第36話 歓迎されざる主人
「いらっしゃいませ、コーネル様」
馬車から降り立った人物に対し、スワロウは慇懃に対応した。更に、スワロウ以外の使用人も十人以上が玄関に出迎えに来ている。
「ふん」
コーネル・シュプリム伯爵は辺りを見回す。シスレー侯爵領は国境に近いため、王都から離れた田舎だと侯爵自身は謙遜して言うが、それでもこの地方の貴族では――――少なくともシュプリム伯爵家に比べれば――――侯爵の屋敷は立派だ。
屋敷の庭や外観は勿論、内装や調度品も上品で洗練された物を揃え、そしてきちんと磨かれ手入れされている。妻が手当たり次第に色んな物を買い込む為、家の中は調和が取れず資金繰りも厳しくなり、通いの使用人が四人と住み込みは一人しか雇えないシュプリム伯爵家とはずいぶんな違いである。
以前は「こちらにもう少しカネを回してくれても良いではないか。従兄弟なのだし」と陰で不満をブツブツ言っていたコーネルだったが今は違う。
(そのうちここが俺の家になるんだからな!)
彼は得意気に胸をそらして屋敷の中を進む。侯爵の執務室に入ると椅子にどっかりと腰掛け、更に足を机の上に乗せた。
正直なところ行儀が良いとは言えないが、スワロウは何も言わず、そっと目を半分伏せる。
「おい、早く酒を出せ」
「はい、ここに」
スワロウは既にワインと軽くつまめるものを用意していた。これらを要求されるのはいつもの事だからである。コーネルはワインを飲み、満足気に息をついた。
「ふう。この味も久しぶりだ。最近お役目が無かったからな」
何が「お役目」だ。偉そうに使用人に命令し、美食や酒の贅沢に耽るばかりで全く仕事をしない癖に……というスワロウの本音はリボンをかけられて綺麗に胸の内にしまわれた。
「昼食も用意しておりますが」
「ああ、早く持ってこい」
「かしこまりました」
下がろうとしたスワロウに、コーネルが声をかける。
「ああ、そうだ。ついでにマムートの人質を呼んでこい」
これには流石のスワロウも「はい」とは言えず固まる。
「……奥様に何かご用事でも」
「侯爵家に嫁入りしたのに、代官である俺に未だに顔見せの挨拶すらしてないだろ。その無礼を酌で帳消しにしてやろうと言ってるんだ。俺は女には優しいからな」
スワロウから笑顔が消える。何が優しいものか。仮にも公爵令嬢だったデボラに酒場女の様に酌をさせることで彼女を傷つけ、自分のちっぽけな自尊心と虚栄心を満たそうとしているだけではないか。
それも彼女が隣国の人質でコーネルがシスレー侯爵の代官の立場だからという理由だけで、偉そうに。
「生憎と、奥様は昨日一日体調が悪く寝込んでおりまして」
「随分といいタイミングで体調を崩したものだな」
「本当です。今朝、旦那様のお発ちにもお見送りができなかったのです。コーネル様へのご挨拶は明日以降にまたの機会を」
「……ふん、まあいい。早く食事を」
「少々お待ちくださいませ」
スワロウは心の中で舌を出しながらスマートに部屋を退出した。嘘は言ってない。デボラが昨日寝込んだのは本当だ。今朝は元気を取り戻したようだとローレン夫人から聞いてはいるが。見送りができなかったのも本当だし、明日
シスレー侯爵からはコーネルとデボラを会わせないように、と言われている。女好きの従兄弟が隣国一の美女と謳われた彼女に興味を持たない訳が無いだろうと予想していたのだ。
(このまますぐに事が済めば良いが……)
スワロウは厨房に向かいながら小さくため息をこぼす。実はコーネルが来るのは明日の可能性もあると期待していた。ヴィトは「そんなワケねえだろ。あの代官サマは舌なめずりして自分のお役目が来るのを待ってるんだぜ」と言って今日の晩餐から豪華な食事を準備していたのだが、料理長の方が正しかったのだ。
代官とは、領主が不在の時に代わりに領地の管理を担う者だ。不正などを防ぐ為、この国では代官はきちんと貴族院に届けを出し国に認められた者のみがなれる。
前シスレー侯爵、つまりゲイリーの父親の時代はその弟である前シュプリム伯が役目を担っていた。彼はきちんと代官の仕事を務めていたので、各々が代替わりしてもそのままお役目は受け継がれたのだが……残念ながらコーネルには父親の勤勉さが受け継がれなかったらしい。
現にシュプリム伯爵家はあっという間に傾いている。コーネルは夫人の散財が原因だと思ってるらしいが、そんな女を妻に選んだのもコーネル自身だし、そもそも彼がマトモに領地経営に身を入れればもう少しマシになっているのではないか、とスワロウはいぶかしんでいる。
だが、そんな彼を簡単には切り捨てられない。彼は国に認められた代官だし、女好きであるがゆえに三男一女の子供に恵まれているからだ。
シスレー侯爵家には跡継ぎが居ない。このままではコーネルの子供を跡継ぎにするしかないのだ。
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