第2話 デボラという女の事情
「くくく……そうかな。何故そう思った?」
「初めて会ったと言うのに、面と向かって堂々と
「ほう?」
「そもそも本物のマウジー公爵令嬢かすらも怪しい。娼婦を替え玉として送り込んだのでは?」
「いや、あの所作の美しさは完璧なご令嬢だ。そこらの女では替え玉など務まらないよ。それに噂に違わぬ美貌だったし」
侯爵の言葉にアシュレイは渋々と、しかしその美貌は嘘偽りないと認めた。
赤い絹かと見紛う艶のある髪に、吸い込まれそうな大きな灰色の瞳。派手な顔つきに似合わぬ楚々とした気品ある振る舞い。折れそうなほど細い腰に反した豊かな胸。その上にはまたも折れそうな白い首。まさに物語の中の「美しい悪女」や「傾国の美女」を現実に象れば彼女のような姿だろう。
ひと目見れば誰もが忘れられぬような圧倒的な存在感を放つデボラ・マウジー公爵令嬢。彼女はその美しさと地位から国を代表する美女として、隣国……つまりシスレー侯爵の属するフォルクス王国にも噂が及ぶ程であった。そう簡単に替え玉を立てられるとは思えない。それに何より。
「彼女はマムートでは元王太子の婚約者だった方だぞ。それを向こうから人質として差し出してきた以上、偽物であるわけがない」
一年前、軍備を徐々に増強していたマムート王国が、フォルクスの肥沃な地を手に入れようと攻め入った。しかしフォルクスも秘密裏に守りを固めていた為、戦いは膠着。短期集中戦で楽に勝てると踏んでいたマムートはあてが外れた。このまま戦いを続ければ勝てる見込みもあるにはあるが、それでは互いに疲弊しすり減ったところへ他の国から攻めこまれるのがオチだ。被害が甚大になる前に二国は和平を結んだ。半年前の事である。
二国の国境は間を流れる川であったがそのラインは戦後も一切変わることがなく実質はマムートの負けだ。従ってマムートが幾らかの賠償金を支払って手打ちの筈だった。フォルクス国内ではこの手打ちに「甘い」と不満を持つ者も居たのだが、この戦争で明確な被害を受けたのは国境を治める王家直轄地とそこに隣接したシスレー侯爵領だけだった為、フォルクス王家とシスレー侯爵が是とすれば表だった反対もできなかった。
それが先日突然、マムートから「デボラを花嫁として送る」と申し出があったのだ。彼女は薄くはあるがマムート王家の血筋を引いている。丁度今はマムート王家に年頃の王女が居ないこともあり、更に彼女の地位や立場も鑑みれば人質としては妥当なレベルである。フォルクス国内では誰が彼女を引き取るかで少々揉めたが、美しい彼女に手を付けないだろうという信頼と、人質の彼女を盾にするならば国境付近に住まうシスレー侯爵が最適と白羽の矢が立ったのだ。
ここまで入り組んだ事情の上で、彼女が偽物ならば更に二国間の火に油を注ぐだけだろうとシスレー侯爵は考えていた。
「となると、本物ではありますが我が国を探るために送り込まれたと?」
執事の言葉に侯爵は頷いた。
「可哀想だが篭の鳥になって頂こう。尤も、こんな田舎では外に出たところで彼女が望む情報など得られないだろうがな」
◆
デボラはローレン夫人の案内で部屋へ通された。公爵家の時ほど豪華ではないものの、充分な部屋の広さと美しい調度品が用意され、陽当たりも風通しも悪くない。続き部屋には衣装部屋と寝室、更に続いて浴室もあり、衣装部屋には自国から持ってきたドレスや装飾品が既に納められていた。
(まあ。人質というから私物は取り上げられるものだとばかり……)
またまたデボラは拍子抜けした。そこにローレン夫人が冷たい声をかける。
「何か御入り用の物がございましたらご遠慮無くお申し付けくださいませ。日中と夜間も交代で
元公爵令嬢、現侯爵夫人であればメイドが常に控えるなど日常的なものだ。しかし敢えてローレン夫人は強調した。これはデボラが余計な事をせぬよう見張っているとのアピールに他ならない。
「ミセスローレン、ありがとう」
デボラは微笑むと、窓際に寄り外の世界を眺めた。また目はガラス玉の様になり、小さな小さな溜め息が溢れる。ローレン夫人は……いや、そこにいた他のメイドも皆、彼女は囚われの身となった自分を憂いているのだと受け止めた。デボラの心の中を正しく把握できた者は誰一人として居ない。
(困ったことになったわ……)
デボラは悩んだ。こんな扱いを受けるならば、まだ愛はなくともスケベおやじの慰み物にされた方がマシだったかもしれない。それならば少なくとも自分の身体には価値があると言えるのだから。
(こんなに丁重に扱って頂くなんて……おそらく私に人質の価値などないのに。でも真実を話すわけにはいかないし、どうしましょう……)
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