第48話 そしてデボラは絶句した


 今、談話室で侯爵とデボラは再び向かい合っている。最初の顔合わせの時と同様に。

 あの時と違うのは、部屋の中にいる人間にスワロウが追加されていることと、デボラは愛想笑いをせずに赤く腫れぼったい目蓋を伏せ気味にしていること、そして彼女の前には紅茶ではなくリラックス効果のあるハーブティーが置かれていることだ。


「デボラ嬢。少し長くなるが、私の前の妻のことを聞いてくれるかな」


 シスレー侯爵の問いかけにデボラはぴくりと僅かに肩を揺らしたが、ゆっくりと頷いた。


「ありがとう。マグダラとの出会いは彼女のデビュタントだった。彼女は美しいドレスで身を飾ってはいたが、その笑顔は飾り気のない素敵なもので……私はその彼女の笑顔に一目惚れだったんだ」


 侯爵は昔を懐かしむ口調で語りだす。デボラは目だけではなく少し顔も伏せた。


「こんな田舎でよかったら来てくれないかと言った時に『私の領地はもっと田舎に違いありません。私も野良仕事をしていますから!』と笑いながら言ってくれて……貴族階級の女性でそんなことを言うひとに出会ったのは初めてだった」

「……」


 デボラは膝に置いていた手を丸め、ドレスのスカートをそっと握る。目頭が熱い。落ち着いたはずの涙がまた出てきそうになるのは何故だろう、と彼女は侯爵の話を聞きながら内心で自問自答を繰り返す。


「彼女と過ごす時間はとても穏やかで、それでいて心が浮き立つような喜びも明るさもあった。私は彼女と一生を共にしたいと思ってしまった……強引にも」


 最後の言葉で急に侯爵の口調が変わったことでデボラは顔を上げ、彼を見つめる。ゲイリー・シスレーは複雑な表情を見せていた。口元はかろうじて微笑みを保っていたが、それが引きつり口髭が細かく震えている。苦難を表す眉の下のスカイブルーの瞳は潤み、白目は赤く充血していた。


「私は……俺は、彼女の為なら爵位を投げ出すべきだったと、あの時取り返しのつかないことをしたと後悔している」

「?」

「……差し出がましいようですが……ゲイリー様のせいではないと思います」


 空白の時間を縫って、そっとローレン夫人が口を挟む。普段は「旦那様」と言うのに、この時の夫人は子供を相手にするように名前で呼びかけていた。そこにはいたわりが感じられる。


「ゲイリー様は、奥様と同じくらいこの地と領民を愛していらっしゃった為に、無責任に爵位を投げ捨てる事などできなかったのでしょう」


 だが侯爵は首を横に振った。


「いや、俺のせいなんだ。……デボラ嬢、気づいていたかい? 我が家には後継ぎがいないことを」


 デボラは目を見張る。事前にシスレー侯爵の情報を何も得られていなかったのもあるが、侯爵がそれなりの年齢である事や、彼が自分に手を出さない事からその考えには全く至らなかった。


「……いいえ、てっきりお子様がいらして、今は王都の寄宿学校に入られているものかと」

「そうか。俺と彼女の間には子供ができなかったのだよ。だから母に、妻と離縁するか妾を取れと言われたのだが……俺はどうしてもそれを呑めなかった。生涯妻だけを愛したかったし、その気持ちのまま他の女性を相手にするなど向こうにも失礼だと思ったんだ」

「ああ……それで」

「君を愛することはないと言ったろう?」


 侯爵は辛そうな顔に、少しだけ皮肉めいた微笑を混ぜる。


「あれは正直な俺の気持ちだったし、本音を言うと君が来てくれて助かったんだよ。後添えを迎えろと周りから言われ、幾つか縁談も来ていたが、それを纏めて断る大義名分ができたからね」

「そうだったのですね。でも、あの」

「なんだい?」

「そうなると、爵位を継ぐのは?」

「実は、コーネルの子供を養子に貰う予定だった」

「……!」


 絶句したデボラを見て、侯爵の表情が少しだけ緩んだ。


「なんて愚かな考えだと思ったかい?」

「い、いいえ」

「いや、気を遣わなくていい。今考えると本当に俺は愚かだった。コーネルはあの通りろくでもない男だが、子供を引き取ってからちゃんと教育すればいいと考えたんだ。それで全て、うまく行くだろうと……」


 最後の言葉を震えながら絞り出すと、侯爵は背中を丸め、両手に顔をうずめた。デボラはその姿をローテーブル越しに呆然と見つめる。

 つい先ほどまでは今にも泣きそうなのは彼女だったのに完全に立場が逆転してしまった。侯爵にどう声をかけるべきかと戸惑っていると、またローレン夫人が口を開く。


「……続きは私から説明致します」


 そしてコーネルがマグダラに無神経な言葉をぶつけ、彼女が家を飛び出した経緯を語る。


「私があの時奥様から目を離さなければ……いいえ、そもそもシュプリム伯を部屋にお通ししなければ良かったのです。全て私の責任です」


 両手から僅かに顔を離した侯爵が、真っ赤な目で夫人を見る。


「ミセスローレン、君のせいではないと言った筈だ」

「いいえ!」


 珍しく大きな声を出したローレン夫人の目も、また赤い。


「奥様のお辛さを誰よりもこの身で理解していたのは私です! 私が、奥様を御守りしなければならなかったのに……!」

「それも違います。一番悪いのは当然あのシュプリム伯爵だ。その次が私です」


 その言葉にデボラが振り向くと、アシュレイが落ち着いた声からは想像もできないほど険しい顔をして立っていた。


「私が使用人の立場を弁えず、奥様の優しさに甘えてしまったのです。それがなければ奥様はいつものように素直なお心をさらけ出し、ご実家で泣いていたでしょう。私が奥様の逃げ場を塞いだのです」


 デボラにはその言葉の意味はわからなかった。ただ、この場に居る全員がマグダラの死について己を責めていることはわかった。アシュレイの肩に手を置いたスワロウも「ダン、俺も悪かった。お前がまだ小さいうちにもっと真剣に考えるべきだった」と小さく呟いている。


(でも、何故……?)


 マグダラは戦で亡くなったのではないか。それならば何故侯爵たちは各々で自分自身を責めているのかとデボラは考えた。

 おそらく、その疑問が顔に表れていたのだろう。デボラが前に向き直ると、顔を上げた侯爵と目が合う。彼は辛そうなまま微笑みをもう一度作った。


「俺が妻を諦めるか、妻と添い遂げる変わりに侯爵の地位を捨てるか、どちらかを取るべきだった。どちらも取ろうとした為にマギーは……妻は追い詰められてしまったんだ」


 そうしてゲイリー・シスレー侯爵は、マグダラの死の真相を語り始めた。スカイブルーの瞳から一粒、ぽろりと涙をこぼして。


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