第4話 婚約破棄を受け入れるデボラ


「私がフィオナ様を突き飛ばしたのをご覧になったと? それが真実ならば、なぜその場でお止めにならなかったのですか? まさか、この私の腕を、勇猛果敢がご自慢の御方が力づくで止められなかったなどと仰いますの?」


 彼女が細く白いかいなを見せつけながら問うと将軍の令息は明らかにうろたえた。


「お、俺からは距離が遠くて咄嗟に止められなかったのだ!!」

「でもその後に駆け寄ってお声をかけ、他に証人になる者が居ないか確認し、問題を即座につまびらかにすることは出来たでしょうに。その場では何一つ行動せず、今になって現場を見たと仰るのはどういう了見でしょう?」


 将軍の令息はぐっと言葉に詰まった。その一呼吸を逃さず、デボラは宰相の令息へ矛先を向ける。


「私がフィオナ様の持ち物を壊したと仰いますが、それも言葉ばかりではありませんか。信用なりませんね」

「い、いや! こちらには証拠がある! この髪飾りは間違いなくフィオナ様のものだ! マウジー公爵令嬢はフィオナ様からこれを奪い、踏みつけ壊したのを私は見たのだ!」


 宰相の令息は鼻息も荒く、壊れた髪飾りを懐から取り出して見せた。過去には花を象っていたであろう銀細工が、今はひしゃげて憐れな姿になっている。


「ひどいわっ……私のお気に入りだったのに……」


 フィオナが顔に手を当て、声を震わせる。だがその手の下に涙は流れていない。おまけに今彼女が身に付けている髪飾りやネックレスは、全て地金は黄金で派手な宝石をちりばめている物ばかり。上品で派手さの無い銀細工を「お気に入り」という女の装いとは思えない。デボラは彼女を冷たく見つめた。


「それを私が壊したという証拠は? もしも私が彼女の物を奪って壊したのなら、それが貴方がたの手にあるのは道理が通りませんわ。私そんな事を致しませんもの」


 一連のやり取りを遠巻きに見ていた賓客の中から、また「くっ」と妙な呻き声が上がる。続いて彼は咳払いをして誤魔化した。先ほどの貴族男性だ。デボラはそちらこそ見ないが、予想通りの反応が得られたことに内心で満足する。

 彼女は彼や他の賓客達の中にも、その意味を汲み取れる者がいると考え、敢えて「私は」ではなく「私なら」と言ったのだ。


 普段から品行方正な態度で知られているデボラが、倫理的に考えてフィオナの髪飾りを奪って壊すなどありえない。もしも例外中の例外でそうせざるを得ない事情があったのだとしても、その品行方正な評判を自ら失くすようなヘマをするだろうか。壊れた髪飾りをわざわざ残しておき、敵の手に渡るリスクがあるくらいなら、粉々にして存在を完全に消すだろう。デボラ


 だがそんな意図を忍ばせた言葉に、アーロン王子や取り巻きの二人、フィオナは気づかなかったようだ。逆に、賓客達からはさざ波のようなざわめきが漏れてくる。

 今回のパーティーの顔ぶれを見たデボラは、表立って彼女の味方をする者は一人も居ないが、完全なる敵ばかりではないこともわかっていた。


 中には無責任な噂を広めるのが大好きな者もいて、それが悪趣味であればあるほど好んで口にする。アーロン達は「公爵令嬢が男爵令嬢にひどい嫌がらせをした」という噂を広めるために彼等を呼んだのだろうが、それよりも「王太子とその取り巻きが男爵令嬢に入れあげて婚約者の公爵令嬢を罠にかけようとしたが、返り討ちにあった」の方が悪趣味でセンセーショナルだ。明日から貴族達の噂にのぼるのはそちらだろう。


「殿下、お戯れもほどほどになさいませ。繰り返しになりますが、私が虐めをするなど事実無根ですわ」

「い、いや! 無根ではない! お前は己の座を守りたいが為にフィオナを恐れ、排除しようとしたのだ! デボラ・マウジー、お前は俺を望むのではなく王太子妃の座にしがみつきたいだけだ! 先ほど自らそう言ったではないか!」

「!」


 ざわり、と空気が震えた。

 運命の神はなんと悪戯好きであろうか。暗愚なアーロンは、自らフィオナへ心変わりをしたと認めるも同然の愚かな発言をしつつ、そうとは気づかずにデボラの痛いところを突く言葉も添えた。


 王太子妃の座にしがみつく女。

 その一言で見えない空気の潮目が変わったのをデボラは肌で感じる。まさか、アーロンへは通じぬだろうと高をくくり、つい「王太子妃に相応しくないなどと」と最初に皮肉った言葉がここで効いてくるとは。


 デボラが逆手に取って利用しようとした噂好きの者達がこの言葉を逃す手はない。このままでは「浮気をして婚約破棄をしようと嘘の断罪をする王太子 対 無実ではあるが愛はなく、何がなんでも王太子妃の座に拘る婚約者」の図式として自身までが面白おかしく吹聴されてしまう。


(仕方ないわ……ここは損切りをしてでも最善の道を選ばなくてはね)


 ここまでくればアーロンとの関係修復は難しい。自分の気持ちを正直に言えば説得力も自然と増すだろう。デボラは覚悟を決めた。


「そのお言葉は聞き捨てなりませんわ。私が王太子妃の座にしがみついてるですって? それこそ事実無根。この婚約は陛下と私の父によって決められたものだと殿下ご自身がよくご存じでしょう? 私は陛下と父の命に忠実に従っているのみですもの」


 アーロンはニヤリと顔を歪ませた。


「言ったな? つまり父上とマウジー公爵が認めれば婚約破棄に異論は無いという事だぞ!」

「ええ、ございません。……けれども」


 デボラはその灰色の眼に力を込めた。それはまるで銀色に変じたかの様に光る。


「その婚約破棄をなさりたいが為に、私に濡れ衣を着せ、貶めようとした事は決して赦せません! このまま私や、この事を知った父が引き下がると思わない事ですね」

「はっ、やはり王太子妃の座に……」

「いいえ殿下、私はそんなものに未練はございません! 寧ろ、これ以上殿下のお手伝いをしなくて良いのですから清々致しましたわ」

「なっ! お前っ」

「しかし殿下、御身の為にも、これ以上根も葉もない話を触れ回るのはおやめになった方がよろしいとご助言申し上げます。では、失礼致しますわ」


 少々キツい言い方ではあったが、嘘偽りのない気持ちをありのままに告げ、デボラはパーティー会場を後にする。周りから驚きと同情が絡み合った視線を受けながら。


 これで自分は被害者側として貴族達の噂にのぼる筈だ。婚約破棄を受け入れたことはマイナスだが、下手に拒否をすれば名誉を汚されるところだったし、本当に破棄できるかはアーロンではなく国王陛下の胸先三寸である。

 それに、今回の醜聞を国王陛下が黙って許すだろうか? どのみちアーロンが王太子の座を失えば、父であるマウジー公爵はこの婚約を無意味と考えるだろう。


 孤立無援の中でも、なんとか最善手を打てた筈……と、この時のデボラは思っていた。

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