第9話 作文:2000文字掌編をやっつけで書いてみた。

 昨日、辞表を出してきた。小さな制作会社で、業界の下請けだからと色々我慢を強いられる環境で、解って入ったつもりだったけどとうとう限界が来てしまったから。


「そっか、とうとう決断したんだ。」

「さすがにね。もう限界。お世話になってきた場所の悪口なんてホントは言いたくないけどさ。気持ち悪くて気持ち悪くて、我慢出来なくなっちゃった。」


 思っていたよりは軽い口調が返ってきて、私は内心のトーンがひとつ下がった。がっかりしたとかじゃないけど、ホッとしたわけでもない。だから慌ててしまって、ダメ押しみたいな感想が口をついて出てしまった。愚痴るつもりなどなかったのに。


 そう、これは感情の問題。待遇が急激に悪化したとかじゃない。ずっと誤魔化しながらやり過ごしてきたことが、とうとう我慢出来なくなっただけ。だから、「今さら?」だとか「それくらいのことで、」とかって、麻里には言われるかと思ってた。


 フェミニンな洋装で隙無く固めた女がテーブルの前には陣取っている。レモンスカッシュをストローで可愛らしく啜ってみせる。私は意味もなくココアフロートに浮かんだクリームの塊を強引にストローで押し潰しては沈めていた。お互い、目も合わせない会話だ。


 昼下がりのお洒落なカフェは、場所に似合いのお洒落な人々で賑わっている。最近出来たお洒落スポットにお洒落をした人々が行き交う。

 陽光を最大限に取り入れる為に窓が大きくしてあるんだろうけど、それは同時に狭い敷地をカバーして大きく見せる技だ。歪なフロアの形状すらお洒落に見えた。


 最近はこんなに窓を大きくしてカーテンもふんだんに使ってたりするんだ、なんて、職業柄でついジロジロと見回してしまう。あ、あのライトお洒落可愛い。ああいうデザインっていつからアリになったんだろ。


 明後日の方向をしきりに見つめる私に、いつものことと気にする素振りもない親友の麻里。似合いの交友関係かも知れない。ほとんど唐突に麻里は言葉を継いだ。


「でもさぁ、ほんとよく我慢してたよね、明日菜。あんたが辞めた今だから言うけどさ、お洒落は厳禁、絶対服従、奴隷奉仕は当たり前、って風にしか見えなかったからさ、心配だったよ? 正直。」

「そ、そんなこと無いよ、どこの世界線の話よ、それ。」

「また。そうやって庇い立てするけどさ、じゃあなんで辞めたのよ? 気持ち悪くて我慢出来なかったんじゃなかったの? それって、あの業界の体質が、でしょ?」


 私は沈黙してしまった。あの会社に入って覚えた処世術だ。沈黙は金なり、嵐が過ぎるのを待て、じっと耐えろ、口答えは損するぞ。露骨に嫌がらせされたり査定に響いたりしたことはないけど、なんとなくの空気圧ってヤツだ。しがないアシスタントディレクターに過ぎない立場だから、頭カラッポにして長いものには巻かれてやり過ごしてきたのは本当だ。


 麻里の視線がやけに冷ややかに思えて、空調は効いてるはずなのにねっとりと絡みつくような嫌な空気が背中に溜まっていた。麻里は一度も私を見ていないのに。レモンスカッシュと時々ストローと、それからテーブルに置いたスマホとを行き来する視線。


 お洒落をするなと言われたことなんかないんだよ、麻里。むしろなんで可愛い服のひとつくらい着てこないんだって茶化されたことだってあるよ。喉元まで出掛かった言葉を引っ込めた。だって、そんな格好をするなんてあり得ないと思っていたもの。


 誰も口先でそう言うだけで本気で要望されることなんかなかった。誰も知ってたからね、そんな格好をしてどうなったって知らないよって。


 我慢して、我慢して、あの日、堰を切ったみたいに吐き気が押し寄せてきた。もう無理だと悟った。あの気持ち悪さのイミが解らない。嫌悪感はずっと遠くで何も感じないに等しいのに、身体がワケの解らない反応を起こして泣きそうになった。


 本音を言えばまだ続けたかったよ、麻里。別に酷い嫌がらせを受けたわけじゃないし、セクハラがあったわけでもない。デリカシーのない挨拶と、ほんの少しの無茶振りと、時間外労働だとかストレスだとか、そんなのどこの業界だってあるじゃない。ただあの業界はそれが底なしだと思ったら吐き気が止まらなくなっただけ。


 私は去るしかなかったけど、本当を言えばまだ続けたかった。ようやくただの下っ端から、アシスタントとはいえ名のある地位に上ったんだもの。辞めたいわけない。


「明日菜。ほら、予約入れてあげたからさ、明日ヘアサロン行っておいでよ。ここ、私も使ってるんだけどすっごい評判いいよ? そのヤボったい真っ黒頭も辞めちゃって、スカッとした頭にしなよ。」


 麻里に比べると一周も二周も遅れた服装をした私だ。場違いな気はしてたけど、やっぱり場違いだったんだと気付かされる麻里の言葉で、私はますます肩をすぼませた。服は精一杯のお洒落をしたつもりだったけど、頭ときたら、完全に意識になかった。

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