第50話 とっても性格が悪いのかもしれないわ


 談話室と言う部屋に似つかわしくない長い沈黙がまた続く。そっと置いたティーカップの音すら聞こえるほどの静けさだ。

 だがデボラはそれ以上は口を開かず様子を見守る。


「そうかも、しれないな」


 手紙に目を落としたたまま、ぽつりとゲイリーが言った。


「俺は思い上がっていたのかもしれない。何も言わなくても彼女の心が全てわかっていると」


 その言葉にハッと息を呑む音がする。おそらくアシュレイから発せられたのだろうが、デボラもゲイリーもそちらを見ようとはしなかった。


「この手紙には『誰も恨まないで。憎まないで』と書いてある。これはコーネルや君の国の事を指しているのだとばかり思っていた……だが、それだけじゃなかったのか……」


 そこから彼は深く息を吐いて口を噤んだ。マグダラは、ゲイリーに彼自身も憎まないで欲しいと手紙で伝えていたのだ。


「……うっ」


 堪えきれなかった呻き声がローレン夫人の口から漏れる。彼女はハンカチを素早く取り出すと目に押し当てた。


「旦那様、申し訳ありません」


 アシュレイが進み出て深々と頭を下げる。


「私も思い上がっていました。私こそが一番奥様を知っていると信じ……いえ、そう信じたかったのです。せめてそれぐらいは許されると思っていました」

「アシュレイ……いや、君は良くやってくれていたよ。マギーは最期まで君を本当の弟のように信頼していた筈だ」


 このやり取りに、漸くデボラはアシュレイがマグダラに並々ならぬ想いを抱いていたのだと気づいた。彼が今まで刺々しい視線を向けてきた理由が理解でき、目の前の霧が晴れるような気持ちになる。

 一旦はほっと息をついた彼女だったが、次のゲイリーの言葉で心臓がどきりと鳴るのだ。


「ところでデボラ嬢、先ほどはずいぶんと具体的な逃亡計画を聞かせてくれたが、まさかこの屋敷から逃げ出すつもりではあるまいね?」

「あ……!」


 デボラは動揺し、視線をさまよわせる。と、スワロウと目が合った。彼は困ったような笑みを作る。


「旦那様、デボラ様は昨夜、マムート王国の人間であるご自分がこの家に居ては、皆が辛いだろうから屋敷を出ていきたいと仰せになりました」

「そうか。今話した通り、マギーの件は君が責任を感じることはないんだ。それと」


 ゲイリーは今までの温かさと余裕を取り戻し、デボラに微笑んで見せた。


「リオルド殿下直々の命で君を預かっている以上、君に出ていかれるととても困ることになる。どうかこの屋敷に留まってほしい」

「……」


 デボラは俯き、再び膝の上のスカートを握った。


「……私、ここに居ても良いのですか? 本当に皆様のご迷惑にはなりませんか?」

「ああ。迷惑どころか居てくれて感謝しているよ」

「……感謝は、流石にありませんでしょう」

「あるとも。さっきのリオルド殿下の時も助かったが、今こうして君がマグダラについて感じたことを言ってくれなければ、私たちはずっと自分の思い込みに囚われていただろう。これからも君の率直な意見を聞かせてほしい」

「……」


 デボラが俯いたままほんの少し頷く。その拍子に、膝の上で握っていた手にぽたりと透明な雫が落ちた。



 ◆



「ああっ、悔し~い。もう一生王子様を近くで見る機会なんて来ないに違いないわ」

「リオルド様が来た時に、誰かが私たちに教えに来てくれれば良かったのに!」

「そうよ! 私なんてその間、自分の部屋でぐーぐー寝ていたと思ったら悔しくて悔しくて……!!」


 翌日、デボラが朝の散歩を終えて部屋に戻ろうとしていた時の事。

 廊下の隅の方で二人のメイドがコソコソと話をしているのには気づいていたが、中身まではわからなかった。ところが二人は次第にヒートアップした為デボラの耳にもハッキリと聞こえてきた。話す内容のみならず二人の内、片方はシェリーの声である事がわかるほどに。

 デボラが傍らのローレン夫人を見ると、夫人は盛大な咳払いをした。


「コホン!」

「!!」


 秘密の愚痴を言い合っていたつもりの二人はぴゃっと背筋を伸ばす。


「気持ちはわかりますけれども、そういう話は仕事が終わってからになさい!」

「は、はい! すみません!」

「あと、王子殿下がお越しになることは旦那様でさえご存じなかったのですよ。ですからこれはたまたま起きた出来事です。たまの偶然に居合わせられなかったからと言って、いつまでも嘆いても仕方がないでしょう」

「はい……」


 二人のメイドは明らかにしょんぼりと気落ちした。非番だった為にリオルドを見る事ができなかっただけでなく、更にメイド長のローレン夫人に叱られてしまった自分たちは本当に運が悪い、と思っていそうだ。

 デボラは少々気の毒だと思い、彼女たちの気分が変わるような言葉を何かかけようと考え……少しばかりの冗談を交えることを思いついた。


「でも、お休みで良かったかもしれませんわ。だってシュプリム伯爵の暴れようは凄かったそうですもの。アシュレイなんて顔がこ~んなに腫れてしまって」


 頬の横に手をやり腫れた様子を想像できるように見せる。その時ちょっとだけ大袈裟に手を動かしてみた。シェリーともう一人のメイドはぎょっと目を剥く。その顔を見たデボラはまた話を盛った。


「だから今日はアシュレイがお休みでしょう? でも代わりを務めているスワロウもお腹を酷く蹴られたそうなの。スワロウは気取られないように普通に振る舞っているけれど、さっき物陰で辛そうにしているのを見たわ」

「ひえっ」


 メイドたちが、もしもその場に自分も居たら……と悪い想像を巡らせ恐怖の声を漏らしたところで、デボラはにこりと微笑む。


「ね? その場に居合わせなくて正解だったかもしれないわ」

「そ、そうですね! では失礼します!」


 シェリーたちはぺこりと頭を下げ、自分たちの持ち場に急いで戻っていった。二人の姿が見えなくなると、デボラはローレン夫人に向き直る。夫人は口を僅かに開けていた。デボラが二人を脅かした事に驚いているのだろう。


「ねえ、ミセスローレン、困ったわ」

「……何がでしょう」

「私、もしかしてとっても性格が悪いのかもしれないわ」

「は」

「シェリーたちの気を紛らわすつもりだったのに、途中から怖がらせるのがちょっと楽しくなってしまったの」


 デボラは相変わらず表情が乏しいが、以前よりはだいぶ素直な気持ちを出せるようになっていた。夫人はその時、彼女の中に悪戯好きな子供のような一面があると感じた。


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