第52話 一人の人間として尊重したい


「すみません……申し訳ねえ……」

「すみません。本当に私たちのせいです」


 使用人用の食堂にこだまする、トムの両親の懺悔の言葉。

 二人は見るからにげっそりとしており、その二人の間には目を赤くしたトムが俯いている。

 食堂のテーブルを挟んで反対側に座るのは侯爵とデボラ。その椅子は使用人用の木の椅子とは異なり、別室から運んできたフカフカなものである。


 なぜこのような状況かと言うと。

 デボラに対して酷い態度を取ったトムのお詫びに来たという三人を、彼女の私室で迎えるのは流石にいろいろと問題がある。シスレー侯爵は自分も同席するし、談話室を使っても構わないと言ってくれたが、トムの両親は煌びやかな部屋に通されそうになった途端に「とんでもない!!」と真っ青になって後ずさりをはじめたのだ。


 まあ、万が一部屋を汚しでもしたら彼らの蓄えでは簡単に弁償もできないだろう。それでなくても領主の家に詫びに来て分不相応な部屋に通されれば震えあがるのは当然だ。彼らは今にも罰として酷い目に遭うのだろうと思っていそうなほどオドオドしている。


 結局、シスレー邸の本館でトムの両親が少しでも落ち着いて話ができそうなところと言えば、飾り気のない使用人用の食堂が最適という意見で落ち着いたのだ。


「どうぞ飲んでください。落ち着きますよ」


 スワロウがお茶を薦めたが、三人は席に着かず立ったまま頭を垂れていた。


「うちのバカ息子が大変失礼な事を言ったうえ、ハンカチも借りたまま帰っちまったそうで、本当にすみませんでした」

「……」


 父親が頭を更に下げながら、左手でトムの頭を押さえつけて謝罪する。母親も頭を下げながら謝罪した。


「すみません。領主様の奥様になんて事を……もっと早く来るべきだったんですが、この子がハンカチを隠していたもんで、私らもお役人様が来るまでは知りませんでした」

「お役人?」


 意外な言葉にデボラは灰色の目を見開き、思わず横に居たシスレー侯爵を見る。彼はデボラに向かって小さく首を横に振ったあと、父親に訊いた。


「私は使いを出していない。どこの役人と名乗っていたかね?」

「はあ……なんでも王都のお役人だと仰って。そりゃあビシーッとした立派な服を着ていなさったんで、嘘をついているようには思えませんでした。トムが奥様からハンカチを借りた事を知っていて、それを調べさせてほしいと」

「ふむ。それはいつの事だ?」

「昨日の夕食の支度中でした。話を聞いてそれはもうびっくりして。トムに訊いたら隠していたハンカチを出してきたんです。お役人はトムに幾つか質問をしてハンカチを借りて行きました。今日の昼過ぎに返しに来てくれたんで、それからここに」

「質問は、何を?」


 トムは無言のまま軽く俯き、上目遣いでデボラを見る。その目にはキラリと反抗的な光がちらつく。彼の態度に母親が慌てて口を挟んだ。


「あの、奥様と何を話したかとか。ハンカチの他に何か渡されたのでは? とか、普段この子が何をしてるのか、とかそんな感じで特に変わった事は聞かれていないと思います!」

「そうか……なるほど」


 シスレー侯爵がそう呟いた横顔をデボラは見上げていた。彼はそれに気づいたのか、視線が合わさる。今度はデボラの方が小さく首を縦に振った。

 トムの家を訪ねたのは多分、リオルドの部下達だ。


(いささか軽はずみな行動だったわ……)


 ここに来てデボラは初めて、自分がスパイ行為を疑われているのだと気がついた。侯爵に屋敷の外に出てはいけないし外部の者と連絡を取ってはいけないと言われていたのに、うっかりとトムにハンカチを渡したことでそれが何かの暗号ではないかと勘ぐられたのだ。

 ……まあ、翌日にはすぐにハンカチを返されているし、トムが強い尋問もされていないところを見ると、それはあまり心配するほどでもない事だが。


 そもそもデボラが本当にトムを使って外部と連絡を取るつもりだったならば、丸鶏事件の詳細まではリオルドに語らず、適当にごまかしていたはずだ。

 あの、人当たりは良いが抜け目もない第二王子なら、そこまできちんと考えているに違いない。リオルドとしても今回の確認は本気ではなく「念には念を入れておこう」という程度だろう。


 デボラとしても別に、探られたところで痛くも痒くもない部分である。だから安心して侯爵に微笑みかけ、トムの両親に向き直った。


「ごめんなさい。私がハンカチを渡したせいでかえってご迷惑になったのね」

「いえ!! そんな。そもそもこいつがすぐにハンカチを返していればいいだけだったんですから! 本当にすみません!」


 父親は慌てて、もう一度トムの頭を押さえつけながら謝罪する。だが、トムの態度は納得していない雰囲気が垣間見えた。


 デボラは余裕の微笑みを崩さないまま、さて、どうしたものかと内心で思う。トムが失礼な態度を取ったのは子供のする事だし、マグダラへの敬愛もあったのだから仕方ない。両親がわざわざ謝罪に来るほどの事ではなかったのだが、王都の人間から突然の来訪を受けてパニックになってしまったのだろう。


 しかし、今の自分は何の権力も持たない人質でも、建前は領主夫人だ。

 だから領民に無礼をはたらかれた事を簡単に水に流してしまって良いのだろうか。トムが更に増長する可能性があるなら、それはシスレー領にとっては良くない事だ。しかし人質の自分がそこまで口出しをするのも、また良くない。


 デボラは少し考え込み、そしてまた横の侯爵を見上げる。彼はすぐにまた彼女と目を合わせてくれた。優しいスカイブルーの瞳に見つめられるとデボラは安心して口を開くことが出来る。既にもうこの時にはゲイリーに心を開き信頼を置いていたのだ。自覚はしていなかったが。


「侯爵様、ハンカチは元々差し上げるつもりでしたの。だから返していただく必要はありませんわ。でも……」


 彼女が言葉を濁すと侯爵は頷き、そっと彼女の肩に手を回す。デボラの胸の中心がとくりと音を立てた気がした。


「彼女はハンカチを渡したのは失敗だったと、既に自分の非を謝罪したが?」

「は?」

「え……」


 トムの両親はぽかんと口をあけて言葉を失い、暫くするとあきらかに真っ青になって間に挟まる我が子を見下ろした。そう、トム自身はまだデボラに対して謝っていないのだ。


「勿論、誤解もある。私の最愛の妻だったマグダラはマムート王国との戦争ではなく、北の村の疫病がもとで亡くなったのだ」

「えっ」


 侯爵の言葉にトムは驚いて顔を上げた。ゲイリー・シスレーは、優しく微笑みながら諭すように言う。


「それにデボラは和平の為にこの国に来てくれた。私もあの国が好きだとはとても言えない。だがそれと今ここに居るこの人は別だ。私は彼女を一人の人間として尊重したい。だから」


 デボラの肩に置かれた手にもう少しだけ力が入り、彼女は侯爵の方に身体を傾けるかたちになった。ほんの少し、服越しに腕が触れあうだけでデボラの頬にサッと朱がのぼる。


「私の今の妻に、一言謝罪してくれないか。一言でいいんだ」

「……」


 トムは一瞬躊躇いをみせた。まだ幼い彼には引っ込みがつかなかったのだろう。

 デボラはかりそめの夫から離れると、再び微笑んだ。


「侯爵様、もう私は充分です。今のお言葉だけで」

「ごめんなさい!」


 彼女の言葉は、大きなトムの声によって途中でかき消された。


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