第21話 二人の顔が赤くなる

 次の日、朝食の席で。

 珍しくシスレー侯爵からデボラに対して提案があった。


「この後軽い散歩でもどうかな? デボラ嬢さえ良ければ、我が家の庭を案内しよう」

「良いのですか?」


 デボラはおそるおそるそう訊いた。遠慮の中に、僅かな喜びが滲む表情で。侯爵は軽く微笑む。


 勿論、彼の申し出は完全な善意だけで生まれたものではない。昨日の夕刻、ローレン夫人が眉間に皺を寄せ「デボラ様がこう仰って……私はゲイリー様がご不在の間、どう判断したらいいのか……」とシスレー侯爵に報告してきたからだ。


 侯爵が今まで見る限りなんとなくデボラに二心ふたごころは無いのでは、という気がしていたのだが、まだそれを決めるのは早計というものである。やはりもう少し彼女と話を重ね、判断した方が良いだろうと思ったのだ。


「では、行こうか」


 夫が腕を曲げ、彼女へ向ける。お飾りの妻であるデボラは一瞬躊躇った。が、これは侯爵が儀礼的にエスコートをしているにすぎないと判断し、彼の腕に自身の手を添えた。彼らはそのままゆっくりと庭を歩きだす。何も知らない人間がその姿を見れば、少々年齢は離れているものの、仲睦まじく見目も麗しい夫婦だと思うだろう。


 二人は噴水の前を通り過ぎ、よく手入れされた薔薇の生垣に添って歩いた。やがてデボラは以前ローレン夫人と共に庭を散歩した時とは違うコースへ進んでいる事に気づく。


「まあ……ここは」


 その先は、大きなガラス窓が幾つも嵌め込まれた建物。以前シェリーに言われていた……大袈裟にいうなら、デボラにとっては禁足の地。


「温室だよ。うちの庭師を紹介しよう」

「良いのですか?」


 デボラは反射的に口にしてから、はっとして口元に手をやり顔を赤らめた。


「デボラ嬢?」

「……あ、いいえ……」

「どうかしたのか?」


 シスレー侯爵は優しく微笑みはしていたが、内心はいぶかしんでいた。


(やはり、温室や畑を見せるのは早かったか……?)


 デボラの先ほどの言い方は少し喜んでいたように思う。彼女が侯爵を籠絡するつもりであればマグダラの想い出に触れるチャンスだと思わず意気込んだのではないか、と考えた直後、そのデボラが侯爵をじっと見つめてくる。


「あの……」

「なんだ?」

「あの、申し訳ございません。つまらない事を……」

「え?」


 デボラはますます赤くなった。


「『良いのですか』と先ほど訊いたばかりなのにもう一度言ってしまうなんて……ダメですね、私」

「?」

「『同じことばかり言う女は気も利かないし、話術が乏しいと思われる』と父によく注意されたものです」

「……は」


 デボラは恥ずかしそうに目を伏せていたので侯爵がどんな顔をしていたのか見えていなかった。目を丸くした彼の顔を。


「私は最近、思ったままの事をつい口に出したり、物事に動じずに笑顔を維持できなかったりと、上手く振る舞えない事が増えてきたような気が致します。これでは貴族女性として失格です……」

「は?」

「人質ですから今は人前に出ることは無いでしょうけど……万が一貴族階級の誰かにこんな失態を見られたら、お飾りの妻とは言え、侯爵様の恥になるかもしれません……」

「え?」


 侯爵は呆然とした。


(……まさか)


 明け透けにものを語り、使用人にも気さくでおよそ貴族令嬢らしくなかった前の妻、マグダラ。それに比べて目の前に居る今の妻デボラは本心を語ることを恥じている。


 シスレー侯爵はかつてのローレン夫人の言葉を思い出す。


『デボラ様はまるで淑女の見本です。きっと何をされても完璧にこなされるのだと思います。薄く微笑んでいらっしゃいますが本心は簡単には表に出さない方でしょう……』


 そして昨夜の報告を。


『あれだけの僅かな情報で全てを把握されるなんて、流石は王太子の元婚約者だと……でも、私には荷が重すぎます。ゲイリー様がご不在の間、これからあの方の行動をどう判断すればよいのでしょう。マグダラ様とは違いすぎて……』


 二人の妻は両極端だったのだ。侯爵はごくたまに王都に赴き、そこで夜会などに招待されているから本来の貴族女性らしい上品な振る舞いも知っている。だが、彼の知る中でもデボラは特別に完璧な……まるで人形のような……外側を作り上げ、本心を顔に出さない女性だったということだ。


 そもそも、王太子妃ともなればそれは必要な資質だ。きっと彼女は小さい頃から未来の王妃候補としてマムート国では厳しく教育されてきたに違いない。なぜ、その事に気づかなかったのだろう。


 そう思った瞬間、侯爵の顔も一気に赤くなった。デボラがマグダラを真似ているのかも、と少しでも疑っていた自分が馬鹿みたいではないか!


「……も、申し訳ございません!」


 侯爵の顔色が赤く変化したことに気づいたデボラは今度は青くなった。かつて公爵家の中だけなら許されるだろうと、無邪気な態度を両親に見せた時に、強く叱責された記憶が甦る。彼女は慌てて詫びた。


「このようなはしたない真似を……今後はよく気を付けますわ。お許し下さい」

「あ、いや! 違う、違うんだデボラ嬢」

「……違うとは?」

「ここでは、本心を出して良い。いや、是非見せてほしい」

「……は」


 デボラの灰色の瞳が大きく見開かれる。侯爵は、その瞳に映る自分の姿をハッキリと認めた。

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