第4話 ――えええっ⁉

『今日は来てくれてありがとう。お兄さんにもよろしくお伝えください』


「……っと。送信!」


 桃香はベッドに寝転がりながら、今日部室で会った凛にメッセージを送った。

 しばらく画面を見ていると、既読になって、すぐに返信が返ってきた。


『こちらこそありがとうございました。伝えておきますね』


 それを見て、桃香は頬が緩む。

 ちょうど何か話すきっかけが欲しいと思っていたところで、凛と知り合うことができたのだ。


「にししし……」


 普段学校では絶対に見せないようなとろけた顔で、桃香は妄想を始める。


『あのときからずっと気になってたんだ。熊野さん、僕と……』

『私も……あなたのことが……』


「――――っ!!」


 桃香は真っ赤にした顔を枕に強く押し付けながら、両足をバタバタさせて身悶える。


「――いけない、ちゃんとメモメモ……」


 慌てて身体を起こすと、せっかくの妄想を書き記すべく机に向かった。

 顔のニヤニヤは収まらないままに。


 ◆◆◆


 6月に入った最初の土曜日。

 梅雨の真っ只中ではあるが、その日は運良く晴れていた。

 朝早くから塔矢は月替わりの御朱印を書いてもらおうと、桃香のいる神社に向かっていた。


 神社に着くと、まずはいつものように大きく深呼吸して、気分を切り替える。

 塔矢はこの神社独特の雰囲気が好きだった。

 一礼して境内に入ると、目につくところには誰もいない。まずは参拝をしようと、手水てみずのあとまっすぐ拝殿に向かった。


 参拝を済ませたあと、社務所に向かう。

 中を覗いてみても、誰もいない。

 時計を見ると、まだ7時を過ぎた頃だった。


「……さすがに早すぎたかな」


 何も約束していないのに、桃香に会えるかもしれないと思って、ついつい気が先走ってしまったか。

 塔矢は頭を掻きながら、しばらく待つことにした。


(そういえば、凛が熊野さんのこと言ってたな。落ち着いていて綺麗な先輩って……)


 普段の桃香は確かにそういうイメージが強い。

 ただ先月ここで見た彼女は全く違う。

 もう一度そんな姿が見たいと思う、完全に惚れ込んでしまっている自分がいた。


「――おはようございます」


 塔矢が考え事をしながら立っているところに、横から声がかけられた。

 振り返ると、白衣に浅葱色あさぎいろの袴を着た神職の男性がいた。


「おはようございます」

「お早いですね」

「ははは、御朱印をと思って来たのですが、さすがに早すぎたようです」


 塔矢も挨拶を返す。

 40代ほどと思えた神職の男性は、長身ではっきりとした顔立ちをしていた。


「そうですか。すみませんが、今朝はこのあと月次祭つきなみさいがありますので、御朱印はそのあとになります」

「ああ、そうなんですね。ご苦労さまです」

「いえいえ」


 塔矢はどうしようか悩む。

 今日は他の用事も無いし、待っても良いかと考えた。

 なにより、彼女にまだ会ってもいないのだ。


「あの、熊野……桃香さんはおられますか?」

「娘をご存知なんですね。桃香は榊を取りに行ってるだけなので、そのうち来ると思いますよ」

「あ、はい。僕は熊野さんの同級生なんです」

「ああ……もしかして桃香が話していた……。なるほど。……なら、もしよろしければ、月次祭に参列されてはどうですか?」


 やはり、この男性が桃香の父親だったのか。

 彼女がどんな話をしていたのかはわからなかったが、少なくとも悪く言われている様子ではないように思えた。


「はい、是非お願いします」


 塔矢ははっきりと答えた。


「それでは、準備ができたらお呼びしますので、しばらく待っていてください」

「はい。わかりました」


 準備のためにその場を離れた桃香の父を目で見送り、塔矢は境内を見渡す。

 普段人がおらずに落ち葉が散らかっている神社も多いなか、ここは今日も綺麗に掃除されていた。

 毎日掃除しているのだろう。

 そう思いながら境内を歩いていると、鳥居をくぐる白衣姿の桃香に気づく。


「おはよう!」


 先に塔矢が大きな声をかけると、驚いたのか、一瞬動きが止まったように見えた。

 そして、手に榊の枝を持ったまま、塔矢の方に歩いてくる。


「……お、おはよう。今日は早いのね」

「ごめん、早く熊野さんに会いたくて」

「――えええっ⁉ そっ、そ、それは……どういう……」


 塔矢の言葉に顔を真っ赤にして、桃香は視線を泳がせた。


「えと、月替わりの御朱印が貰いたくて……」


 塔矢がそう続けると、桃香はあからさまにがっかりした様子を見せた。


「……ああ、そう。そうよね。……月次祭終わったら書いてあげるから、待ってて」

「それなんだけど、さっき神職さんから、月次祭に参列していいって言われて」

「ええ? お、お父さんに⁉」

「うん」

「お父さんが言うなら良いけど……。とりあえず私は準備あるから。それじゃまた後でね」


 そう言って桃香は拝殿へと、準備に行った。


(……やっぱり学校と全然違ってて、すごく可愛いよなぁ)


 塔矢は先ほどの桃香の慌てた様子を思い出しながら、ひとりしみじみと思った。

 それに、口調も学校での彼女と違って、ラフな感じで話してくれるのも嬉しいことだった。


 ◆


「それでは只今より月次祭を執り行います」


 桃香の凛とした声で、月次祭が始まる。

 参列者は塔矢だけだ。

 定例の祭ゆえに、普段から多くないのだろう。


 斎主さいしゅを務める桃香の父が、修祓しゅばつに始まり、淡々と祭を進めていく。

 塔矢は初めての体験で、右も左もわからないが、最初に「細かいことは気にしなくて良いから」と言われていたこともあって、見様見真似でこなしていた。


 ちらっと桃香の横顔に目を遣ると、先ほどの様子と違って、いつも以上に真剣な表情に見えた。

 元々美人な彼女ということもあり、ついつい見惚れてしまう。


「以上をもちまして、月次祭を終わります」


 祭の最後に、桃香がはっきりとした声で終了を宣言する。

 桃香の父が片付けを始めるのを見て、塔矢は正坐を解こうとしたが、痺れていてうまく足が動かずについ倒れそうになった。

 それを見た桃香が表情を崩し、笑いながら言った。


「あはは。ゆっくりね。無理すると転けるから」


 彼女の笑顔が見られたことは嬉しいが、足の痛みは正直限界だった。


「柔道してた頃は慣れてたんだけど、久しぶりに正坐するとダメだなぁ」

「へー、柔道してたのね。どうりで……」


 桃香は塔矢の体格を見て、何かスポーツをしていたのだろうとは思っていたが、それが何かは知らなかった。


「はい」

「ありがとう」


 見かねて桃香が差し出した手を、塔矢が握って立ち上がる。

 彼女は意識せずにしたことだったが、桃香はふとその握られた手をじっと見て、慌てて手を離した。


「ご……ごめんなさい……! つい……」

「おわっ!」


 急に手を離されてバランスを崩した塔矢は、そのまま背中からきれいに床に転がった。


「一本取られたな……」

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