深紅の薔薇は、再び少しずつ花開く

第51話 デボラの贈り物

 その後、部屋に戻ったデボラは刺繍を始めた。

 最後のひと針を刺すと、裏で丁寧に糸を留めてローレン夫人に差し出した。夫人は小さな鋏で糸の始末をする。もうそろそろ鋏ぐらいは使わせてほしいと言ってみたのだが優しく「私の仕事を取らないでくださいな」と言われてしまっては反論できない。


「ではシェリーを呼びますね」


 夫人が部屋の外に待機していたシェリーを呼び、中に引き入れる。彼女は身に着けているエプロンの端を弄び、おずおずと声を発した。


「あ、あのデボラ様、何か私、失敗しました……?」

「いいえ違うの。どちらかというと失敗したのは私の方ね」

「???」

「今朝はちょっと大袈裟に言いすぎたわ。怖かったでしょう? ……ごめんなさい」

「え? え!?」


 悪戯が見つかった子供のように、上目遣いで気まずそうに謝罪するデボラ。戸惑うシェリー。


「あの、それでお詫びと言うわけじゃないのだけれど……これを受け取って貰えないかしら」


 デボラが差し出したのは白い絹のハンカチだった。角に可愛らしい飾り文字を刺繍で縫い取ってある。飾り文字はシェリーの頭文字を意味していた。


「え……こ、こんな高そうな物、貰えません!!」


 シェリーは遠慮して辞退したのだが。


「そうなの……やっぱり迷惑よね」


 デボラは大きな目を半分閉じて背を丸め、しおしおと小さくなっていった。表情こそ固いが、どう見てもしょんぼりと気落ちしている。ローレン夫人は薄く……よく見ないと気づけないほどに薄く、微笑みを口元に作った。


「シェリー。これはね、デボラ様が貴女の為にと手ずから刺繍をしたのですよ」

「え!?」

「だから断ってしまうとこのハンカチだけではなく、デボラ様のお気持ちも無駄になってしまうと思いませんか?」

「は、はい!」


 シェリーはぴっと背筋を伸ばしてデボラに向き直ると両手を前に出した。


「デボラ様! そういうことでしたら喜んで頂きます!」

「……本当に? 無理をしなくて良いのよ?」

「デボラ様が刺繍をなさったハンカチを貰えるなんてとっても嬉しいです!」


 シェリーは笑顔でハンカチを受け取り、自分の頭文字の入った刺繍を眺める。


「素敵! すっごく可愛いです!」


 彼女の屈託の無い反応に、デボラはホッと息をついてから少しはにかんで言う。


「あの……アンだったかしら。あの子にも同じようなものを作っても迷惑じゃないと思う?」


 先ほど廊下で愚痴を言っていたもう一人のメイドの名を出すと、シェリーの目がキラキラと輝いた。


「迷惑どころか! あの子なら飛び上がって喜びますとも!」

「アンでなくても、皆が嬉しいでしょうね」


 ローレン夫人がそう言うと、デボラはもじもじとした。


「あの……ミセスローレンも、受け取ってくれる?」

「まあ」


 夫人の眉が一度は上がるが、すぐにそれは優しげな声とともに緩んだ。


「お気持ちはとても嬉しいですけれど、私には貰う資格がございませんもの」

「そんなことは無いわ。ミセスローレンにはとても良くして貰っているし」

「そうでしょうか……でも良くしているというのが理由ならば、私よりも先に旦那様にお贈りするのが筋ではございませんか?」

「え」


 デボラは眼を丸くしたあと俯いてしまった。両手の指先を組み合わせ、いっそうもじもじとする。


「侯爵様は、私が刺したハンカチなんてきっと喜ばないと思うわ……」

「そんなことはありませんよ! デボラ様はとっても刺繍がお上手ですから!」

「ええ、一流の職人が刺したようですわ」


 シェリーとローレン夫人が懸命に励ましたがデボラはなかなか首を縦に振らない。結果、昼食の時間手前まで説得は続いたのである。

 それでも彼女は昼食後、音楽室でピアノを弾き終わって部屋に戻ると、再び針と糸を手に取った。



 ◆



「あぁホントに素敵! 私、これをとっておきの時に使います! デボラ様、ありがとうございます!!」


 アンにも飾り文字を縫ったハンカチを贈ったところ、彼女は興奮のあまり本当に飛び跳ねそうだった。今回もデボラはホッと息をつく。


「そう言って貰えて良かったわ」


 彼女の赤い唇が言葉を紡いだあと、口角が僅かに上がる。


「!」

「あら」


 その場にいたシェリーとアン、ローレン夫人も目を見張った。デボラは微笑みを浮かべていたのだ。その照れが混じったような笑みは、いつもの愛想笑いとは全く違っていた。

 シェリーは夫人と顔を見合わせ、首を何度も縦に振って満足気に頷く。そして仕事に戻るため、挨拶をしてアンと共に部屋を出ていった。


ところが暫くして。


「デボラ様……あの、すみません」


シェリーが申し訳なさそうに部屋に戻ってきたのだ。


「どうしましょう。あの、トムが両親と一緒に訪ねてきたみたいなんです」

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