのだから。


「はい……努力、致します……」


 今の彼女はそう言うのが精一杯だった。


「じゃあ、行こうか」


 侯爵はデボラを連れ、建物の中に入る。温室の中が温かいのは祖国のマウジー公爵邸にあったそれと同じだったが、シスレー邸の温室には花が少ない印象だ。


「おお、旦那様。本日はどうされ……」


 壮年の骨太な、だが鞭のようなぴしりとした雰囲気を持つ庭師が侯爵を出迎え、デボラを見て思わず言葉を途切れさせた。


「ローレン、知っているだろう。デボラ嬢だ。彼女にも温室と畑を少し見せてやろうと思って来た」

「……良いのですか?」


 庭師の言葉に侯爵は目を丸くし、その後はははっと軽く笑う。


「「?」」


 デボラと庭師がそれぞれ、意味が分からずに黙っていると侯爵は笑いながら言った。


「今日、その言葉を聞くのは三度目だな」

「あっ……」


 デボラはまた、少し赤くなる。


「いいんだよ。同じ事を何度言ったって、質問したって。君は自由だ」


 侯爵は自分でそう言いながら、デボラが夕食を共にした時に言っていた言葉を思い出す。


『私はこのお屋敷から出られずとも、それ以外はすべて自由でしょう?』


 あの言葉は、それまでマムートで彼女が如何に窮屈な生活を送っていたのかが伺える。


「この家の敷地の外に君を出すことはできない。祖国と連絡を取ることも許可できないが、ここの中に居る間はなんでも自由に好きなことを言い、好きなことをしなさい」

「あ、ありがとうございます」


 デボラは微笑んだ。愛想笑いではなく喜びと照れを少しだけ乗せて。それを見た庭師は呟く。


「なるほど? ……ふーん」


 彼は思うところがあったらしい。


「では、ご案内しましょう。こちらへどうぞ」


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