第53話 謝罪と対価


「ごめんなさい……俺、でも」


 トムは嘘や建前で謝罪をしているようには見えなかったが、落ち着きがない。その目はチラチラと、テーブルの上に置かれたハンカチに落ちている。


「あの、これは欲しいんです」

「馬鹿野郎!」


 父親が顔を真っ赤にしてトムの頭を再び押さえつけた。


「すみません! 本当に礼儀のなってない奴で!」


 母親も慌てて「すみません。私たちの育て方が良くなかったんです」とペコペコと頭を下げる。

 まるで振り出しに戻ったようだ……が、デボラは解決の糸口を見つけたような気がした。


 彼女はマウジー公爵領にいた頃を思い出す。孤児院や救済施設など公爵家が慈善活動をしている施設を訪れて、そこの人々と話をする機会はあったが、普通に暮らす領民と直接会話をする事はほとんどなかった。

 アーロンの婚約者候補として暇を惜しんで勉学に励み、そして実際に婚約者となった後は彼の公務を手伝っていた為、あまりにも多忙だったからだ。


 だが、その数少ない領民との会話を思い返してみても、トムの両親はかなり、いやとても真面目な人間の部類ではないかと思えた。


「こちらはお返しします。ありがとうございました」


 母親がハンカチを返そうとすると、押さえられた頭を無理に上げたトムが小さく「あ」と声を上げ、悲しそうに顔を歪める。

 真面目な両親は謝罪に来た以上、いくらデボラが「ハンカチは差し上げます」と言っても受け取らないだろう。トムがハンカチを両親に隠していた理由、そしてマグダラの死因が疫病と知っても素直に謝罪できなかった理由は、両親の態度を彼が予想していたからではないか、とデボラは思った。


「お待ちくださいな」


 デボラの美しく、はっきりと意思が乗った声に皆の動きが止まり視線が集まる。


「もう充分です。お詫びの気持ちはしっかりと伝わりましたから。けれど、ひとつだけ教えていただけないかしら」

「は、はい。なんでも」


 動揺しながらも答える父親から子へと目を移し、彼女は問いかける。


「このハンカチが欲しい理由を教えてくださる?」

「え」


 トム少年は目をせわしなく左右へきょろきょろと動かし、黙りこんだ。しかし食堂には沈黙が満ち、彼の両親やデボラや侯爵だけでなく、食堂に居たローレン夫人やスワロウ、シェリーやヴィト、ピーター達の視線までもが一斉に彼に注がれる。

 暫くして、その沈黙と視線に耐えられなかったのか。少年は口を開いた。


「姉ちゃんが……俺の、上の姉さんがもうすぐ十六歳なんだ……です」


 ハッと息を呑む音が彼の両親から、そしてシェリーやピーターからも聞こえる。心当たりがあるのだろう。しかしデボラにはその意味がわからない。彼らにそっと視線を送っていると、横の侯爵から助け舟が出た。


「そうか。次の収穫祭の時に使いたいと考えたんだな?」


 トムはモジモジと、しかし泣きそうな顔で答える。


「はい……このハンカチの刺繍が綺麗なので、帽子の飾りに使えると思って」


 デボラは再び侯爵を見上げる。ゲイリー・シスレーは彼女に優しく教えてくれた。


「この近くの街ではね、収穫が終わると祝いの祭りをするんだ。その時に年頃の男女は帽子を飾り立てる。立派な帽子でステータスを誇示したり、男女の出会いのきっかけになったりもするんだ」

「まあ、そうなのですか」


 おそらくトムの家はそれほど豊かではない。幼い彼が肉屋の使いをしているところからも明らかだ。きっとこの見事な刺繍が入った高価なハンカチは、彼の姉にはなかなか手に入れられない物なのだろう。デボラはそう考え、俯きがちな少年に向き直った。


「お姉さんにハンカチをあげたかったのね?」

「……はい、ごめんなさい」

「いいのよ。ではそれは差し上げるわ」

「そ、そんな! こいつを甘やかすわけには……」

「そうです! 奥様に失礼をしたのに……!」


 デボラは小さく「まあ」と声を漏らし、頬に手を当て首を小さく傾げた。

 やはり彼らは平民にしては随分と真面目なようだ。真面目過ぎて損をするぐらいに。トムはデボラに失礼な真似をしたのだから、正直に謝ったくらいで物を施されるのは「甘やかし」になってしまい、彼の為にならないという考えらしい。

 しかしトムの行動は自分の為ではなく姉を想ってのものだったのだ。その気持ちを台無しにするのもいささか酷と言えるだろう。


「……」


 デボラはどうすべきか考えを頭の中でまとめながら、扇を取り出し広げる。彼女が口許を扇で隠すのは、シスレー邸では初めてのことだ。流石にローレン夫人は表情ひとつ変えなかったが、シェリーは目を丸くしていた。


「侯爵様」

「なんだい?」

「お耳をお貸し頂けますか」

「ああ」


 デボラは扇でシスレー侯爵の顔と自分の顔を半分ずつ隠し、彼の耳許で囁く。彼女の内緒話はそれなりの長さで、トムと彼の両親は居心地が悪そうに様子をじっと見ていた。

 内緒話を漸く終えると、侯爵は少しだけ驚いたが、すぐににこりと小さく頷く。


「ああ、良い考えだと思う」

「ありがとうございます」


 デボラは軽く頭を下げ、そのままシスレー侯爵にバトンを渡した。これ以上、人質の立場である自分が喋るのは分不相応だと考えて。


「では、こうしようか。君たちの詫びる気持ちは充分に伝わったが、それでもハンカチを受け取れないというなら、対価として労働をして貰おう」


 侯爵の言葉に、両親はいっとき目を丸くしたが、すぐに父親が心得たとばかりに笑顔で答えた。


「ええ、もちろん! 水汲みでも庭いじりでも、こいつのできる雑用ならいくらでも使って下せえ!」

「あ、いやそうじゃない。労働という言い方が良くなかったか。対価として求めるのは刺繍の訓練だ」

「へ?」


 シスレー侯爵の言葉の意味が理解できず、トムも、両親も、周りの皆もぽかんと口を開けた。


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