第2話 うっわぁ……!

 塔矢は御朱印帳を桃香に渡したあと、彼女が準備をしている間に参拝を済ませた。


 御朱印を書くところを観察させてもらい、そのあとできあがったそれをじっくりと眺める。

 それは5月ということもあってか、鯉のぼりのスタンプが押されていて、目を惹くものだった。


「へー、これって月替わり?」

「……そうよ。6月になったらまた変わるわ」


 毎月デザインを考えて変えるのは大変だが、桃香の提案で昨年から始めた取り組みだった。


「それじゃ、また来月も来るよ」


 御朱印帳を大事そうにバッグに仕舞いながら、塔矢は彼女に笑いかける。


「つ、次は父さんがいる時に来てよね。絶対その方が上手だから……」


 彼とまっすぐに視線を合わせるのが恥ずかしくて、桃香は顔を逸らしながらぶっきらぼうに言う。

 自分の書いた御朱印は、父と比べても遜色ないと自信を持っていたにもかかわらずに。


「うん、その時次第だね。また熊野さんに書いてもらえることを期待するよ。……あっ!」

「どうしたの? 何か間違いでもあった?」


 塔矢が小さく声を出したのが気になって、桃香は聞き返した。


「あ、いや、せっかくだから、熊野さんの写真を撮らせてもらえないかなぁって」

「――はぁっ?」


 彼が何を言っているのか一瞬分からなくて、素っ頓狂な声を出してしまったのを、桃香は慌てて手で口を塞いだ。


「そ、そ、そんなの駄目に決まってるでしょ!」

「誰にも見せないから、お願い」

「ダメダメ! 絶対ダメーっ! 肖像権の侵害よっ!」


 それだけは絶対に阻止しないと。桃香は声を荒らげる。


 桃香のその様子に、これは無理だと悟ったのか、塔矢は潔く諦めて引き下がった。


「……そうだよね。ごめん、今日は帰るよ。熊野さんありがとう」


 軽く手を挙げて背を向ける彼の背中に、桃香は小さく声をかける。


「……ううん。来てくれてありがとう」


 彼の姿が完全に見えなくなったあと、桃香は小さく息を吐きながら、五月晴れの空を見上げた。


 ◆◆◆


 ゴールデンウィークが明けた翌日の昼休み。

 連休気分が抜けないまま、クラスメートたちは教室で仲のいいグループで集まって、休みの間の出来事を笑い合っていた。


 そんななか、桃香は教室の片隅で、いつものようにひとり日本史の本を読んで過ごしていた。

 同じクラスに異能症の女子が他にいないこともあって、周りと当たり障りのない会話はするものの、あまり深い付き合いはしないようにしていた。


「……それで、僕は休みの間に10社周ったよ」

「なにが楽しいのか分からないけど、その情熱はすごいな」


 少し離れたところから、中村塔矢が友達と話す声が耳に入ってきた。

 彼は自分と同じ異能症であるにも関わらず、以前からそれなりの友達付き合いをしているようで、いつも誰かと話をしていた。

 特に中学時代からの友人だという、加藤と仲がいいようだった。


 その会話の内容に、まさか自分のことを言い出したりはしないだろうかと、桃香は本に目を向けたまま聞き耳を立てる。


「神社に行くと落ち着くんだよ。今回は初めて行った神社も多かったし、すごく良かったよ。……それで加藤は何してたんだ?」

「俺は大会があったんだ、県レベルだけどな」

「へぇ、県ならもちろん優勝だよな?」

「当たり前だ。……塔矢が続けてたら違ってたかもな」

「そんなわけないって……」


 神社の話から逸れていったのを確認して、桃香は安心する。

 それにしても、ついつい彼の会話を意識してしまった自分の変化に驚く。今まで悪口を言われようが、周りの会話など気にしたことがなかったのに。

 そう思いながら、何気なく塔矢の方に視線を向けた。


 その頭の動きに反応したのか、同じくこちらに顔を向けた塔矢と一瞬目が合い――彼が少し口元を緩めた――ように桃香からは見えた。


(――――あぅっ!)


 桃香は慌てて目を逸らし、本に視線を戻す。

 しかし、頭の中には先日の神社でのことが思い浮かび、自分でもわかるほど鼓動が早くなってくるのを感じた。

 こういう感情もそれまで感じたことのなかったことで、桃香は更に自分に戸惑うこととなった。


 ◆


「どうしたんだろ、私……」


 その日の夜、ベッドに寝転がり、天井を見ながら桃香は呟いた。

 昼休みが終わったあとも、ことあるごとに塔矢の会話に聞き耳を立てている自分がいて、好きな本にも全く集中できなかった。

 気になりはじめると、どうしようもなく気になってしまう性分が嫌になる。


「そうだ、あれ……」


 思いついたように桃香はベッドから体を起こし、近くの本棚に立ててあった一冊のノート――表紙に『if帳③』と書いてある――を手に取った。

 そしてパラパラとめくる。


 それぞれのページには、彼女がこれまでに記してきた『もしも』の想像――もとい、妄想がずらっと書かれていた。

 『もしも、学校に殺人鬼が現れたら……』

 『もしも、帰り道で1億円拾ったら……』

 そういった、ふと思いついたことを短い話にしてノートに書き記すのが桃香の密かな趣味で、中学2年の頃に書き始めたそのノートは既に5冊目になっていた。


「えっと、確か……あった!」


 高校1年の夏ごろに書いたノートを探していくと、目当てのページが見つかった。


『もしも、同級生の彼氏ができたら……』


 そう見出しに書かれたページを見る。

 高校に入学する頃は、もしかして自分にも……と淡い期待を抱いていたけれど、結局3年になってもそういう存在が現れることはなかった。

 もっとも、異能症の自分に声を掛けようという奇特な男がいるはずもないし、自分からなどあり得ない。

 それに気づいたのは、入学して最初の1学期が終わった頃だった。


 そこで、せめて妄想の中だけでもと考えて、書き記していたのを思い出したのだ。

 そこには『学校帰りに手を繋ぐ』から始まって『一緒に花火大会へ行ってキスをする』、『お姫様抱っこされる』などと、つらつらと書き連ねられていた。


「うっわぁ……!」


 自分で書いたものにも関わらず、そのときどんな精神状態でこれを書いたのかと疑うばかりの妄想の羅列に、桃香は顔を真っ赤に染める。

 しかし、食い入るようにノートを読み進める視線は止まらない。

 最後には『初めての彼と結ばれる』と綴られていた。


「――――っ!」


 あまりに恥ずかしくて、ノートを胸に抱いたまま、ひとりベッドをゴロゴロと転がって身悶えた。

 

 しばらくして一息ついた桃香は、ノートをそっと本棚に戻す。

 そして、今度は途中から空白ページのノート――『if帳⑤』を取り出して勉強机に着くと、新しい見出しを書き込んだ。


『もしも、放課後同級生の男子が私を呼び出したら』と――。

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