第35話 どうしよう!?

「最近、真面目に勉強してるみたいだけど、何かあったのか?」


 補習の合間の休み時間、クラスメートの加藤が塔矢に話しかけた。

 高校は夏休みに入ったが、1学期の終業式の翌日からそのまま同じ時間割で補習が始まったこともあって、全く夏休み気分にならなかった。


「別にそういうわけじゃないけど……そろそろやらないと落ちたら困るからね」

「そうか。俺も部活引退したから、勉強も頑張るよ」

「あ……そういえば、インターハイは行けなかったんだ?」


 塔矢は加藤に聞く。

 彼は塔矢と同じ中学の出身で、同じ部活で柔道をやっていた。階級も同じで、いわゆるライバルと言える関係だった。


「まさか地区大会の一回戦で、いきなり足元をすくわれるとは思わなかったよ」


 加藤は苦笑いしながら答えた。

 塔矢もまさか県レベルでは常勝の加藤が、あっさり地区大会で敗戦するとは思っていなかった。

 昨年のインターハイでは、2年生にしてベスト8まで行ったのにも関わらず。


「一発勝負だからね。どんな相手だった?」

「塔矢に似た感じの相手だったな。勝ったと思った瞬間、寝技に持ち込まれてな」

「そっか。相性悪いタイプだね」


 塔矢も現役時代、得意としていたのは寝技だった。

 逆に投げ技に長けていた加藤とよく比べられていたが、直接対戦すると塔矢の方が勝率が高かった。

 それは加藤が寝技を苦手にしていたからだ。


「ああ。今も塔矢と練習してれば、あんな奴に負けることはなかったと思うけど、仕方ないさ。――おっと、そろそろ次の時間だな。じゃ、また」


 そう言うと、加藤は塔矢の席を離れて、自分の席に戻っていった。


 ◆


 1日の補習が全て終わったあと、帰る前に桃香は塔矢と話をしていた。


「昼間、加藤くんと話してるの見て思い出したわ。……前に凛ちゃんも言ってたけど、塔矢くんて柔道強かったの? 加藤くんが有名なのは知ってたけど、同じ中学だし……」

「そんなことないよ。郡総体の決勝で加藤に勝ったけど、それは僕との相性が悪かったからだよ。平均したら、加藤のほうが強いと思う」

「そうなのね。……でも、塔矢くんも少なくとも決勝に行けるくらいは強かったってことよね?」


 彼の話を聞く限りでは、2人とも相当強かったのだということは理解できた。


「まぁそうだけど……。加藤はそれから全国総体出てるからね」

「……異能症になってなければ、塔矢くんも出られたかもしれないんでしょう?」


 悲しそうな目をして桃香が聞いた。


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。まだ県大会と地区大会を勝ち抜かないといけなかったから」

「……そうよね。『もしも』の話をしても仕方ないわね」

「その『もしも』の話が好きな桃香には悪いけどね」


 彼に言われて、桃香は目をぱちぱちと瞬かせた。

 そして、彼に自分の『if帳』を見られていることを思い出した。


「そ、そうね。あははは……」


 今となってもまだ恥ずかしさが湧いてきて、乾いた笑いを口にした。


 ――そのとき。


「おーい。塔矢、ちょっといいか?」


 教室の入り口から、さっきまで噂話をしていた加藤が声をかけてきて、2人は振り向いた。


「どうしたの」


 塔矢が聞くと、彼は申し訳なさそうな顔で答えた。


「ああ、ちょっと顧問に仕事押し付けられてな。手伝ってもらえないか?」

「別にいいけど……」


 加藤の頼みに、塔矢は桃香の顔をちらっと見て答えた。

 その様子に加藤も気を遣ったのか、桃香に言った。


「熊野さん、悪いね。少し旦那貸してくれ。頼む」

「――――だ、だん……ッ⁉」


 加藤の言葉に、桃香は驚いて目を見開いた。

 そしてそのまま口をパクパクとさせて固まってしまったが……しばらくして自我を取り戻して答えた。


「――え、ええ。少しだけよ」

「了解! 終わったらすぐ返却するよ」


 加藤が軽く手を上げて教室を出ようとするのに、塔矢もついていく。


 2人で廊下を歩いていると、加藤が言った。


「……そういや、柔道部に熊野さんと同じ中学出身の女子がいて、ちょっと聞いたことがあるんだ。……熊野さんって、中学のころは今とは別人みたいに明るい子だったって」

「うん。……そうみたいだね」

「それで修学旅行のときのこと、その女子が言ってたんだ。前の熊野さんと変わってなくて、嬉しかったって。……塔矢は、もちろんそれ知ってて付き合ってるんだよな?」


 加藤の話に、塔矢は頷いた。


「そりゃ、もちろん。普段の熊野さん見たら、みんなが知ってるのとは別人だって思うんじゃないかな」

「そうか。とりあえず俺が聞きたかったのはそれだけ」

「うん。わかった」


 ◆


 桃香はとりあえず塔矢に『茶道部に行ってる』とメッセージを送ってから、久しぶりの部室でひとり正坐をしていた。

 目を閉じて真剣な顔をしながらも、頭の中では悶々と妄想を巡らせる。


(『旦那』かぁ。そのうち塔矢くんのこと、「あなた」とかって呼ぶようになるのかな……? 逆に塔矢くんからは今と同じかな?)

(……それとも「ももちゃん」とか呼ばれたり? ……それも良いなぁ)


(あと、塔矢くんすごく力あったなぁ……)


 塔矢の言葉を反芻しながら、先日触れ合った彼の体つきを思い起こす。

 引退してだいぶ経っているのにも関わらず、最低限の筋トレなどは今もしているらしく、軽々と自分を抱き上げたのが印象的だった。

 そして何よりも、自分に触れるときも含めて、終始優しく扱ってくれたのが嬉しかった。


(自分の手と違って、なんであんな違うのかなぁ……。あー、早く次の休み来ないかなー)


 次の休みは一緒に宿題をしようと2人で決めていた。

 とはいえ、ずっと宿題をするわけでもなく、当然休憩時間もある。


(2人っきりになったら……)


 それが楽しみで楽しみで……桃香は無意識に口元が緩んでいた。


 ――そのとき。


『……ガマンデキナイ』


 急にひとつの単語が桃香の頭に流れ込んできて、彼女はハッと目を開けた。

 修学旅行のときに何度か聞いた、あの声と同じに思えた。


(部室の近くには人の気配がない……から、すごく強く想いなのかな……?)


 どうしても気になって、桃香は正坐を解いて、廊下へと様子を見に出た。


「お、熊野じゃないか。今日は1人か?」


 そこでバッタリと顔を合わせたのは、担任の高橋先生だった。


「ええ、そうです。部室に寄っていただけですので」

「そうか、早めに帰れよ。気をつけてな」

「はい。そうします」


 桃香がそう答えると、高橋先生はひとつ頷いた。

 鞄を部室から持ち出そうと、先生に背を向けたとき――。


『ヒトリカ……』


 彼女の頭の中に、気味の悪い声が響き、桃香は咄嗟に振り向いた。


「どうしたんだ、熊野?」

『……ニガサナイ』


 表向きはいつもと変わらない高橋先生の声だが、それと同時に流れ込んでくる言葉に、桃香はごくりと唾を飲み込んだ。


「……も、もしかして……先生は異能持ちではありませんか?」


 恐る恐る、桃香は問う。

 しかし、高橋先生は笑いながら否定した。


「何言ってるんだ。異能症は教員になれないのは、熊野も知ってるだろ?」

『――ナゼワカッタ――』


 しかし――。

 高橋先生が話すと同時に、無意識に漏れた言葉を聞いて、桃香は確信する。


 ――高橋先生が、先日来の意識不明事件の犯人だということを。


(塔矢くん! どうしよう⁉)


 そして、桃香は高橋先生から逃げようと、反対側の廊下に向けて走った。

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