第45話 自由奔放な舞台の主役


「えっ……あっ……」


 数拍置いてから。コーネルはへたりと腰を抜かした。

 リオルドは顎に手を当て、ふむと小さく呟くと、その後こう続ける。


「確かシュプリム伯爵位は、俺の曾祖父の時代に当時のシスレー侯爵の遠縁が戦場で活躍した事により、王家から叙爵を受けたものだったな。一度血が絶えかけたが君の叔父が爵位を受け継いだのではなかったか?」

「はい。コーネルはその息子で私の従弟にあたります」

「ははあ、そうか。しかし初代のシュプリム伯より後の世代は国に大した貢献をしていない。先の戦争でもな。それでも王家への忠誠心と勤勉さがあればまあ良いが……」


 コーネルは王族の顔を間近で見る機会などなかったわけだが、それでも式典や夜会などで遠目には何度も見ているのだし、第二王子の姿絵も出回っている。リオルドの顔ぐらいはきちんと覚えておくべきだったろう。


 それに、シスレー侯爵は真実を語ったのだ。王都に居る人物に会いに行こうとしたのに、その人物が偶然にも・・・・隣の領地に鷹狩りに向かっている、と。

 シスレー領に隣接している領地はいくつかあるが、王都から「帰ってくる」ではなく「向かっている」と言ったのだから国境沿いの王家直轄地の事だろう。そこで鷹狩りが出来る人間ならばやんごとなき立場に違いない、と勘の良い人間ならばピンと来る筈である。


 つまり、コーネルは王家への忠誠心でも、頭の巡りでも失格の烙印を押されたのだ。リオルドはコーネルを見下ろしながら微笑を見せる。それは氷のように冷たく、そして端から見る者の心さえも凍りつかせる笑みだった。


「こんな男に名乗らせる爵位が勿体無い。どうせ王家が与えたものだ。今すぐ剥奪してしまおうか?」

「ひっ……!」

「殿下、恐れ入りますがそれはやや性急すぎるかと」


 シスレー侯爵がやんわりと止めに入る。リオルドはフンと鼻を鳴らしたが、その目は今度は温かかった。


「……お前は甘いな。まあそこが美点でもあるのだが」

「私としては別の代官を立て、彼との縁を切ることができれば充分です」

「うむ。それは好きにしろ……だが」


 リオルドが指をパチリと鳴らすと、後ろから屈強な男達が現れた。その内の二人がコーネルの両脇に手を入れて拘束する。


「コーネル・シュプリム、余に暴言を吐いた罪は別だ。追って沙汰を言い渡す」

「ま、待って下さい殿下! これには訳が……」

「連れていけ」


 わめき抵抗するコーネルだが、男達はびくともしない。冷徹な口調で「お屋敷までお送り致します」と小さく語りかけると、後は無言でコーネルを引きずっていった。彼が見えなくなるまで、その場の殆どの人間はただただ呆気に取られているだけだった。


「くっくっく……いやあ、実に楽しかったぞ」


 リオルドはそれまでの皮肉気な笑みから、急にひとが変わったようにキリリと真面目な顔をする。


「“余の顔を忘れたか! 追って沙汰を言い渡す!“」


 言い終わるとまた元の、腹に一物抱えた笑顔に戻った。


「これを一回言ってみたかったんだ。シスレー侯、お前の愚かな従弟のお陰でそれが叶ったぞ」

「殿下、それは何ですか……」

「ああ、お前は知らないのか。今、王都の劇場で人気の芝居の台詞でな。自由奔放な王子がお忍びで庶民に変装して街に下り、悪者をやっつけ、最後に正体を告げて驚かせるという筋らしいぞ?」


 シスレー侯爵はたまらずぷっと吹き出す。


「ふふふ。それはまるで殿下をモデルにしたような話ですね。さては国民の人気を掴むための施策でしょうか?」


 庶民のような姿でいる王子は、腰に手を当ててはっきりと言った。


「そんな訳ないだろう。本当にお忍びで街に下りた時に気づかれるリスクがあるではないか!」

「なるほど。では殿下がよく街に下りることに以前から頭を痛めていた人間の策ですかな?」

「あ! その線があったか! くそっ、じいの仕業か……」

「恐れ入りますが、今回も殿下御自おんみずからお出でになるほどの事ではなかったでしょう。その方の気苦労も偲ばれるというものです」


 シスレー侯爵の言葉で、今まで驚きでぽかんとしていた屋敷の皆がハッと気を取り直してバタバタと動き始める。ローレン夫人は「急いで談話室の支度を!」とメイド達に命令し、スワロウは「なんて酷い! 早く冷やさないと!」とアシュレイの顔を見て声を上げていた。その様子を気にも留めずリオルドは楽しそうに会話を続け、改めてデボラの方を見る。


「まあそう言うな。確かにお前の従弟の件は代理を立てれば済む話だったが、今回はついでに侯の奥方の顔も見ておきたかったのだ」

「!」


 デボラは改めて第二王子に向かって淑女の礼で頭を下げた。しかしリオルドは気安く言う。


「いや、いい。面を上げろ」

「はい」


 顔を上げたデボラをじろじろと見て、彼は皮肉気な笑みを崩さぬまま言った。


「ふーん。以前会った時はいつだったか?」

「2年ほど前に、殿下がマムートにお越し頂いた際だったかと」

「そうだな。あの時より少し健康的になったんじゃないか?」


 シスレー侯爵はおやと思った。デボラの完璧な愛想笑いにさっと朱が差し、少し俯き加減になったからだ。


「あの、お恥ずかしい事に……侯爵邸のお料理が美味しくて、少し太りました……」

「ははは! それはいい。前に会った時は首や手が細すぎると思っていたからな。ここはそれだけ居心地が良いということだろう?」

「はい……皆様にとても良くして頂いて、感謝しております」

「うむ。流石俺だな。突然マムート王国からマウジー公爵令嬢をこちらに寄こすと言い出したから、どう扱うか少々揉めたのだぞ。俺や兄上の側室モノにしろと言いだす臣下までいてな」

「そうだったのですか?」

「しかし俺を照らす星の光を曇らせるわけにはいかん。だから俺の一存でシスレー候に任せることにしたのだ」


 デボラはまた完璧な、美しい愛想笑いを取り戻した。


「確かに殿下には他の女性は必要ありませんわ。ヴィオレッタ妃殿下の様な素晴らしい女性がお一人いらっしゃれば十分ですもの」

「ああ。俺もそう思う」


 二人が笑みを交わし言葉を切ったそのタイミングで、ローレン夫人がシスレー侯爵に目配せをした。お茶の用意が整ったという事だろう。


「殿下、ここで立ち話も何ですから、談話室へご案内致します」

「ああ。そうしよう」

「もし今夜のご予定がなければ夕食もいかがですか? 代官の馘を斬ったので、料理長が今夜の為に腕をふるった料理が余ってしまいます」

「ふむ、それならば馳走になろう。奥方が美味しすぎるというくらいの料理だ。一度味わってみたい」


 談話室へ移動しながら会話する二人の後ろについていたデボラだが、そこでハッとした。


「だ、旦那様……夕食は」

「?」


 小さく消え入るような声で、シスレー侯爵を止めたがその後が言えない。侯爵と第二王子は再び俯いたデボラの耳が僅かに赤くなっているのを見て顔を見合わせる。そこに、アシュレイの手当てを他の者に任せたスワロウがやって来た。


「旦那様、大変申し訳ございません……。今夜の夕食なのですが、王子殿下に召し上がっていただくわけにはまいりません」

「何故だ? 私が不在の折には、毎回代官の為に豪華な夕食を用意していたのだろう?」


 苦汁を舐めさせられたとでも言えそうなほど苦しそうな顔のスワロウ。シスレー侯爵は彼のそんな様子を見たのは久しぶりで、何があったのかと幾つか想像を巡らせたが、流石に次の言葉は予想できなかった。


「実は……メインの丸鶏は、一度土がついて洗ったものなのです」


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