第25話 侯爵と庭師の会話に笑ってしまう
「ずっとその愛想笑いを続けられるなら、それはそれで良いんですがね。あんた時々真顔に戻っちまう。多分そっちが本性なんでしょう?」
「……」
デボラはこくりと頷いた。最近笑顔をキープできなくなっていたのは、自分でも感じていたことだ。
「怖いんですよ。ヘタにすごい別嬪だから、その人形みたいな真顔と笑顔の落差が酷すぎる。一旦愛想笑いだとわかっちまえば、その笑顔も逆効果だ」
「逆効果……」
それはデボラの頭には全く存在しなかった考えだった。淑女たるもの常に笑顔でいるべしとマナー教師に厳しく躾られて以来、デボラはどんな時も常に微笑んでいた。あのアーロンと婚約破棄について夜会でやりあった時ですらそうだったのだ。
微笑みは余裕を見せる為の鎧であり、そこから更ににっこりと愛想笑いを加えれば武器になった。彼女の笑顔の美しさに心を開く者は多かったから。でもそれは、その人たちに真顔を見せたことが無かったから通用したのかもしれない。じわりとデボラに不安が侵食する。
「では、ここの人たちがたまに戸惑ったりしていたのは……私の気のせいではなくて、笑顔が逆効果だったからなのね?」
笑顔という武器が通じないことに、更にじわじわと不安がつのるデボラに向かって、真面目な顔をした庭師が言う。
「そうですよ。ちょっと俺を見てください」
「?」
ローレンは自分の顔を指さした。
「ほら、怪しくないですか?」
「くっ」
横で見ていたシスレー侯爵が吹き出した。それは、あの夜会でデボラがアーロンに皮肉を言った時の貴族男性の反応と似ている。
「何を考えているのかサッパリわからないでしょう? 悪いことを企んでるかもしれないと思いませんか?」
「ぶふっ」
「これなら真顔が続いた方がまだマシってもんですよ……って旦那様、何を笑ってらっしゃるんですかい!?」
「す、すまない……だが、くくくっ、ローレン、自分でそれを言うか……?」
侯爵は右手で口許を、左手で腹を押さえ笑いを堪え……きれていなかった。すでに目尻にはうっすらと涙が滲んでもいる。
「俺のような人相のよくない輩が見本をやる方がわかりやすいでしょう!?」
「ぶくっ……た、確かにそうかもしれないが……」
「ふふっ」
小さな、とても小さなかわいらしい笑い声が聞こえた。
大声で話していた庭師と侯爵はそれを聞き逃さず、声のした方をまじまじと見る。くすくす笑いをしていたデボラは二人の視線に気付くと、パッと頬を染め俯いてしまった。
「……なんだ、ちゃんと笑えるじゃぁありやせんか」
「いやローレン、私は彼女が笑うのを初めて見たぞ。お前は大したものだ」
「俺に道化の才能が有るなんて知りやせんでしたがね?」
俯いたままのデボラの肩が小さく震える。どうやら朗らかなシスレー侯爵と人相の悪い庭師の会話は彼女のツボに入ったようだ。だが笑いをこらえ、その顔を見せないようにしている。侯爵はデボラに優しく言った。
「デボラ嬢、顔を上げてくれないか? さっき言ったように、ここでは笑いたい時に笑って良いんだよ」
「……」
「君は笑うのを見せるのが恥ずかしいのかもしれないが、私達は君の心からの笑顔が見られるならとても嬉しい。お願いだから」
デボラはゆっくりと顔をあげる。その顔は恥ずかしさで赤らんでいたが、もう笑顔ではない。ただ、灰色の目はガラス玉のようではなく生命の、意志の宿った瞳だった。二人の男はそれを見て満足したように言った。
「……うん、あんた偽物の笑顔よりもそっちの顔の方が断然良いですよ」
「そうだな。これからは無理に愛想笑いをしないでくれないか?」
「……努力致しますが……」
デボラの目に、少しだけ迷いの色が乗る。
「……笑顔を作るのは癖になっているものですから。特に、何かお願いをする時などには」
「ああ、そう簡単には変えられないか。ゆっくりとその癖を治していこう」
「そうですねぇ。あ、愛想笑いをしそうになった時に、俺の笑顔を思い出すってのはどうですかい?」
庭師がそう言って、またニヤリと皮肉気な笑顔を見せたので、今度こそデボラは自然に笑った。
「まあ。ふふ……」
その笑顔は持って生まれた美貌のために見惚れるほど美しく、それでいて表情はまだあどけない少女のようで、魅力に溢れたものだった。ゲイリー・シスレーと、その庭師ローレンの二人は顔を見合わせ、やったなという感じで笑みを交わす。
「……いや、待てよ」
上機嫌のはずの侯爵が、ふと難しい顔に変わる。
「うーん、ちょっとだけ悔しいな」
「何がですかい?」
「?」
デボラとローレンが不思議に思っていると、難しい顔の維持を努めながら侯爵は極めて真面目に言った。
「私はデボラ嬢と何度か話をしたり様子を見たりしていたのに、彼女の本当の顔を殆ど見られなかった。それなのにローレン、君はデボラ嬢に今日初めて会っただけで彼女の本性を見抜き、あまつさえ笑わせることまでしたんだぞ。これは完全に私の敗けだ」
「「……」」
二人はぽかんとした。暫くしてから庭師はゆっくりと問う。
「えーと……それは、やきもちとかそういうのではないですよね?」
「やきもちとは違うな。ただ単に悔しい。私がローレンに比べて、観察力や配慮など人間としての力が足りないと痛感させられた」
「……はぁ、旦那様は充分ご立派だと思いますがねぇ? それにデボラ様のことがわかったのは俺ひとりの力じゃありやせんぜ」
「どういう意味だ?」
「うちのが毎晩俺にデボラ様がああしたこうしたと喋ってくれてたんでね。ご本人に会ってみたら色々と納得が行っただけでさぁ。うちのがいなければ俺なんて大したことはありやせん」
庭師はそう言って片目をつぶって見せた。デボラは、今の言葉はもしかしてミセスローレンについての惚気だろうかと考え、そう思ったらまたおかしくなってきて微笑んだ。
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