第2話 作文:語り手「私」が過去を語るケース

 猛暑の記録を塗り替えた昨年のこと、アスファルトも溶け出してしまいそうな都会を逃れて私は信州の山あいにある祖母の家に疎開した。その時の話だ。


 盆の一時、祭りの期間は家族サービスだからと同僚たちには冗談めかした話をしたが、全土がサウナになった東京から逃れられるというだけでかなりやっかまれた。

 妻と二人の子供は素直にこの帰省を喜んでいたが、私にとっては必ずしもそうではない。断り続けてきた同窓会への誘いが脳裏をよぎっていた。車中は賑やかだったが、運転席の私一人は暗澹としていた。


 何十年と戻っていない故郷だが、田舎の街並みが目に入れば自然と郷愁も押し寄せてくる。同時に、通い慣れたはずの通学路があまりに狭くて顔をしかめた。山の際すれすれの細い道を、車二台がすれ違うことさえ難しい、ガードレールもないこんな道を子供一人でよく往来させていたものだと思ったものだ。


 久しぶりに帰った実家の敷地は、かつて寝起きしていた頃よりも狭く感じられたし、建屋の痛みが一層進んだようにも見えて胸が締め付けられた。敷地内の砂利を踏んで車を入れ、適当な場所に駐車したが、ここも手入れが為されているとは言い難い状態だった。あちこちに雑草が繁茂していて嫌でも目につく。

 日本家屋が腹這いになった、その敷き布団にあたる砂利敷きの庭だから、母屋が寂れていれば庭も相応に荒れているのは当然のことだ。建屋の二倍はあろう面積だから、後期高齢者しか居ない現状で行き届いた手入れなど出来ようはずがない。


 令和の時代になると地方の集落ほど廃れ果てて、祭りなど地域の行事もままならないと聞くが、ここではなんとか継続されているという話だ。妻子はそれを目当てに、思い出作りを当て込んでいる。今年の夏祭りはささやかながら町内会で夜店も開くのだと、老いた祖母が電話口で勢い込んでいた。本当は今年こそ帰ってこいと催促したかったのだと思った。私の父や母が健在ならばまた話は違ったかも知れない。


 庭の雑草と同様、敷地を囲む生け垣の柴も伸び放題で、けれど近年刈り込みを行ったのだろうと解る程度にはまだ形を残していた。前方の道路側は出入りの為に植えていないが、他の三方は柴の垣が家を取り囲んでいる。

 私は周辺をくまなく見渡して、現状をなるべく把握しようとしていた。祖母一人ではもう限界なのではないかと密かに考えていた時期でもあった。


「けぃちゃん、けぃちゃんじゃないの、いつ戻ったの?」


 声がした方向を見ると、伸び放題になった垣根の上に、どこか面影のある中年女性の顔があった。女の顔はすぐに横を向いて傍にある裏木戸の、垣の切れ間に設けられた門扉の前へと移動した。家と田畑を結ぶ小径があり、いつでも開け放たれている。

 彼女が全身を現してもまだ私はピンとこなかった。小柄なためか、着ている服装でそう見えるのか、四肢が短く胴が丸い、縫いぐるみのような体型の女だと思った。ややぽっちゃり、とでも言うのだろうか。丸顔がイメージの通りに温和な笑みを浮かべている。


「なに、忘れちゃった? 中西耀子よ、中学の時一緒だったでしょう?」


 眩しそうに私を見るその女性は、淡い思い出の中で私の女神だった人だ。同時に私を故郷から遠ざける原因を作り出した女だった。

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