第28話 元執事長の登場


 執事服を身にまとい、頭の先から指先までびしっと神経が通った所作の老人は、穏やかに。そしてにこやかに少年を諭す。


「トム、気持ちはわかりますがそれは言ってはいけませんよ。デボラ様に対して無礼にあたります」

「でもっ、スワロウさん……」

「口を慎みなさい」


 老人はピシリと言葉に重石を乗せる。トムが口をつぐんだのを見ると彼はもう一度微笑みを取り戻した。


「貴方はご存知ですか? デボラ様の生家であるマウジー公爵家は戦争反対派だったと」

「え……」

「それをマムート王家と将軍が強引に戦争を始めたのだそうですよ。デボラ様は両国がこれ以上争わない為に自ら望んでこの国に来たのです。彼女を侮辱することは平和の象徴を侮辱することと同じですよ」

「……」


 デボラはまた真顔になった。前半の言葉はその通りだが、自ら望んでこの国に来たと言うのは真っ赤な嘘だ。


 だが、その無表情は今の状況には合っている。デボラは人質の身で侮辱されることも平和の象徴と讃えられることも両方あり得るのだから、はたから見ればどのような反応をするべきか迷い、無表情を貫いているように見えるだろう。


「……っ」


 トム少年は僅かに潤んだ目でキッとデボラを睨むと、そのまま身を翻し走り出す。


「あっ……トム! 待ちなさい!」


 シェリーの声も彼の足を止めることはできず、肉屋の使いの少年はそのまま走り去った。


「……ああ、デボラ様、誠に申し訳ございません。この非礼の罰はどうぞ私めに」


 老人は恭しく頭を下げた。


「いいえ、子供のすることですもの。それにきっと戦で辛い目に遭ったのでしょうね」

「「「……」」」

(?)


 その瞬間、デボラは妙な空気を感じ取った。

 ピーターとシェリーも真顔になったし、ヴィトのへの字口も僅かに引き結ばれたのだ。老人も頭を上げるタイミングが遅く、顔が見えない。


 デボラが内心で戸惑い、話を切り替えようとした矢先、老人が頭を上げて話した。顔はにこやかなまま。


「ええ、大好きだった人が、戦がもとで亡くなられたのですよ」

「まあ……それは本当に私が恨まれても仕方がないわ」


 デボラは複雑な気持ちになった。ガラス玉のような灰色の目の中で、本当に複雑に、様々な気持ちが絡み合う。だが、その気持ちの整理は後で一人でそっと行いたいと考えて目の前の老人と同じように作り笑顔で対峙する。


「ところで、貴方がスワロウさんかしら?」

「おや、なんと言うことでしょう。私としたことがデボラ様にまだ名乗っていなかったとは!」


 彼は再び頭を下げる。


「以前、この家の執事をしておりましたスワロウと申します。重ねての非礼をお詫び申し上げます。この通り、第一線を退かざるをえなくなった年寄りが頭が弱くなり礼儀すら忘れてしまった哀れな姿と、どうか寛大なお心をもって笑っていただければありがたいのですが」

「まあ、とても第一線を退いたようには見えませんわ。それに侯爵様はスワロウさんになんでも頼るといいと仰っていましたもの。今でも篤く信頼を置かれているものかと」

「それはそれは……光栄です」

「御存じでしょう。私はデボラ・マウジー。宜しくお願い致しますわ、スワロウさん」

「いいえ、私になどさん付けなど勿体ない。どうぞスワロウとお呼び捨て下さいませ」

「……ではそう致しますわ」


 デボラは美しい愛想笑いを振り撒きながら、同じく素晴らしい完成度(とても自然に見える!)の作り笑いのスワロウと挨拶を交わす。そして。


「料理長、さっきの件、宜しくお願い致しますわ」

「ああ、肉はしっかり洗っておく!」

「では、失礼致します」


 皆に軽く挨拶をしてシェリーを伴い自室に戻ったのであった。

 彼女の姿が完全に見えなくなると、スワロウは振り向く。柱の影に身を潜めていたアシュレイが現れる。


「やはりデボラ様は、あの事を御存じないのでしょうな」

「確かにこの屋敷の者は誰もそれについては言及していませんし、デボラ様から質問された事も無いはずですが……知らないふりをしている可能性は?」


 元執事長は軽く首を振った。


「そんな事をするメリットは無いでしょう。……ああ、アシュレイ、私の見解を改めねばなりません。あの方は足りないどころか、多分賢い方ですね」

「え?」

「今まで御存じなかったのでしょうが……今ので、気づかれたかもしれません」



 ◆



「シェリー、ちょっと濃いめの紅茶を頂けるかしら。私、疲れてしまったみたいだわ」

「あっ、はい! 今すぐ用意して参ります!」


 部屋に戻った途端、珍しくデボラから茶の要求があったので、シェリーは慌てて出ていく。本来であれば他のメイドに言付けるか、せめてデボラの見張りを別に立ててから部屋を出なければならないはずなのに。ローレン夫人が不在だったのと、デボラのいつもと違う様子に慌てたのでうっかりしてしまったのだろう。


 ……尤も、デボラとしてはそうならないかと期待して茶を要求したのだが。

 見張りが居ないからと言って、別に逃げたしたり悪巧みをするつもりではない。独りきりでゆっくり考えたかっただけだ。


(さっきの、皆の表情……)


 デボラが「それにきっと戦で辛い目に遭ったのでしょうね」と言った瞬間、あの場の皆が何とも言えない顔になった。そのあとすぐにスワロウはの大好きな人が戦で亡くなったのだと言った。


 それは嘘ではないが、多分真実でもない。トムひとりの大好きな人が亡くなったのなら、彼がシスレー邸の皆にあのように当たり散らすのは道理が合わないからだ。

 勿論、子供のやることだから支離滅裂という場合もあるが、あの時の彼の言い様や、その後のスワロウの言葉から察するに今回はそうではない。


 きっと、トムやスワロウだけでなくシスレー領大好きな人が亡くなったのだ。


 デボラはここに来てまだ日が浅い。それも王家と父が結託して隣国への追放を決めたことをギリギリになって知らされた為に、シスレー領について何の予備知識も持たずに来ている。だから今、彼女の手の中にある僅かな情報だけで結論をまとめるのは危険だ。


 けれども、やっぱりその考えは捨てられなかった。辻褄がぴったりあってしまうのだ。戦で亡くなったのが、シスレー侯爵夫人であったマグダラだという結論なら。

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