第24話 説明調がダメな理由「出版されてる小説は小説文で書かれているから」

 前のページ、見本に「説明調のダメ小説」を掲げておいたんですが、これを読んでも何がダメなのか解らない人って多々居ると思うんですよ。まぁ、ダメな部分は説明文体だけじゃないんですけど、そっちは追々書いていこうかなと……


 これ、説明調だとダメというのは文学文芸のモノサシでの判定で、市販で並ぶ界隈は根強くこの基準で運用されているのでダメ、てことなんです。端的に言うと。なのでウェブで拾い上げられた作品が全面的に改稿させられたとかの案件ではこういう部分も直しが入れられると思いますね。


 でも、このエッセイの最初に「読者はまったく気にしない」みたいなことを書いたと思うんですよ、人称のどうのこうのなんか気にする読者は少数派だ、て。


 矛盾するじゃないかと思うかもですが、説明文と小説文というのは用途が違うんで、小説文で書かれた小説を読み慣れたら説明文の作品など読めたモンじゃなくなります。だから、小説を読み慣れた人なら一発で見抜けるとも書いたんですよね。


 説明文の作品を腐すつもりはないんです。ただ、用途の違う文章で書けばそうなるのは当然ですよね、というだけなんです。市販市場の読者さんはそういう小説文で書かれた本を求めている人がまだまだ多いというイミであって、説明文の作品だってSNSでは人気があるわけなんで今後は解らないよ、という話をしてるんです。皆がそれを買うなら市場に出回るんで。


 ラノベとかなろうテンプレの異世界モノだって今では市場を形成するに至っているわけですんで。買い手が沢山居るならそこに市場は出現します。


 この現象は衣服業界から音楽カルチャーまで幅広く見られるものです。いわゆる「モード」と「懐メロ」に近い話で、ジャンルとして需要が継続するなら市場が出来て安定するという話です。ジャズとかクラシックとか昭和歌謡とか演歌とか。その愛好者がいる限りは続いていくジャンル市場って沢山あるわけですよ。


 で、文学と一般文芸は「同じ系統の小説文体で書かれる」という共通点があるからそのカルチャー圏ってものすごく大きいんですよね。これに親しんでいる読者には、これに対応した感受性が育ちますわな。だから他の文化である説明文小説を物足りないと思うのはこれは仕方ない、と。同じのつもりで読みますし。専用の感受性はインプットしてませんし。どう読むかは読者さんの自由ですし。


 「説明文作品」ってのはまだマイナーで、公募でこれを取っているという話は聞いたことがない、と言ってます。何がイイんだかも私はいまいち解んないですし。私の感性は小説文体の方に軍配が上がっているからなんですけどね。


 これ、文体の話だとすると反感覚える方も、例えばラノベと文学だと言えば納得してくれません? ジャンルが違うというのは思わぬ部分まで違ってきたりするんで。


 そして、カクヨムとかのSNSで文学作品をUPしたって読者来ないでしょ? 同じことは市販市場でも言えるってことで、説明文作品は本屋じゃマイナーですって話です。買ってくれないんだから出版社の方でも取りません、て話。




追加記述。

 小説文作品を読み慣れた人は説明文作品など読まなくなる、と言い切りましたが、これはあくまで「市販のプロ作品」に限っての話ですので悪しからず。小説文体ってシロウトのヤツだと余裕で説明文体の作品に負けてる作品がたくさんありますんで。


 それは、小説文体だと遠回しに伝達する方式にならざるをえなくて、文章がヘタだとその分余計にストレスが掛かるからなんですけど。ならばサクッと単刀直入に説明口調で「これこれこうなって~」とやった方が、まだ楽しめますから…

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