薔薇の蕾はまた固く閉じてしまう

第30話 デボラはスワロウに問う


 デボラは部屋に閉じこもり、寝室でその日一日を過ごした。正直なところ、ただでさえ穀潰しなのに更に仮病を使って何もせずにただ寝ているだけというのは、酷く罪悪感もあった。だから調子が良くなったと言って起きよう……とは何度も思ったのだ。けれども。


「デボラ様、蜂蜜湯です。体も暖まりますし喉にも良いのでお飲みください」


 ローレン夫人が飲み物を持ってきてくれたのを見た途端、デボラの顔は再び赤くなり、目が潤んでしまった。


 普段は物静かな彼女が、初めて会った日だけはデボラに突っかかって来た。あれはマグダラを失った恨みも混じっていたのではないか、と考えてしまったからだ。


(それなのに……この屋敷の皆は私に親切にしてくれるのね……)


 デボラの部屋に主に出入りするのはローレン夫人とシェリーだが、その二人を見るだけでもデボラの胸は痛む。これで部屋の外に出たら、他の使用人に出会うたびにマグダラの事を考えてしまうに決まっている。


 それにシスレー侯爵とも鉢合わせてしまう恐れもある。それだけは無理だ。今度こそ人目を憚らず泣いてしまうかもしれない。


 結局、そんなわけで夜までデボラはベッドで寝ていた。夕食は部屋に運ばれたのだが、彼女の体調を気遣った料理長がパン粥を用意してくれていた。

 牛乳でパンを煮込んだほのかな優しい甘さの粥を味わいながら、デボラはまた居たたまれなくなる。


「良かった。食欲はあるみたいですね!」


 ゆっくりと、時折無言で匙を見つめたりしながらも、なんとかパン粥をほぼ完食したデボラ。それを見てシェリーほっと胸を撫で下ろした。その彼女にデボラはお願いをする。


「シェリー、スワロウに相談したいことがあるの。出来れば、二人きりで」

「えっ……」

「駄目かしら?」


 シェリーは少し戸惑ったが、すぐに切り替えた。今は退職したと言っても長年シスレー邸に仕えてきた元執事長への信頼は固い。彼が居てくれるなら他の見張りは必要ないだろう。


「スワロウさんに聞いてみますね」


 シェリーは他のメイドにスワロウを呼んでくるよう言付け、それは暫くして叶えられた。


「お待たせいたしました。デボラ様、何か御用でしょうか」


 スワロウが部屋に入ってきたのと入れ替わりにシェリーが寝室から出て行き、扉が閉まる。デボラは完全に二人きりになったことを確認してから口を開いた。


「ええ、聞きたいことがあって。貴方にしかお願いできないことなの」


 他の使用人には聞けない。あまりにも残酷だから。勿論スワロウにとってもこの質問は気持ちの良いものではないだろう。だが他の使用人と違いデボラと今まで接してこなかったスワロウなら、彼女に同情や気遣いをせずにありのままの真実を話してくれそうだったし、デボラ自身も相手側に気を遣うのが最小限で済む。


「何でございましょう」

「この家は……本当はまだ、喪に服している筈だったのではなくて?」


 考えれば考えるほど、戦で亡くなったのはマグダラに違いないと思える。そこから派生して発想を巡らせば、更に辛い考えに到達してしまう。


 戦争が始まったのは一年前、和平を結んだのは約半年前である。彼女が戦で亡くなったのならそこから一年も経っていない。この屋敷の女主人がそれだけ皆に愛されていたのなら、屋敷ごと喪に服していてもおかしくない。


 だが、デボラが突如花嫁としてこの家に来ることになった……正確にはフォルクス王家に人質の世話を押し付けられた……為、シスレー邸の皆はやむを得ず無理矢理喪を明け、哀しみを振り払ってデボラを迎えたのではないかと考えたのだ。


 スワロウは好好爺とした表情を1ミリも変化させずに答えた。


「流石ですね、デボラ様は賢い御方だというは聞いておりましたが。私の先ほどの言葉で気づかれたのですね」

「ええ……やはり亡くなられたのは前の奥様なのね」


 デボラは微かに息を吐く。ため息だとは覚られないように。


「はい。ご不快なお気持ちにさせてしまい、誠に申し訳ございません」

「不快?」


 灰色の目が瞬いた。不快という言葉はこの状況に対して非常にそぐわない気がする。……むしろ。


「不快なのは、貴方達にとっての私の存在ではないかしら」

「……は」


 現役時代は完璧な執事の態度を取っていたであろうスワロウが、ここで言葉を失った。彼の目の前にいる女性は人形のように無表情だ。だが大きく美しい目は何度も瞬いている。それを縁取る赤く長い睫毛の先は細かく震えていた。


「私が、ここを出て別のところへ行ければいいのに。ねえ、他に私を人質として受け入れてくれる家はフォルクス国内にないのかしら」

「……」

「お金はないけれど……私がマムートから持ってきたドレスや宝石を処分すれば、かなりの額になると思うの。それを持参金にすればどこかの家で私を引き取ってくれるかもしれないわ」

「……デボラ様」

「スワロウ、貴方から侯爵様にこの事を提案して下さらない? お相手の家次第では白い結婚でなくても良いわ。元々その覚悟でこの国に来たのよ」

「デボラ様、落ち着いてください!」

「……私は、落ち着いているわ」


 いつだって冷静で完璧な、人形のような公爵令嬢で未来の王妃。今まではそれが彼女に与えられた役割だったのだ。だからこれくらいの事は冷静に考えられる。自分という駒を切り捨てた方がこの屋敷の皆の、そしてシスレー侯爵の心の安寧を保てる。その方がずっと良い。これは損切りのようなものだ、と。


(駒?)

「……あ」


 突如としてデボラの赤いくちびるから、短く声が漏れた。灰色の目は大きく見開かれ、宙を見つめている。顔から色が抜け落ち、青白くなってゆく。


「デボラ様?」

「……ああ……」


 彼女は気づいてしまった。何故祖国では泣くことがなかったのか。何故、今にも涙が出てしまいそうになるのか。


 デボラは駒だったのだ。

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