第20話 デボラの印象はちぐはぐ

「私、ようやくわかったんです!」


 シェリーは昼食を食べながら意気揚々と発言した。


「デボラ様って、ネコみたいじゃないですか!?」

「……猫……?」


 だがその意見は、使用人用の食堂にいる皆には今ひとつ受け入れられなかったようだ。シェリーは皆の反応が良くなかったため、説得をしようと話に力を入れる。


「最初は私の妹達みたいな子供っぽいのかなって思ってたんですけど、どっちかって言うと実家で飼ってた猫に近いなって!」

「どこがですか?」

「普段は表情が読めないけど、意外と可愛いところもあるし、あとネズミを捕まえた時なんて、褒めると嬉しそうにしてる所が!」

「ネズミ……」


 ローレン夫人が青ざめたのを見てシェリーは慌てる。


「あっ、違いますよ! デボラ様はネズミを捕まえたりしません!」

「当たり前です! だいたい食事中にする話題じゃないでしょう!」

「……あっ! すみません……」


 シェリーはドン引きする周りを見て、慌てて謝りつつ料理を頬に詰め込んだ。ローレン夫人は「まったく……」と呟くと食事の手を止める。食欲が失せたのだろうか。それを見たヴィトがシェリーに向かって愚痴をこぼす。


「おいおい、俺の作ったまかないがマズくなるじゃねえか」

「……ご、ごめんなさい」

「しかもその意見は全然違うだろ。どっちかってぇと……犬か? 猫より真面目な感じがするぞ」

「それも違うでしょう! なんですかデボラ様を猫とか犬とか!」


 ヴィトの言葉もローレン夫人は否定し軽くにらみつけた。ヴィトはほんの少しだけ口元を緩めながら「おお怖ぇ」と言う。どうやら先ほどの犬という発言は彼なりの冗談だったらしい。


「……猫や犬と言うくらいなら、まだ子供っぽいという方がイメージが合う気がしますがね」


 そこに割って入った声の主を皆が驚いて見る。シェリーなどポカンと口を開けて固まった。


「……何か?」

「だって、アシュレイさんがそんな事を言うなんて! デボラ様をあの国のスパイだと疑っていたじゃないですか!?」


 シェリーは悪意なく、驚きのまま素直にアシュレイにそう疑問をぶつける。アシュレイはムッとした。


「まだ疑ってはいますよ。あくまでも今の話の流れで、もしスパイではないなら、という前提の話です。あのめちゃくちゃな行動は子供のようじゃありませんか」


 アシュレイの話に皆が少し納得しかけたところに、とてもとても小さな声で「あの……」と絞り出す男がいる。ヴィトが横を見ると、若き見習いコックが震えていた。


「あ、あの、自分なんかがアシュレイさんの意見に、た、楯突くなんて、あのおかしいですけど……」

「どうした、ピーター」

「あの、デボラ様は子供じゃないです。側で見てたらやっぱりものすごく綺麗な人だし、あと、沢山の玉ねぎを最後まで剥ききる事は子供には無理です……」


 ヴィトも賛同した。


「確かになあ……変なご令嬢だけど、一端引き受けた仕事を投げ出さないのは、根性はあるよな」


 「根性がある」という言葉に、他の使用人達もうんうんと軽く頷いた。そしてそのまま食堂はしんとなる。おそらくその場の全員が同じことを考えたのだろう。


 デボラとは、一体どんな人間なのか? 何を思ってあのような行動をとるのか? と。


 そして誰も最適解を出せないままでいると、天井越しにピアノの音色が聞こえてきた。


「あっ、いけない! もうそんな時間!」


 使用人達は慌てて昼食の残りをかきこみ、お茶の支度をするメイド以外は音楽室に向かう。既に音楽室にはデボラの他に主人であるシスレー侯爵もいた。二人の表情を見たシェリーは心の中で呟く。


(デボラ様がスパイだなんてあり得ないわ)


 侯爵はピアノを弾くデボラを優しい目で見ている。シェリーは自分の主人を信頼していた。デボラが怪しいなら侯爵はこんな態度を取らないだろうと思ったのだ。


 と、デボラが曲の合間に顔を上げ、彼と目が合うと嬉しそうに微笑んだ。そのまま、生き生きと次の曲を弾き始める。


(うーん、確かにあの喜び方は犬っぽくも、子供っぽくもあるかも……? でも旦那様が「ピアノを弾いて」って言う前は、こんなに嬉しそうに弾いてなかったから……やっぱり気まぐれな猫じゃない?)


 そう思い、ローレン夫人の方を見上げる。メイド長は能面のように無表情でデボラを見つめていた。次いでアシュレイに視線を移すと、彼は僅かに眉間にシワを寄せている。


(ふふっ、ローレンさんにもアシュレイさんにも理解しきれないのね)


 シェリーは、優秀な二人を差し置いて自分が一番デボラを理解しているかも、と心の中で得意になった。


 ピアノを弾き終わると、デボラは皆に軽く礼をする。その場の全員が演奏を讃え拍手した。その後、侯爵が口を開く。


「デボラ嬢、来週私は暫く家を空ける。その間、ピアノを弾くのは控えてくれ」

「えっ……はい、かしこまりました」


 先程までの生き生きとした表情から一転、デボラの表情が完全に消えてまた人形のようになる。まるで骨を取り上げられた犬のようにガッカリしているのだと、その場にいる皆にも理解できた。侯爵は苦笑する。


「いや、ちょっと訳があってね。私がいない間に来る人間がいるかもしれないんだ。その人間に君の演奏を聴かせたくない」

「……はい」


 デボラは質問をせず、端的に返事をした。だが今の言い回しにひっかかる物を感じてはいる。音楽室から引き上げ自分の部屋に戻ると、侯爵の代わりにローレン夫人に問うた。


「ねえ、ミセスローレン、先程の事なんだけど訊いても良いかしら」

「? どうぞ」

「侯爵様がいらっしゃらない間に、どなたかが訪問されるという事だけれど……あまり歓迎されてない方なのかしら?」

「……恐れ多くて申し上げられません」

「ああ、貴族なのね? 貴方の立場では無闇に追い返せもしない、と。それは厄介ね」


 間髪入れずそう返したデボラに、ローレン夫人は目を見張った。それを見たデボラはいつもの愛想笑いを振り撒き、言葉を続ける。


「侯爵様がいらっしゃる時には来られない、という事はあの方には弱いのね。でも侯爵様が不在なのを知れる……近隣の領主がそこまでわざわざ把握するかしら? おそらく、その方は近しい親戚筋ってところかと思ったのだけれど」

「……!」


 ローレン夫人の能面が驚きのあまり崩れた。わずかな情報での理解が早すぎる。ここにいるのは犬でも子供でも、ましてや気まぐれな猫でもない。貴族のやり取りを熟知した、貴族の中の貴族令嬢だ。夫人は動揺のあまり、思わず答えてしまった。


「……はい、シュプリム伯爵は旦那様の従兄弟にあたられます。旦那様はデボラ様をあの方に会わせたくないのだと思います」

「そう、わかったわ。……良かった」

「?」


 デボラは薄く微笑んだ。それは先程の愛想笑いとは違う、本心の表情に見えた。


「理由をつけて、もう私のピアノは用済みだという意味かと思ってしまったの。違うみたいで良かったわ」

「……」


 ローレン夫人の心の内は、ここではとても表現しきれない。ただ、彼女は非常に困惑した、とだけ記そう。


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