第3話 作文:語り手「私」が現在進行形で語るケース

 車を敷地の隅に停めてドアを開けた。ムッとした空気が流れ込んでくるが、サウナのような東京と比べればほんの少しでもマシなはずだと自身を慰めた。信州の山間部で木立がある分、風が冷やされているはずだからそうでないとおかしいだろう。


 砂利を踏みしめて実家の敷地内に立つと、否応なしに時の経過を感じさせられる。何十年が経った母屋は古ぼけて傾いで見えた。近隣の家々も含めてひどく寂れた感じがする。また何十年か隔たれば朽ち果てて無くなっているかも知れない。


 郷愁の念でその場に留まっている私の横を妻と二人の子供たちが過ぎていく。先に母屋の玄関へと向かう後ろ姿を見送って、私も一歩を踏み出した。

 一歩ごとにさまざまな思いが駆け足で巡っていく。寝そべったような日本家屋の平たい感じが妙に懐かしく、その前に広がる、砂利しかない庭の素っ気なさが妙に嬉しい。敷地の三方を囲う柴の生け垣も、中途半端に伸びた枝葉が跳ねていて、まるで寝起きの人の頭に見える。お世辞にも手入れが行き届いているとは言い難い。

 ふと、実家は一人暮らすには広すぎるのではないか、と思いが陰った。見ようとすれば見えてくる、砂利の合間に蔓延っている雑草が実はかなりの面積を覆って緑の絨毯化を進めていることにも気が付いてしまった。


 令和の時代になるとどこの田舎も廃れ果てて、祭りなど地域の行事もままならないと聞く。幸い、ここの集落ではなんとか継続されているという話で、今年は町内会で夜店が開かれるからと、祖母はしきりと帰省を誘ったものだった。帰るつもりもなかった故郷へ帰らざるを得なくなったのはその話を妻子に聞かれたせいだった。


 何十年と戻っていない故郷だが、見渡した限りの景色は進学を機に都会へ向かったあの日のままだ。見えないところでは過疎化が着実に進んでいるのだろうが。


「けぃちゃん、けぃちゃんじゃないの、いつ戻ったの?」


 声がした方を見ると、なんだか見た覚えのある顔がそこにあった。よくある中年女性の丸顔にしか見えないが誰だったろう。まったく見覚えがない。誰だ、いったい。

 女性はこちらに向けて歩きはじめ、見慣れぬ横顔も合わせて移動した。垣の切れ間に裏木戸があり、門扉はいつも開け放たれている。そこに彼女の全身が現れたが、まだ私はそれが誰だか解らなかった。


 見た顔ではあったが、どこにでも居そうな小太りの中年女性としか思えない。ふんわりした衣装で体を隠すから余計に解らない。懐かしそうに目を細めて私を見ているが、私に心当たりはまるでなかった。


「なに、忘れちゃった? 中西耀子よ、中学の時一緒だったでしょう?」


 電撃に撃たれたような気がした。彼女の正体を思い出した。眩しそうに私を見るその女性は、淡い思い出の中で私の女神だった人だ。同時に私を故郷から遠ざける原因を作り出した女でもある。一瞬、息が止まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る