第3話 ――やったぁ!

 塔矢は中間テストの勉強のため、勉強机に教科書を広げていたが、なかなか集中できなかった。

 その理由は、先日行った神社で同級生の熊野桃香に偶然会ったことだ。


 あまり他人と話さないし、加えて異能症持ちという薄気味悪さも手伝って、彼女はクラスの中でも孤立したような存在だった。

 当然、接点のない塔矢もほとんど会話をしたことがなかったが、実際話してみると、そのイメージとは大きく違っていた。


「可愛かったなぁ……」


 彼女はいつも落ち着いている――というよりも、冷めている――澄ました美人だ。

 それが神社でクラスメートに会ってびっくりしたのだろうか。真っ赤になって慌てていたところなど、できれば写真か動画に撮って毎日見たかったくらいだ。

 それが叶わなかったのは残念だった。


「でも、同級生に会ったくらいで、あそこまで慌てるものかな……?」


 あの時はそれほど気にしなかったことだが、後になって考えると、いくら驚いたとはいっても不自然に思えた。


「まぁいいか。可愛いのが見れたから」


 白衣姿の彼女の様子を思い浮かべながら、塔矢は口元を緩めた。

 あれから、休み時間に度々彼女の様子を気にかけていたものの、なぜか睨まれてるような視線を感じた。

 もしかして、自分が友達に漏らしたりしないだろうかと、監視でもしているのだろうか。

 彼女とは学校で話すことはないだろうと思いながら、また機会があれば聞いてみようと思う。


「……勉強に集中しないと」


 自分たちはもう3年生で、受験生なのだ。

 定期テストくらい頑張らないと。

 彼女のことはいったん頭の片隅に移動させて、目の前の教科書に目を落とした。


 ◆◆◆


「………………」


 中間テストを終えたあとの放課後。

 桃香は自分が所属する茶道部の部室で、ひとり目を閉じて正坐せいざをしていた。


 正坐は慣れているし、硬い板の上で座ることに比べれば、柔らかい畳の上で座ることは苦にならない。

 背筋を伸ばして神経を研ぎ澄ますと、周りの僅かな音や空気の揺らぎが感じられて、それが好きだった。


 桃香はそのままの姿勢で、ここしばらくのことを頭に思い浮かべる。


(……結局、何もない……かぁ。当然よね)


 ゴールデンウィークが終わってからだいぶ経つが、桃香が妄想したように、放課後に呼び出されるような気配は全くない。

 なのに自分はというと、あれからどうしても中村塔矢のことが気になってしまい、時々ちらちらと彼の様子を窺ってしまう始末。

 ただ、目が合うことはあっても、話しかけてはくれなかった。


(そりゃそうよね。きっかけでもないと……。あーあ……。私にもうちょっと勇気があったらなぁ……)


 気軽に話しかけられるほど親しいわけでもない。自分から声を掛けることなど、できるはずもなかった。

 せいぜい桃香にできるのは、そういう妄想を頭に思い浮かべることくらいだ。


「……ふぅ」


 小一時間正坐をした桃香は、小さく息を吐いて姿勢を崩した。

 このくらいで足が痺れるということはないが、自由になった足先が気持ち良い。


 ――コンコン。


 桃香が足首を回してストレッチしているときだった。

 部室の扉が小さくノックされる音が耳に入った。


「あ、はい。なにかしら?」


 桃香が応答すると、扉がゆっくりと開けられて、その隙間から1人の女子生徒が顔を覗かせた。


「あの……すみません。ここって茶道部……ですよね……?」

「そうだけど……。何か用かしら?」


 ちらっと見える名札と、まだ折り目のはっきりした制服の着こなしから、彼女が1年生であることはすぐに分かった。


「す、すみません……! あのっ、話を聞かせてもらってもいいですか……?」


 その様子からすると、茶道部への入部希望者なのだろうか。

 この茶道部は部活とはいえ、人数も少なく普段からほとんど人がいなかった。桃香もたまに顔を出すくらいだった。


「いいけど……。今日は私1人しかいないわよ」

「大丈夫ですっ!」


 そう言いながら、彼女は入り口のところで上履きを脱ぎ、おずおずと畳に上がった。


「こんな時期に入部希望? えっと、1年の……中村さんね」


 桃香は名札を見ながら確認する。

 彼と同じ苗字でもあるし、すぐに覚えられそうだ。


「はい、中村凛と言います」

「私は熊野桃香。はじめまして。……見ればわかると思うけど、私異能症持ちだから」


 桃香は自分の名札を指差しながら伝えた。

 異能症の生徒はすぐに識別できるよう、名札の色が異なるのだ。


「熊野先輩ですね。はじめまして。……はい、兄がそうなのであたしは気にしません」

「……兄? 家族に異能症持ちがいるのね」

「そうなんです。先輩と同じ3年なので、もしかしたらご存知かもしれません」


 少し笑顔を見せて言う彼女の話に、桃香は顔には出さないようにしつつも『まさか』と思った。


「もしかして、兄って中村塔矢くんのことかしら……?」

「あ、やっぱりご存知だったんですね。はい、そうです」

「中村くんは私と同じクラスなの。そう……妹さんがいたのね……」


 彼のことについては、御朱印集めが趣味というくらいしか知らなかった。


「家族で兄さんだけが異能症なんです。最近はカメラ持って楽しそうに出かけてるみたいなので、心配してませんけど」

「そうなのね。中村くんは、クラスでも楽しそうにやってるように見えるわ」


 ――私とは違って。

 桃香は自嘲する言葉を飲み込んだ。


「よかったです。……あ、兄の話ばっかりしてごめんなさい」

「いえ、気にしなくていいわ。……それで、あなたはなぜ茶道部へ来たの?」

「特に大きな理由はないんですけど、兄が和菓子ばっかり買ってくるから、よく家でお茶飲んでると好きになっちゃって。てへへ……」


 凛は照れながら頭を掻いた。

 可愛らしい妹を持っている塔矢を羨みながらも、桃香は千載一遇のチャンスと捉えていた。


「ふふ、面白い兄さんね。えっと、凛ちゃん……で良いかしら?」

「はい」

「茶道部に入るなら、入部届の準備をしておくわ。でも、私も毎日来てるわけじゃないから、来るときには連絡貰えないかしら」

「わかりました。それじゃ、連絡先交換しましょう」


 そう言って凛は桃香に自分のスマートフォンのコードを見せる。

 桃香はそれをスキャンして、自分の連絡先に登録されたことを確認し、凛にスタンプを送った。


「えっと、これで届いたかしら?」

「大丈夫です。ありがとうございます」

「それじゃ、今日はそろそろ帰ろうと思ってたところだから、また今度ね。ごきげんよう」

「はい、急に押しかけてすみませんでした」


 2人は立ち上がって、部室を後にする。


(――やったぁ!)


 桃香は運良く塔矢の妹と知り合いになれたことを、心の中でガッツポーズしつつも、神に感謝した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る