第7話 ふたりだけの秘密だからね。

「うん、僕もそう思う。……行ってくる」

「気をつけて」


 塔矢は男が店の方に向いている間に、そっと背後から距離を詰めて、近くの電柱の影から様子を伺う。

 男は陽子おばさんと顔見知りのようで、何か話をしているが、彼女の顔は険しく見えた。


『――ジャマヲスルナラ、コロス――』


 先ほどに比べて更にはっきりと、桃香には男の声が聞こえた。

 彼女はつい塔矢に声をかけてしまいかけたが、ぐっとそれを飲み込む。

 そのとき、男は懐から光るものを取り出した。


「何を――!」


 ナイフが光るのを見て、陽子おばさんが怯む。

 慌てて店の中に逃げ込もうとするのを追いかけるように、男が足を踏み出した。


 しかし――それよりもほんの少しだけ、先に飛び出していた塔矢が、ナイフを持つ男の手を後ろから両手で掴む。


「――――なんだっ⁉」


 何が起こったのかと、慌てて振り返ろうとした男は――それよりも先に宙を舞っていた。


「――がはあっ!」


 硬い床へと背中から落とされ、受け身も取れなかった男は、肺の中の空気を叫び声と共に吐き出した。

 塔矢はカラカラと転がるナイフには目もくれず、そのまま男をうつ伏せに転がし、後ろ手に腕を極めた。


「――なっ! なんだお前ッ!」

「……無理に動くと折れるぞ」


 なんとか抜け出そうと暴れる男に、塔矢は低い声で忠告する。


「中村くん! 大丈夫⁉」


 その一部始終を見ていた桃香が、スマートフォン片手に走り寄ってきた。


「ああ……すぐ警察を呼んでくれ」

「うん、わかった!」


 へたり込む陽子おばさんを横目に、桃香はすぐに110番をコールした。


 最初は足掻いていた男だったが、抜け出すのが無理なのを悟ったのか、しばらくすると大人しくなった。


 程なく、近くの交番から来たのだろう、サイレンの音が響く。

 そして停まったパトカーから警官2人が飛び出してきて、すぐに男の手首に手錠を嵌めたのを確認してから、塔矢は男から手を離した。


 それからしばらくして、別のパトカーが2台到着すると、更に辺りは騒然となった。

 離れたところから、近所の人たちが野次馬のように様子を窺っているのがどうしても気になる。


 塔矢たちもその場で立っていると、後から来たパトカーに乗っていた警官が、2人に近づき話しかけた。


「ご協力感謝します。……少し話をお伺いしたいのですが」

「……はい、わかりました」


 ◆


 取り押さえた経緯を警官に説明し、2人が解放されたのは30分ほど経ってからだった。

 春木家の陽子おばさんと里美の2人は、別に事情聴取されているようで、とりあえず一旦桃香の神社に戻ることにした。


「……疲れたぁ」


 比較的落ち着いていた塔矢と比べて、桃香はうんざりした様子でため息をついた。


「仕方ないって。ああいうものだから」

「中村くんは経験あったの?」

「ないけど……話に聞いたことはあったから」


 桃香はこともなげに言う塔矢に視線を向けた。


「柔道やってたって言ってたけど、あっという間だったね。すごかったぁ!」

「中学3年までやってたからね。身体は覚えてるんだなって」

「うん。しばらくやってないって思えない動きだったよっ」


 塔矢が鮮やかな動きで男を取り押さえたとき、緊張も手伝ってすごく胸が高鳴ったことを思い返す。

 お世辞を抜きにしても、それが桃香には格好良く見えて、改めてそのときの興奮が戻ってきていた。


 神社に戻ると、社務所にいた桃香の父に状況を説明する。

 サイレンの音は神社までも聞こえていたようで、心配してくれていたのを謝った。


「それじゃ、今日は帰るよ。また来るから」

「――あっ、ちょっと待って!」


 塔矢が手を挙げて帰ろうとしたのを、桃香は慌てて呼び止めた。

 いま彼を帰したら、これまでの自分と何も変わらない。咄嗟にそう思った。


「どうしたの?」

「あのね……中村くんが教えてくれたから、私も話しておこうと思ったの。私の異能のこと……」


 真剣な目を見せる桃香に、塔矢は軽く手を振った。


「別にいいって。あまり人に言うものじゃないから」

「ううん、中村くんにだけは知っておいて欲しくて……」


 異能のことを話すのは、本当に信頼している相手だけにしろと、両親にもきつく言われていた。

 しかし、彼ならきっと大丈夫だと、直感でそう感じた。

 なによりも、彼が話してくれたのに自分が言わないのはフェアじゃないと、桃香は思った。


 まっすぐに塔矢を見る桃香の顔を見て、塔矢は頷いた。


「うん。……わかった」

「……私の異能はね、近くにいる人が強く思ってることがあれば、声に出さなくてもそれが聞こえるの。さっきも、あの男の人の声が聞こえてきて……」

「そう……なんだ……。だから……」


 さきほど桃香が『あの男』だと断言したことを、塔矢は思い出した。


「うん……。でも絶対に他の人には言わないでね。お父さんとお母さん以外だと初めてだよ? 誰かに言ったの……」

「わかった。約束するよ」

「ん。中村くんと私、ふたりだけの秘密だからね」


 嬉しそうに笑顔を見せる桃香に、塔矢は思わずまた『すごく可愛い……』と言う言葉を飲み込む。

 それが桃香は、みるみるうちに頬を真っ赤に染め、隠すように両手で頬を押さえた。


「はうぅ……。そ、そんなに……かな……? ……聞こえちゃうって、いま言ったばっかり……なんだけど……」


 桃香は少し顔を伏せつつ、上目遣いで呟いた。

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