第42話 ポワロのドラマとコナンのアニメ、違い

 ポワロのドラマで、登場人物が一気に登場してしまい、5分で紹介が進むので誰が誰だかさっぱり覚えらんない、という状態だったという話をしました。


 これ、名探偵コナンのアニメでも同じような展開の回があったのを思い出したんです。最初の5分で容疑者複数人が、ドラマ形式で一気に紹介されたんですね。


 同じような展開だったのに、コナンだと容疑者の数人は把握出来たんです。名前までは覚えきらなかったけど、その風貌、性格、関係性、この辺りの設定はちゃんと記憶に残りました。


 でも、同じ展開なのにポアロだとそれが把握しきれなかったんです。


 時代によって映画の撮り方って変わるし、映画を観る視聴者側の能力も変わると思います。慣れの具合でこういう部分は変化が大きいと思うんで、昔は、多少不親切な撮り方でも視聴者側は神経研ぎ澄ましてすべての情報を取りこぼさずに観ていると思われるんで、あの撮り方で良かったんだろうなと思うんですよね。


 わずか5分で、人間ドラマの情緒まで付与した上で、登場人物の風貌、性格の断片、関係性の匂わせ、謎のヒントに意味深なメッセージ性まで、もうこれでもかという勢いでぜんぶ盛り付けてあったわけです。何も知らないポワロの視点というモノを遵守するカタチで、それらは確定でなく匂わせでしか描かないという徹底ぶり。


 ……知らないからボーッと観ちゃったんですよ。orz


 で、しばらくの間、「これ、誰?」って状態で画面を見てました。怒濤の5分が過ぎた後も、描写済みの登場人物たちを把握してること前提で、次から次へと新規の登場人物が出てくるんですから堪りませんでした。


 これ、名探偵コナンのアニメでも何度か、同程度の人数が登場する回はあるんですよ。だけどこんなに混乱して観た覚えはないんです。何が違うんだろう、と考えてみたら、やはり最初の5分でした。


 コナンの場合だと、一度に複数の人間が登場したとしても、情緒とか匂わせとか、削れるところは削って、シンプルな見せ方を徹底しているという印象です。最初の5分で視聴者に覚えてほしいポイントを絞って、そこを重点的に、他の部分は削ってしまっている、と思います。そこがポワロと違った。ポワロはお構いなしで全部盛りでしたから。


 昔のね、ポワロが撮られた当時はその撮り方で問題なかったんでしょう、視聴者からしたら今のコナン形式で撮られていたら逆に見応えがないと思われたかと。当時より今の視聴者の方が、良く言えばのんびり観ている、というかです。処理能力の差というか、昔の視聴者はタスク処理のキツいトコを求められることに慣れていたんだと思いますね。


 でも今の視聴者はコナンですよ。あのテンポで作らないとタスク処理の能力が付いていかないと考えるべきなんですよね、制作側としては。そして、視聴者や読者は身勝手なもので、それを自身の能力値に原因があるとは捉えないんですよね。


 これ、読者側にポロッとでもこぼしてしまえば反感買いまくりです。でも、残念ながらこれが事実と思いましたし、読者ではない作者側に立ったなら理解しとかないと無駄に遠回りする原因にもなると思ったんで、書いちゃいます。(笑


 視聴者のレベルに合わせて書くというのが、読みやすく、の第一歩でしょう。




 各ジャンルや読者層というのは、結局のところ、そういうことの指標です。

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