第5話 やーめーてーよー!
「急にごめん! 怪我とかない?」
「いや、大丈夫だよ。受け身は慣れてるから」
桃香が謝ると、軽く起き上がった塔矢はなんでもないことのように答えた。
「よかった。……あ、そういえば凛ちゃんから聞いたんだけど、中村くんって和菓子をよくお土産に買ってるんだって?」
ほっとした様子で、桃香が話を変えた。
「凛のやつ、そんなことまで話したのか。うん、神社とか周ってるとつい買っちゃって……」
「そうなんだ。この近くに穴場の和菓子屋があるの。もう店開いてると思うから、買って帰ってあげたら?」
「へー、知らなかったな。ありがとう」
塔矢が礼を言うと、桃香は視線を逸らしながら、ぶっきらぼうに答えた。
「べ、別に……凛ちゃんにって思っただけだから……。ほら、さっさと御朱印書いてあげるから、出してよ」
「あっ、そうだった。それじゃ、よろしくお願いします」
塔矢は荷物の中からいつもの御朱印帳を出して、桃香に手渡した。
「すぐ書いてくるね」
「慌てないからゆっくりでいいよ」
早歩きで社務所に戻っていく桃香を見送って、塔矢も拝殿から出た。
社務所に行くと、ちょうど桃香が御朱印を書きはじめた頃だった。
なぜか妙に緊張していた前回とは違って、今日は集中して書いているように見えた。
彼女が筆を置き、「ふぅ……」と一息つくのを少し離れたところで見てから、塔矢は声をかけた。
「ありがとう」
「はい。300円申し受けます」
「こちらで」
初穂料を渡して、代わりに御朱印帳を返してもらう。
6月の御朱印は、紫陽花のスタンプが散りばめられた爽やかなものだった。
「へぇ、今月のも綺麗だね」
「そ、そうかな? ありがとう……」
塔矢が褒めると、桃香は照れた様子で少し俯いて呟く。
毎月、自分で考えていたデザインを彼に褒めてもらえたのが嬉しかったのだ。
御朱印帳を鞄に入れようとする塔矢に、桃香が声をかけた。
「それじゃ、さっきの和菓子屋の場所教えるから」
「あ、ちょっと待って。スマホ出すから……」
塔矢はポケットから自分のスマートフォンを取り出して、地図アプリを開こうとした。
「――ん? 春木さんのとこか?」
ちょうどそのとき、片付けをしていた桃香の父が通りがかり、桃香に聞く。
「うん、そうだけど……」
「ちょうどいい、午後におばあちゃん来るだろ? 案内するついでに一箱買って来てくれないか?」
「ええ? 私が? 今から?」
驚いて聞き返す桃香だったが、父は塔矢に見えないように片目を閉じて目配せする。
父の意図を察した彼女は、塔矢に言った。
「と、父さんが買ってこいって言うから……わ、私が直々に案内してあげる」
◆
塔矢は白衣姿のままの桃香に案内してもらい、神社から数百メートルほど離れた所の和菓子屋――春木家に向かった。
店に着くと、店主と思われる熟年の女性が、桃香の顔を見るなり声をかけた。
「あら、桃香ちゃんじゃない。久しぶりね」
「こんにちは、陽子おばさん」
陽子おばさんと呼ばれた女性は、塔矢の顔を見て、桃香に聞く。
「それで、そっちの子は……彼氏?」
「――そ、そ、そんなのじゃないって! お父さんに一緒に買ってこいって……言われて……」
桃香は慌てて否定するが、徐々に声が小さくなっていく。
その様子を見て陽子おばさんは「ふーん?」と意味ありげに笑った。
「ふたりとも、さっき蒸しあがって今が一番美味しいところだから、ここで味見していって。お茶出すわ」
「え? そんなの悪いよ」
「うふふ、気にしないで良いわよ。ちょっと待っててね」
そう言って陽子おばさんは奥に入っていく。
代わりに桃香より少し歳上だろうか、柔らかい雰囲気の若い女性が店の中から顔を出した。
「あらあら、誰かと思ったら桃香じゃない」
「里美さん、おはようございます」
桃香が丁寧に礼をするのに見習って、塔矢も頭を下げた。
「ふふ、桃香ったらまーったく男に縁がなさそうだったのに、突然ね」
「だからあっ! そんなのじゃないって!」
「まあまあ。……彼氏君? 桃香は私の後輩なの。とっつきにくいけど、すっごくピュアな子だから大事にしてあげてね」
「やーめーてーよー!」
桃香は蹲って、両手で顔を押さえて首を振っていた。
「は、はい……。学校だとすごく話しかけにくい雰囲気だったんですけど、意外でした」
耳まで赤くなった桃香を見ながら塔矢が答えると、里美は笑顔で頷いた。
「でしょでしょ? この子、外だと猫かぶってる……というか、ツンってして誰も寄せ付けないけど、本当は全然違うのよー。……可愛いでしょ?」
「ええ……。それはとても……そう思います」
それには塔矢も同意する。
学校での彼女とのギャップがあまりに大きすぎて、本当に同じ人物なのかと疑問に思うほどだった。
しかし、それは塔矢にとって可愛く思える方向に全振りしているのだ。
「おまたせー。……里美、店番ありがとうね」
ちょうどそのとき、お盆にお茶と饅頭を乗せて、陽子おばさんが中から出てきた。
それを見て、里美は「じゃ、仲良くね」と、手を振ってまた中に戻っていった。
「あら、桃香ちゃんどうしたの? そんなところに座り込んで」
「な、なんでもない……」
まだ顔は赤いものの、桃香は首を振ってなんとか立ち上がった。
「はうぅ……。来るんじゃなかった……」
誰にも聞こえないような小さな声で、桃香はひとり呟く。
それを他所に、陽子おばさんは店の前のベンチにお盆を置いた。
「さ、温かいうちに食べてちょうだい。ごゆっくり」
「ありがとうございます」
無言でベンチに座る桃香の代わりに、塔矢が礼を言う。
そして、一口お茶を飲んでから、饅頭を口にした。
「あ、美味しい……」
思わず塔矢は呟く。
まだ蒸しあがったばかりで温かい饅頭は、普段食べるものと違って柔らかくて風味豊かだった。
「……でしょ? 陽子おばさんのお饅頭は私も好き」
「教えてくれてありがとう」
「気にしないでいいよ。……さっきのは、できれば忘れて欲しいけど」
「ははは……」
塔矢はどう答えるのが良いか悩んで、結局乾いた笑いを返した。
それからしばらく、無言で饅頭を食べる。
――塔矢が最後にお茶を飲み干し、お盆に置こうとした時だった。
「――うっ!」
急に頭を押さえて、塔矢がうなだれる。
突然のことに、桃香は慌てて声をかけた。
「な、中村くん、大丈夫⁉」
どうしたらいいのかわからず戸惑う彼女を、塔矢は手で制する。
「大丈夫、心配しないで……。たまにあるんだ」
すぐに回復したのか、塔矢は体を起こす。
しかし険しい顔で呟いた。
「……このあとここで人が刺される」
「――え、それって……?」
「熊野さんだから言うけど、それが僕の異能なんだ。……少し先の未来が視える時があるっていう」
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