第31話 誰からも愛されぬ自分の事を


 実家であるマウジー公爵家では、王太子妃になるためにひたすら完璧な姿を求められた。小さな頃から勉強やマナーを学び、間違えれば責められるが、きちんとやり遂げて見せても褒められはしない。両親と兄達からは「これくらいできて当たり前だ」といった言葉しか貰えなかった。


 父や兄からすればデボラは愛する娘や妹ではなく、王家に入り込む為の道具。道具だから簡単に切り捨て、国外へ放り出せるのだろう。


 かつての王太子アーロンもそうだ。彼に傍若無人な態度を取られても、デボラは表向きは献身的に支える婚約者を演じていた。……演じていたとアーロンに気取られたのだろうか、それとも彼の生来の愚かさゆえなのか。それはもう永遠にわからないが、彼はついぞデボラに優しい言葉をかけることはなく、便利な道具のように扱っていた。


 本来、それらに気づかぬほどデボラも鈍感ではない。


 。何を言われても、何が起きても心を揺らされないように。美しい愛想笑いの下では何も感じない道具となった。道具なのだから、人間扱いされないのだから、。いつからか、誰からも愛されぬ自分の事をそう思うようになってしまった。


 だから価値がないと思われないように、ますます完璧で冷静であろうとしたし、アーロンに婚約破棄を叩きつけられれば、せめてマウジー公爵家には捨てられぬように自分の価値を最大限残せる損切りに走ったのだ。


 けれども。


「……デボラ様、今のお話は聞かなかったことに致します」


 スワロウの声にデボラはハッと己を取り戻し、彼の言葉を即座に打ち消す。


「いいえ、聞いてちょうだい!」


 それは、今までのシスレー邸で迷いながら手探りで役割を探そうとしていたデボラとはまるで違う物言いだった。公爵令嬢と使用人という立場に於いて決して否定などさせない、否定されることなどありえないという、迷いのない態度。彼女は今、祖国でしていたように心を閉ざした人形に戻ったのだ。


 だがスワロウは動じなかった。彼もまた、好好爺の仮面をかぶった執事の態度を取り戻している。


「今の貴女様はやはり冷静ではないとお見受け致します。まずはお身体の回復を一番に。お身体が健康であれば考えが前向きに変わることもございます。後日改めてこのお話を致しましょう」

「……」


 デボラは黙り込んだ。身体健康なのに、とは二重の意味で言えない。老執事は彼女の沈黙を肯定と受け止めた。


「では、他にご用件がなければ私はこれで失礼致します」


 そう言って、ドアを開け寝室の外に控えていたシェリーを呼ぶ。


「シェリー、デボラ様はかなり気が弱っておられるようだ。消耗されているのかもしれない」

「え!」


 シェリーは即座に部屋に入ると青白いデボラの顔を見て納得する。


「もう! デボラ様、無理しちゃダメです! 寝てください!」


 枕をポンポンと整え、その真ん中に優しくゆっくりと彼女を横たえさせる。そしてシェリーはデボラの片手を握って元気付けようと明るく言った。


「今夜は私が夜の番を引き受けました。ずっと付き添ってますから安心してくださいね」

「え……」


 デボラはシェリーの手の温もりに、また過去を思い出す。かつて本当に熱を出した時、こんなふうに手を握ってくれた人は乳母だけだったのだ。

 乳母と違い、血を分けたはずの家族は誰一人として彼女に付き添ったり、心配してくれる事もなかった。「風邪がうつるから近づくな」とか「早く治して遅れた分の勉強を取り戻せ」と言われたことはあっても。


 先ほどまでスワロウに見せていた人形令嬢の仮面がぼろりと剥げ、メイドの名を呼ぶデボラの声がわずかに震えた。


「シェリ……」


 ここの人たちは違うのだ。デボラを道具ではなく一人の人間として見ている。失敗をしても笑って許してくれるし、無理に笑わずに本心を出してほしいと言い、体調を崩せば心配してくれる。


 何の役にも立てず、価値のない自分を。それも憎くてたまらないはずの敵国から来た自分を。

 デボラの目から、また涙が溢れる。


「あ、りが……とう」

「どういたしまして!」


 ドアの隙間からデボラの涙声を聞いたスワロウは、そのまま気づかれぬように音を立てず、寝室のドアをそっと閉めた。


「……」


 そのままデボラの居室からも出てキビキビとした動きで屋敷の廊下を歩き、まもなく現執事長を探しだした。


「アシュレイ、ゲイリー様は」

「明日に備えて、もう既にお休みになられましたが」

「そうですか」


 周りにひとけが無いのを一瞬で確認した後、彼は執事を退職した男の口調に戻る。


「……すまん、ダン坊」

「ダン坊は止めてくださいと言ったでしょう!」

「いやぁ、一応先日のお前への評価が間違っていたことを謝っておこうと思ってな。アレはお前が手を焼くわけだ」

「……デボラ様ですか」


 スワロウは顔を歪めた。困惑しながらも状況を楽しんでいるような、やや悪趣味な雰囲気を漂わせている。


「なんだあのお嬢様は? 見た目は完璧。頭も弱いなんてもんじゃない、むしろ並みより上だ。だが、ちょっとおかしいぐらいに自己犠牲の精神を持っている。アレじゃあ本国で『自ら人質となった心優しき聖女』と呼ばれるわけだ」

「だから言ったでしょう。あの妙な態度はまやかしで、きっと企みがあるんですよ」

「いや」


 スワロウは首を横に振る。


「ゲイリー様の見解の方が正しいと思う。企みというよりも何かあって本心を出せないのではないかな。その後ろめたさから自己犠牲に拍車がかかっているのかもしれん」

「何かって……何ですか」

「さあ?」

「……もう!! 貴方はすぐそうやって俺をバカにする!」


 老人は笑った。作り笑いではなく、おそらく本心から。


「すまんすまん、バカにしたわけではないよ。俺にもさっぱりわからないんだ」

「スワロウさんでも?」

「お前は俺を買いかぶりすぎなんだよ。俺がそれなりに人生経験を積んできた年寄りだからって、知らないことはある」


 そう言って、ひとつ息をついたあと、再び口を開く。


「あんな人間を知るわけがないさ。まるで人形のように表情ひとつ変えて見せない。それでいて、その奥では子供みたいな情緒が暴れてるように見えるんだからな」

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