第46話 完璧だった王子と完璧だった令嬢

 シスレー侯爵とデボラとリオルド王子は談話室で茶と歓談を楽しんだ。


「実はな、シスレー侯には城内でそれなりのポストに就いて貰いたいんだがな。ずっと断られているのだ」


 リオルドの言葉に、デボラの灰色の目が瞬く。侯爵は苦笑いで答える。


「私には過ぎた役だと何度も申し上げているでしょう」

「謙遜も甚だしいぞ。ちょうどいい機会だ。あのクズのかわりに信頼のおける優秀な代官を見立ててやるから、領地は安心して代官に任せ、王城勤めになれ」

「それではデボラも王都に連れていかねばなりませんね? 私の妻ですから」


 王子はつまらなそうにふっと息を吐いた。


「……そうきたか。お前もなかなか言うじゃないか。以前はちと正直過ぎると思っていたが、どうやら少しは年の功が身に付いたようだな」

「いいえ、私は本当に妻の身を案じておりますから、目の届くところに置いておきたいのです」


 すまして言う侯爵の横で、デボラは複雑な気持ちを表には出さず美しい笑みを作り続けた。確かにデボラも王都に行きたいとは思わない。先ほど他ならぬリオルドがデボラの引き取り先を決める時に少々揉めたと言っていたのだから。フォルクスの貴族達が集まる王都ではどんなトラブルに巻き込まれるかわかったものではない。


「なるほど。ものは言いようだ。確かに奥方は目を離せない存在だしな」


 リオルドも同じ事を考えたらしく、クッと皮肉気な笑みを見せる。

 デボラはふとフォルクスとマムートの仲が怪しくなる前、リオルド王子とその妃ヴィオレッタが外遊でマムート王国を訪れた時を思い出した。その際の彼はまさにきらびやかな王子様然としており、そんな顔は一度も見せなかったのだ。おそらくシスレー侯爵は、王子にとっては素直な感情を見せられる相手なのだろう。


(だから、侯爵様は私にも愛想笑いをしなくて良いと仰ったのね)


 シスレー侯爵を相手にすると王族すら軽口を叩き本音を滲ませる。おそらく彼自身の度量の広さと口の堅さのなせる業なのだろう。リオルドが信頼のおける駒として手元に置きたがる気持ちもデボラにはわかった。彼女がもしも王太子妃だったならば、彼のような信頼できる人を望んだだろうから。

 デボラはゆっくりと、横にいる彼を見上げた。


「? どうした?」


 優しく訊ねてくる侯爵に、完璧な愛想笑いで考えを隠し通し、美しく微笑むデボラ。


(もしもここで私が殿下に「シスレー侯爵の元から別のところに移してほしい」と直談判したら……)


 リオルドならば、侯爵側に非があるとは考えないだろう。マグダラが侯爵だけではなく、屋敷や領地の皆に愛されていたことを言えば同情さえしてくれるかもしれない。デボラの願いは検討して貰える余地が大いにある。


(……それでもこの場でいきなり言い出すのは、侯爵様の顔を潰すことになってしまうわ。まだこの人に何も相談していないのだもの)


「……いいえ。旦那様は殿下にとても高く評価されているのですね」


 デボラは結局、それだけを口にした。なにも知らない者が見れば、妻が夫を誇らしげに思う微笑ましいやり取りにさえ思えたかもしれない。



 ◆



 リオルドはご機嫌の様子だった。丸鶏に何故土がついたのかの理由を聞いて大笑いをしたのもあるかもしれない。


「あの、私と代官様と屋敷の使用人しか食べないのならば、土がついても洗えば良いと思いまして……」


 ほんのりと頬を染めて言い訳をしたデボラを見て、またリオルドがニヤリとする。


「いやあ、シスレー候の奥方がこれ程愉快なご婦人だとは思わなかったな。以前会った時とは随分と印象が違う」

「お恥ずかしい話をお耳に入れてしまい、申し訳ございません」

「いやいや、そういう意味じゃない……そうだな。例えばだ。さっき言った、王子が街に度々下りるという筋の芝居に興味はないか?」

「殿下がモデルということでしたら是非拝見したく存じます」


 にっこりと返事をするデボラに、王子はこう投げかけた。


「……ふむ。そう答えるか」

「?」


 しかしデボラや侯爵に疑問の余地を挟ませず、リオルドは話題を切り替える。


「ではドレスの話はどうだ。俺がマムート王国を訪れた二日目の晩餐会で、ヴィーが着ていたドレスは覚えているか?」

「勿論ですわ。ヴィオレッタ妃殿下がお召しになっていたのは、淡い若草色の生地に白と金糸の刺繍があしらわれていて、初夏の爽やかな風を思わせる素晴らしい装いでしたもの」

「うむ、ヴィー自身もあのドレスを気に入ってよく着ていたせいでな。今我が国の上位貴族の婦人の間では刺繍をあしらったものが流行しているのだそうだ」

「刺繍ですか」


 デボラは即座に思い出す。確かこの国で刺繍というと南方の大きな花を刺した柄が有名だった筈だ。


「では南方地域で刺繍を刺した生地を仕入れるか、そちらから職人を呼び寄せて作らせているのでしょうか」

「ああ。よくは知らんが、どうも手の込んだものほど良いとかで、夜会ではドレスの刺繍を見せびらかし合う女の戦いが始まっているぞ」

「まあ、それでは私の持つドレスは殆ど刺繍が入っておりませんから流行遅れですね。尤も、私のドレスは誰に見せるわけでもございませんし、杞憂に過ぎませんが」


 自分は囚われの身であるのだから、悪趣味な見世物にでもされない限り、ドレス姿を他の貴族階級に見せることはない……との意味で答え、デボラは頭を軽く下げる。そこにフッとリオルドの微かな笑いが聴こえた。


「ふふ、まあそうだな。そこは心配しなくて良い……」


 顔をあげると、彼の皮肉っぽく細められた琥珀色の目と真っ直ぐに視線がかち合う。


「うむ、やはり奥方は二年前と変わらずだ。自分の理解が及ぶところではさりげなく会話を運び、知らないことは余計な嘴を挟まずにそつなく答える。どうやら演劇には興味が無いようだな」


 演劇や歌劇に興味が全く無いわけでは無かったのだが、祖国ではそのような娯楽に費やす時間がなかったデボラは確かに演劇に関する知識を持たない。


「……」


 彼女は深紅の睫をやや伏せる。かつてアーロンに何気なく言われた「面白みの無い女」という言葉が脳裏を掠める。リオルドにも同じような印象を与えてしまったのだと思った。


(……仕方がないわ。それは正当な評価だもの)


 デボラの周りは彼女を役に立つ道具としてしか扱わなかったのだ。そしていつしかデボラ自身もそれに染まっていた。道具に面白みなど有るわけがない。


 ところが、デボラの思いとは真逆の言葉が第二王子の口から放たれる。


「あの時は作り物のように良くできた完璧な令嬢だと思ったが、実は人間らしい本性を徹底的に隠していただけだったとはな。それを垣間見ることができて実に愉快だ、と言いたかったのだ」

「!!」


 デボラの灰色の目が見開かれ、揺れる。リオルドはニンマリと笑って言った。


「もっとも、俺も本性を完璧に隠していたから、ひとのことは言えないがな。外遊の時はキラキラした魅力的な王子だったろう?」

「まあ」


 デボラはくすりと笑った。それは心からの笑みだった。そして次の言葉も。


「殿下は今のお姿も……いえ、今のほうが完璧で素晴らしく魅力的な王子様ですわ」

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